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憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

生徒に真似されるということ

2009-11-06 18:44:52 | フラグメンツ(学校の風景)
 私はどちらかというと生徒に物真似をされる教師であった。
 赴任したどの中学校でも、そのうちに私の真似をはじめる生徒がいておかしかった。
 私は歩き方が特徴的で、靴のかかとを鳴らしながら歩くので、遠くからでも私がやってくるのがわかるらしい。生徒は、毎年のように、私の歩き方を真似て楽しんでいた。たまに、私の後ろから歩き方を真似て生徒がついてくることもあって、「ああ、またやってるなあ」と楽しく思っていた。
 歩き方だけではなくて、喋り方や風貌も真似をしやすいのだろうと思う。
 学校祭(文化祭)のステージ発表には余興の時間というのがあって、そこでは、生徒の有志が一発ギャグやコントなんかをしたりすることがあるのだが、そこで教師の物真似をする強者がいたりする。そういう時には、だいたい私の物真似があった。私は3つの中学校に赴任したのだけれど、3つのそれぞれの中学校で、私の物真似があった。そして、それぞれ私の特徴を違えていて、私としては「今は、生徒は私のこういうところに特徴を感じてんだなあ」と思って、大笑いしていた。
 ある年には、生徒会長が給食時間の校内放送を私の物真似でDJしたこともあった。私は、担任として学級で給食を食いながら、学級の生徒と放送を聞いていたわけで、それはそれは複雑な時間であった。けれど、そこまでして私の真似をしたがる奴が出てきたかと、ちょっと感慨深かった。
 ちなみに、その生徒会長のDJは、私の喋り方を真似ながら、私のキャラクターで予想されるであろう話をしつつ、私に失礼にならないようにギャグを交えるというとても高度なものだった。例えば、当時、私が社会科教師で、授業中にたまにHな話題をふるという教師だったというキャラクターを題材に、「先生の趣味はビデオ鑑賞。どんなビデオを観るかというと、先生は大人だから、ね、先生は大人だから、…歴史のビデオを観るね」と、いう感じでオチをつけていた。真似といったって、喋り方を真似ているだけで、あとは生徒会長が、勝手に私のキャラクターを想像して創作した内容であった。あれは、多分、即興のノリだったのだろう。奴は、事前に私への承諾一切なしに、勝手に放送しはじめたのだから。
 一方で、私に感化されて、私の喋り方が似てきてしまうという生徒もいた。これは、物真似というよりも、心理学用語でいう同一化に近いだろう。私という教師に良くも悪くも影響を受けてしまったというわけだ。これまでに私が、自身で確信したのは二人。多分、もっといるのだろうけど、確信したというのでは二人だ。うち一人は、新卒三年目の年に、周りの教師に指摘されて気がついた。言われてみれば、そいつは私の喋り方そっくりになっていた。
 もう一人は女子生徒。女子生徒が私に感化されるなんてことは、思ってもいなかったから、これはちょっと衝撃だった。その生徒と話をしていても、その生徒が考えていることは、私にはよくわかった。なぜなら、その生徒は私に感化されているのだから、私が考えていることと同じことを考えているのだ。おおげさに言えば、私が学校に二人存在しているようなものである。私は、この生徒と話をするときは、心のなかで苦笑していた。
 改めて教師というのは実にオッカナイ仕事だなあと思っていた。そして、この体験が、中学校教師を辞めようかなあ、と私が思い始めた最初だったと、今にして思っている。