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憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

ブラッシュアップサマーセミナーのお知らせ

2011-07-30 12:05:54 | その他
 今年もブラッシュアップセミナーの季節となりました。
 道内屈指の実践者が一同に集います。どうぞ、ご参加くださいませ。


□■□第7回教師力BRUSH-UPサマーセミナーin札幌□■□
『明日の授業を創る』
新しい「うねり」に応える授業を“徹底的”に考える2日間

新学習指導要領が本実施されました。新たな視点での授業づくりが
必要とされています。また、子どもたちの学びやすさを意識した協
同的な学習スタイルも、今新しい「うねり」となりはじめています。
第7回を迎えた教師力BRUSH-UPサマーセミナーは、『明日の授業を
創る』というテーマで、徹底的に授業について考えます。

なお今年のサマーセミナーでは、大会収益を東北復興支援のための
義援金とします。


日 時:平成23年8月1日(月)2日(火)
    9時30分から

場 所:札幌市豊平区民センター(札幌市豊平区平岸6条10丁目)

参加費:3000円

後 援:北海道教育委員会 札幌市教育委員会


チラシはこちらから
http://www.h7.dion.ne.jp/~kirahika/20110801summer.pdf

お申し込みはこちらのフォームから
http://form1.fc2.com/form/?id=671922


1日目<8月1日(月)>

09:15-09:30 受付 09:30-09:40 開会セレモニー

09:40-10:30 講座「授業を支える技術のあり方とは?」
         北広島市立大曲東小学校 山田洋一

10:40-10:45 オリエンテーション(A~C/選択講座)
模擬授業から考える明日の授業づくりⅠ

A「同一教材で習得・活用の授業をつくる」10:45-11:45
   習得(30分間) 陸別町立陸別小学校  木下尊徳
   活用(30分間) 札幌市立藻岩北小学校 兒玉重嘉

B「新しいキーワードの授業をつくる」10:45-11:45
   伝統的な言語文化 旭川市立第二中学校  小林 智
   新聞活用     今金町立今金小学校  山寺 潤

C「ワークショップ型授業」10:45-11:45
   国語       函館市立松前中学校  坂本奈央美
   社会       石狩市立双葉小学校  山本和彦

11:45-12:45 昼食

A研究協議 12:45-14:00
    指定討論者   札幌市立小野幌小学校 大谷和明
            札幌市立南小学校   南山潤司
  ファシリテーター  札幌市立藻岩北小学校 山口淳一

B研究協議 12:45-14:00
    指定討論者    北広島市立大曲東小学校 山田洋一
             札幌市立幌東中学校   山下 幸
  ファシリテーター   札幌市立藻岩小学校   高橋裕章

C研究協議 12:45-14:00
    指定討論者   札幌市立厚別通小学校 大野睦仁
            北海道鷹栖養護学校  桑原 賢
  ファシリテーター  福島町立福島小学校  三浦将大

14:15-16:45 「明日の授業を創るファシリテーション講座」
            neco塾代表 岡山洋一

16:45-16:50 振り返りタイム

16:50-17:00 閉会セレモニー


2日目<8月2日(火)>

09:15-09:30 受付 09:30-09:40 開会セレモニー

09:40-10:30 講座「全員参加から協同学習へ」
        札幌市立北白石中学校 堀 裕嗣

10:40-10:45 オリエンテーション(A~C/選択講座)
模擬授業から考える明日の授業づくりⅡ

A「言語活動を明確にした授業をつくる」10:45-11:45
   算数(30分間) 洞爺町立とうや小学校 水戸ちひろ
   社会(30分間) 登別市立青葉小学校  斎藤佳太

B「新しいキーワードの授業をつくる」10:45-11:45
   先人の伝記    福島町立福島小学校  三浦将大
   討論    札幌市立幌東中学校  山下 幸    

