私は普通学級から特別支援学級に移った頃、ヒマに飽かせてカウンセリング関係の本をポツポツと読んでいた。それらは本格的な専門書ではなく、カウンセラーが書いたエッセイのような類が大半だった。さて、それから4年後の本日、何気なく部屋の書架を眺めていて、手に取ってみたのが富田富士也の『レッツ・ゴー!カウンセリング』(北水、2005年)。
買ったことは覚えているし、著者の名前も覚えているけど、どういう経緯でこの本を購入したのかは4年たって、もうすっかり忘れてしまっている。多分、当時購読していた教育雑誌あたりから氏の名前を知って、試しに本を注文したのだろうけど。読み返してみて、本の内容も、ほとんど記憶になかった。
ただ、今さら言うのもおかしな話だけど、本の中身は充実していて、子どもへのカウンセリングとともに疲れた教師へのカウンセリングも説かれていて、興味深く読めた。
氏のような、いわゆる来訪型のカウンセリングというのは、とにかく初めて面談に来たクライアントの不安感をいかに、すすすっと取り除くかが、初発の大きな課題なのだと思う。まして、氏のもとに来訪する子ども達というのは、そのほとんどが自分の意思によらずに保護者に無理矢理に連れられて来訪しているわけであろうから、その子どものカウンセラーに向けるネガティブなまなざしをいかに払拭していくかが、初対面のカウンセラーとしては心血を注ぐところなのだろう。
似たようなことは、不登校外来の医師にもあてはまるだろう。私はそうした不登校外来の医師の講演を聴いたことがあるが、「私は、最後の砦のようなものですね。どうにもならなくなって最後に来るのが、私のところなんです」と講演で言っていた。その医師は、口にはださなかったが、そういう最後にやってきた子ども達のかたくなな気持ちを、すすすっとほぐすところから治療が始まるのだろう。
さて、特別支援学校。ここには、小学校の入学時から在籍している子どももいるが、途中から転校してくる子どもも多い。また、中学に進学する際に新1年生として転入する子どもも多い。そうした新入生を迎える時に、私たちは小学校のときの特別支援学級の担任と引き継ぎをするわけであるが、そこで得たその子どもの困難性の情報は、特別支援学校にやってくると、あっさり解消されることがままある。
たとえば、他の生徒の輪の中に入ることができないという子どもも、入学後の授業にはあっさりと入って、そのまま卒業まで集団生活が送れたりする。偏食が激しいという引き継ぎを受けたけど、ものの1週間で何でも食べるようになる子どももいる。あるいは、教師や保護者に「バカ」とか「死ね」とか暴言を吐いていたのに、そんなことは言わなくなった子どももいる。こういう事例は、こと特別支援学校では、ままあることだと思う。
こうした困難性の解決というのは、子どもの特性に応じた教育をしている特別支援学校の専門性によるということが第一にあげられようが、それに加えて、子ども自身、環境が変化したために困難性が解決してしまったということもいえると思う。
つまり、環境の変化によって、自分で解決できたということだ。
そうやって考えると、来訪者カウンセリングも不登校外来も、環境の変化というものを上手く利用して、カウンセラーや医師が、子どもの自力解決を促しているといえるのではないか。
であるなら、カウンセリングや不登校外来を最後の砦にしないで、どんどん利用すればいいのではないかと思うし、私の職場である特別支援学校へも、2次障害が重たくなる前に転入するのも悪いことではないのではないかと思ったりした。
買ったことは覚えているし、著者の名前も覚えているけど、どういう経緯でこの本を購入したのかは4年たって、もうすっかり忘れてしまっている。多分、当時購読していた教育雑誌あたりから氏の名前を知って、試しに本を注文したのだろうけど。読み返してみて、本の内容も、ほとんど記憶になかった。
ただ、今さら言うのもおかしな話だけど、本の中身は充実していて、子どもへのカウンセリングとともに疲れた教師へのカウンセリングも説かれていて、興味深く読めた。
氏のような、いわゆる来訪型のカウンセリングというのは、とにかく初めて面談に来たクライアントの不安感をいかに、すすすっと取り除くかが、初発の大きな課題なのだと思う。まして、氏のもとに来訪する子ども達というのは、そのほとんどが自分の意思によらずに保護者に無理矢理に連れられて来訪しているわけであろうから、その子どものカウンセラーに向けるネガティブなまなざしをいかに払拭していくかが、初対面のカウンセラーとしては心血を注ぐところなのだろう。
似たようなことは、不登校外来の医師にもあてはまるだろう。私はそうした不登校外来の医師の講演を聴いたことがあるが、「私は、最後の砦のようなものですね。どうにもならなくなって最後に来るのが、私のところなんです」と講演で言っていた。その医師は、口にはださなかったが、そういう最後にやってきた子ども達のかたくなな気持ちを、すすすっとほぐすところから治療が始まるのだろう。
さて、特別支援学校。ここには、小学校の入学時から在籍している子どももいるが、途中から転校してくる子どもも多い。また、中学に進学する際に新1年生として転入する子どもも多い。そうした新入生を迎える時に、私たちは小学校のときの特別支援学級の担任と引き継ぎをするわけであるが、そこで得たその子どもの困難性の情報は、特別支援学校にやってくると、あっさり解消されることがままある。
たとえば、他の生徒の輪の中に入ることができないという子どもも、入学後の授業にはあっさりと入って、そのまま卒業まで集団生活が送れたりする。偏食が激しいという引き継ぎを受けたけど、ものの1週間で何でも食べるようになる子どももいる。あるいは、教師や保護者に「バカ」とか「死ね」とか暴言を吐いていたのに、そんなことは言わなくなった子どももいる。こういう事例は、こと特別支援学校では、ままあることだと思う。
こうした困難性の解決というのは、子どもの特性に応じた教育をしている特別支援学校の専門性によるということが第一にあげられようが、それに加えて、子ども自身、環境が変化したために困難性が解決してしまったということもいえると思う。
つまり、環境の変化によって、自分で解決できたということだ。
そうやって考えると、来訪者カウンセリングも不登校外来も、環境の変化というものを上手く利用して、カウンセラーや医師が、子どもの自力解決を促しているといえるのではないか。
であるなら、カウンセリングや不登校外来を最後の砦にしないで、どんどん利用すればいいのではないかと思うし、私の職場である特別支援学校へも、2次障害が重たくなる前に転入するのも悪いことではないのではないかと思ったりした。