C「ファシリテーショングラフィック」10:45-11:45
その具体的な技法を学ぶ 函館市立昭和小学校 藤原友和

11:45-12:45 昼食

A研究協議 12:45-14:00
     指定討論者  北海道鷹栖養護学校  桑原 賢
            札幌市立南小学校   南山潤司
  ファシリテーター  今金町立今金小学校  山寺 潤

B研究協議 12:45-14:00
     指定討論者  函館市立松前中学校  坂本奈央美
            札幌市立藻岩北小学校 山口淳一
  ファシリテーター  札幌市立厚別通小学校 大野睦仁

C研究協議 12:45-14:00
    実践提案   函館市立昭和小学校  藤原友和
     指定討論者  札幌市立北白石中学校 堀 裕嗣
            札幌市立藻岩小学校  高橋裕章
   ファシリテーター 石狩市立双葉小学校  山本和彦

14:15-16:45 ホールシステムアプローチ「明日の授業を創る
~学びのシェアリング」      neco塾副代表 丸山宏昌

16:45-16:50 振り返りタイム

16:50-17:00 閉会セレモニー

連休中に読んだ本あれこれ

2011-05-05 21:03:35 | その他
 今年の連休は、開校記念日がはさまったりして、私の場合はなんと7連休でした。
 家族でお出かけした日もありましたが、といっても、海外旅行に行くわけでもなく、あるいは東北にボランティアに行くなどと殊勝なことをするわけもなく、大半をTVの前とPCの前で過ごしておりました。
 そんな連休でしたが、買い溜めていた本もそこそこ読めましたので、ここでご紹介。

○西村賢太『苦役列車』(新潮社、2011年)、『小銭をかぞえる』(文春文庫、2011年)

 山田詠美が芥川賞の選評で「あまりにもキュート」と評した修辞を楽しみながら読む。この芥川賞作家の作品は、ダメ男の自虐小説として共感したり哄笑したりして楽しむ読者が多いのであろうが、私小説だろうがフィクションだろうが、小説としてのストーリーはたいしたことはない。
 楽しむべきは、大げさに時代がかった文体だったり、そこだけ現代的な女性の会話体だったり、似つかわしくない奇妙な修辞だったりというところだろうと思う。旧かな遣いが似合う文章のトーンに、ところどころに現代的な言葉遣いが意識的に織り込まれているといった、独特の文体にこそ魅力があると思うのであるが。
 だから、氏はただの風俗好きなダメ男ではなく、もちろんダメ男には違いないが、こと文学に対しては非常にストイックなのだろうと思う。氏が私淑しているという藤澤清造ほかの近代文学に詳しければ、氏の会話体が誰の影響を受けているとか、そんなことも楽しめるのだろうけど、そこまでの教養が私にはあるはずもなく、だいたい氏が芥川賞をとらなければ、氏の小説を読むなんていう機会もあるはずもなかったのである。普段から純文学を楽しむ読書趣味は私にはないのだ。
 氏の作風はとりあえず上記の2冊で、私のなかでは諒解した。今度、近いうちに氏の作品は映画化やドラマ化されるだろうから、そのときにまた違う作品を読むかもしれない。

○上原隆『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎アウトロー文庫、1999年)、『にじんだ星をかぞえて』(2009年、朝日文庫)、『胸の中にて鳴る音あり』(2011年、文春文庫)

 もう10年以上前から刊行され、そこそこ売れていたのに、私はこの連休まで氏の名前すら知らなかった。そうか、そうか、こうしたコラムを書き続けている人がいるのかと、ちょっと嬉しくなった。
 ジャンルとしてはルポルタージュとなるのだろうけど、市井の人々の辛かったり悲しかったりしたことをルポして、それを軽めのコラムにしているという感じか。日本のボブ・グリーンとか言われているらしいが、ボブ・グリーンを知らなければ、何のことかわかりゃしない。「他人の不幸は蜜の味」などといった俗的な次元をすっかり超越している著者の人柄というか誠実さというか、そんなところが最大の魅力なのだと思う。
 コラム形式の短い紙幅で、読後に深い共感を与える文章というのは、なかなか書けるものじゃあない。今回こうやって、だーっと読み通してみて、そんな筆致に達するまでの著者の努力の跡も読み取れた。取り上げる題材も、著者の人柄も、文章の技術も、どれもこれも、ああいいなあと、しみじみ思うのは、間違いなく私が年をとったせいだろう。

○穂村弘、春日武彦『人生問題集』(角川書店、2009年)

 これは再読。世の中の尺度でみて、自分は「ちょっと変」だ、と自覚している歌人穂村と医師春日のオッサン2人の対談集。この2人は、元祖草食系の代表格といっていいかもしれない。そう考えると、この2人が売れているというのも、やっぱり時代性なのかとも思う。
 こうやって名声を得たからからこそ、自分のヘタレさというか、変さ加減を堂々とカミングアウトできるわけだが、それにしたって、ここまで平気で晒していることに、ちょっとした爽快感をおぼえる。
 私が思う、彼らの「ちょっと変」という「ちょっと」さというのは、2人とも一定期間、世の中で給料を貰って仕事をしていたということ。穂村は会社員だったし、春日は勤務医だった。一応、普通の社会人として生きてこれたのだから、「とても変」ではなく、「ちょっと変」なわけだ。
 対談のなかで穂村が、企業に勤めていた頃、自分の行動が同僚にとっては驚愕に値するものだったけど、物書きになったら、そういう目に遭わなくなった、と述べていたのが、私にはもっとも印象的だった。妙に納得してしまったという感じ。一般人ならドン引きすることでも、物書きの世界なら、普通にアリということなのだろう。
 私は、物書きの世界は知らないけど、穂村の話に私はリアリティを感じてしまった。
 教員世界も、物書き程じゃないけど、そういうことってあるのかもしれないなあ、なんて思う。
 そして、5月に入って息苦しくなりはじめているであろう一定数の教師というのは、そもそも教員世界の空気に合わないせいじゃないのか、なんてことを、先に紹介した上原が描いている、さまざまな人間社会と関連させて、しばらくぼんやり考えていた。

○穂村弘『短歌の友人』(河出書房新社、2007年)

 別に穂村弘がヘタレで、そんな歌に共感する人が多いから売れているわけではなく、深い知性のある人物であるということを、この歌論を紹介することで表明しておく。こちらも再読。この本で穂村は第19回伊藤整文学賞を受賞した。
 現在、穂村は若手歌人のカリスマとなっているわけなのだが、それはそれで納得のいく歌論集。現在の若手歌人の歌をこれほど的確に論じているのは、40代以上の歌人(氏は1962年生まれ)のなかで、氏の他にはいない。他のベテラン歌人の若手歌人に対する論評を見よ。彼等は、若手の歌を全く批評できていないではないか。ある者は、「短歌以前」と切り捨て、ある者は「わからない」と立ち往生し、ある者は論評の俎上にすらあげない。
 そんななかで、穂村のような現代短歌の論評はまさしく希有。現在の歌壇というのは、旧来の結社での活動と中心とする世界と、ネットなどを発表の場とする歌人達とのそれぞれの世界が、穂村を介して接続されているといっていいだろう。
 最近では、完全に若手もベテランも、現代短歌の評論については穂村の論評からの引用がすこぶる多い。こうした全方位的に信頼されている状況というのも面白いと思う。

○岡田尊司『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書)『アスペルガー症候群』(同)『人格障害の時代』(平凡社新書)

 少しは仕事に関係するのも読んでおこうということで、岡田の3冊。やっぱり岡田の本は読みやすい。新書なのだから、一般読者向けにわかりやすく書くというのは、とても大事なこと。ただ、猛烈な勢いで書き進めている感じがして、やや論述は乱暴かなという印象。けれど、大枠で見てトンデモ本というわけでもないだろうから、入門書として読むには適している。

 他にも、仕事にかかわるのもいくつか読みましたが、今回、これといった収穫はありませんでした。
 今年の連休に関して言えば、特別支援学校の教員が読む本としては、やや偏向していたかもしれませんね。


年の瀬である

2010-12-31 17:16:36 | その他
 年の瀬である。
 年末の時間を利用してやりたいことが山ほどあったのだけど、結局、今年も大掃除で終わってしまった感じでありました。
 今年1年を振り返る間もなく、年が終わろうとしています。
 来年もこうやって私は、ダラダラと過ごすのでしょう。
 
 それでは皆様よいお年を。
 来年も、毎週金曜更新で書き連ねていきますので、よろしくお願いします。

『教師力BRUSH-UPセミナー』のお知らせです

2010-11-19 20:51:40 | その他
 私も参画させていただいております、『教師力BRUSH-UPセミナー』の案内でございます。
 『教師力BRUSH-UPセミナー』につきましては、力量のある教師の方々が精力的に活動をしておりますが、ここでは、私に関係する「教師力BRUSH-UPセミナーin名寄」と「第31回 教師力BRUSH-UPセミナーin札幌」の2つのセミナーをお知らせいたします。


教師力BRUSH-UPセミナーin名寄
日 時:201011月27日(土)
場 所:ふうれん地域交流センター(愛称/風っ子ホール) (名寄市風連町本町62番地2) 参加費:3000円
主 催:教師力BRUSH-UPセミナー
後 援:北海道教育委員会
「言語活動の充実」が声高に叫ばれ,道研や局の講座も全道各地で行われている中,皆さんも「言語活動を取り入れた授業をしな
きゃ」と思っていませんか?「ただ闇雲に『言語活動例』として示されているものを授業の中に取り入れても…」と思っていませ
んか?そこで,言語活動を充実させるためには,なぜその言語活動を行うのか(WHY)ということ,そして,そのためにはどのよう
なことをすればよいのか(HOW)ということを意識しておく必要があります。その両方を主要4教科の模擬授業を受けながら,一緒
に考えてみませんか?
【日程】
9:00- 9:15 受付
9:15- 開会セレモニー
9:20-9:50 オリエンテーション
「言語活動の充実に向けた国語科教師から各教科への提言」
堀裕嗣(札幌市立北白石中学校)
9:50-10:20 グループワーク
「言語活動の充実に,私たちはどんな課題を抱えているのか洗い出そう」
司会 太田充紀(名寄市立智恵文小学校)
10:30-11:00 模擬授業1
「言語活動(話すこと・聞くこと)を取り入れた国語科授業」
授業者 大西陵公(名寄市立中名寄小学校)
11:00-11:30 模擬授業2
「言語活動(話すこと・聞くこと)を取り入れた算数科授業」
授業者 山口淳一(札幌市立藻岩北小学校)
11:30-12:30全体協議 「言語活動(話すこと・聞くこと)」についての検討
司 会  細山 崇(名寄市立智恵文小学校)
指定討論者  石川 晋(上士幌町立上士幌中学校)
高橋裕章(札幌市立藻岩小学校)
高橋正一(稚内市立富磯小学校)
12:30-13:30 昼食休憩
13:30-14:00 模擬授業3
「言語活動(読むこと・書くこと)を取り入れた社会科授業」
授業者 太田充紀
14:00-14:30 模擬授業4
「言語活動(読むこと・書くこと)を取り入れた理科授業」
授業者 細山 崇
14:30-15:30全体協議
「言語活動(読むこと・書くこと)についての検討」
司 会  山口淳一
指定討論者   山下 幸(札幌市立上篠路中学校)
南山潤司(札幌市立南小学校)
桑原 賢(北海道鷹栖養護学校)
15:40-16:40 全体シェアリング
司 会  桑原 賢
指定討論者  堀裕嗣,石川晋,南山潤司,高橋裕章,山下幸,高橋正一
16:40- 閉会式
17:30-19:30 懇親会
【お申し込み先】
名寄市立智恵文小学校 太田充紀(おおたみつのり)
FAX 01655-3-4613
Email mitsuohta1974@gmail.com


第31回 教師力BRUSH-UPセミナーin札幌
特別支援教育の現在~ 現場から発信する、特別支援教育 ~

 教師力ブラッシュアップセミナーが満を持して行う特別支援教育セミナーです。
 講座のほとんどに実際に映像資料を活用し、わかりやすく提案します。

○日 時 2010年12月19日(日)9:30~16:00
○場 所 札幌市・白石区民センター 1F会議室
  札幌市白石区本郷通3丁目北1-1
○主 催 教師力BRUSH-UPセミナー
○後 援 北海道教育委員会
○参加費 2000円
   ○定 員 30名
【日程】
9:00~9:20  受け付け
9:20~9:25 開会セレモニー
9:30~10:20
 第一講座「インクルージョン発想で学級・授業を創る」
  NPO「授業づくりネットワーク」理事 石川 晋
10:30~11:20
 第二講座「インクルージョン発想で支援学級を創る」
  留萌市立東光小学校教諭  梶 倫之
11:30~12:20
 第三講座「インクルージョン発想で交流の場を創る」
  札幌市立中央中学校教諭、NPOにわとりクラブ  柏葉 恭延

昼食

13:20~13:50
 第四講座「特別支援教育をめぐる論点を整理する-到達点と課題、方向性-
  北海道鷹栖養護学校教諭  桑原 賢
14:00~14:30
 第五講座「個別支援とお友達支援‐支援学校の視点から」
  北海道紋別養護学校教諭  湯藤 瑞代
14:30~15:00
 第六講座「個別支援とお友達支援‐一般校の視点から」
  砂川市立砂川中学校教諭  平山 雅一

15:10~16:00 第七講座:講師陣に何でも聴こう Q&A
  答える人  講師陣
  ファシリテーター:洞爺湖町立とうや小学校教諭  水戸 ちひろ

 詳しくは、下記をご覧ください。
http://new-brush-up.blogspot.com/2010/11/in20101219.html

【お申し込み方法】
 以下の7点をお書きの上,石川晋まで下記Eメールにて御連絡ください。
1.氏名/2.勤務校/3.郵便番号/4.住所/
5.電話番号/6.FAX番号(ない場合には「なし」と明記)
6.メールアドレス

 石川 晋(いしかわ・しん) E-mail:zvn06113@nifty.com




なぜ研修する場をつくるのか

2010-11-12 20:28:46 | その他
1 きっかけ

 私が、ブラッシュアップのような、いわゆる民間研修団体にコミットするようになったきっかけはというと、今を去ること一四年前、うら若き青年教師の頃にさかのぼる。
 当時、新卒教師の私のもとには、とある先輩教師から、研修案内が毎年郵送されてきていた。
 それは、授業づくりネットワーク大会の案内。しかし、当時の私は部活動の主顧問の身の上。休日に研修に参加するなんていうのは無理な話。なので、送られてくる案内に目を通しながらも、そのままほったらかしにしておくのが常だった。
 しかし、この先輩教師からは、毎年きちんと授業づくりネットワーク大会の案内が送られてくる。また、ネットワークの案内だけではなく、この先輩教師が主宰しているサークルの例会案内やら例会報告やらも送られてくることもあった。さらに、サークルの例会案内やら例会報告やらにとどまらず、その先輩教師が発行している個人通信までもが送られてくることもあった。
 これが続くこと三年間。この間、私は、一度もこの先輩教師と顔を合わせることはなく、また、お礼の葉書一枚出すこともなかった。
 私が転勤をしたのは新卒から数えて四年目のとき。この年の七月に、この先輩教師の主宰するサークルにふらりと顔を出したのが、現在の私につながる出発点であった。
 確か、この時は、お互い顔を知らなかったから、名乗りが最初の一声だった。
 なので、私が民間研修団体にコミットをしはじめたきっかけというのは、三年間ひたすら私を誘い続けたこの先輩教師によることは間違いない。
 ただ、そこから先は、自発的にサークルに賛同して活動しているわけであるから、「なぜ研修する場をつくるのか」の一つ目は、月並みであるが「自分の向上のため」ということに尽きるだろう。

2 活動に参加して

 さて、実際に活動に身をおいてみたら、どうなったか。
 まず、気分としては、とても勉強したような気になった。それから、ああ、参加してよかったなあという、充実感に満ちた気分にもなった。
 当時の私は、自分の未来は拓けていると理由もなく思っていた、向上心溢れる二十代の若手教師。はやく一人前になりたくて、闇雲に仕事をしていた。
 勤務地は山並みの映える過疎の町。学校現場では失敗ばかりを繰り返し、同僚とはけんかをし、にもかかわらず尻ぬぐいをお願いし、遅くまで同期の連中とだらだらと生産的であり非生産的でもある仕事をし…という、ポジションは一人前だけど、力量は半人前であたふたしていた、という毎日を送っていた。
 もちろん、学級経営や教科経営や生徒指導はうまくいくはずもなく、いっぱい悩みを抱えて、民間研修に参加していた。
 この頃、民間研修に参加するのは楽しかった。今、振り返ると、あの頃が私の教員人生の中で、もっとも幸せだったかもしれない。
 民間研修の場には、道内道外の、その名の知らぬものは誰もいない、超一流の教師が講師としてやって来ていた。まさしく綺羅星のごとくトップスターが私の目の前にいたのである。
 参加するたびに興奮していた。そして、自分はいっぱい勉強した気分になっていたのだった。
 現在でもなお、このブラッシュアップでご一緒させていただいている諸先輩方とも、この時期に出会った。いまから、十年前の話である。
 そういうわけで、「なぜ研修する場をつくるのか」の二つ目は、これもまた月並みではあるが、「一流の教師から学ぶため」である。

3 現在

 教師を十年もやると、たいした努力もしなくとも、普通の教師なら普通に一人前になる。そりゃあそうだ。三十代の半ばにもなって、自分はまだまだ半人前ですなんて思っているのがいれば、そんなの教師辞めちまえというものである。
 ここでいう一人前というのは、こういうことだ。
 それは、生徒指導なり学級経営なり、大きなミスもなくつつがなく仕事をし、学級経営に関しては、この先、絶対に学級崩壊はしないという保障はないが、多分、しないと思われ、あるいは、崩壊学級の後任を任されたとしても、嫌だけれども断わらず、学年・学校経営も、与えられた仕事は無難にこなし、何か提案せよといわれたら、自分なりの方策を持って提案する…、という、何のことはない、ごくごく普通の平々凡々の教師のことである。
 私も三十半ばとなって、ごくごく普通の教師となった。
 そうなると、これまでコミットしてきた民間研修との関係はどうなるか。
 それは、私のなかでのプライオリティが急降下するのである。
 そもそも教師の仕事自体、私の人生の中でのプライオリティが下がる。できることなら、さっさと家に帰りたいし、年休とってサウナに行きたいし、休日は子どもを連れて動物園に行きたいし、夏休みは家族旅行をしたい。
 家庭や余暇のほうが、仕事よりもずっと大切になる。
 そんなところに、民間研修が入り込む隙間なんていうのは限りなく狭くなる。
 それに、三十代半ばともなると、自由に使えるカネがほとほと少ないというのも現実だ。
 民間研修に参加するというのは、実際、少なからずカネがかかる。この研修の参加費というのは、家計の支出項目でいうと、食費を削ってそれに充てる、というわけにはならんだろうから、恐らくは教養娯楽費のなかで充当するというになる。そうなると、民間研修に参加するか、子どもと動物園に行くか、という選択を迫られるケースが生まれるわけで、こういう選択になってしまうと、絶対に民間研修には参加できないということになってしまうのだ。
 こうした理由により、ここ数年間、私は民間研修にほとんど参加しなかった。特に、去年までの丸二年間は、まったく参加しなかった。
 参加しないで、何か、学校の業務に差し障りがあったかというと、何もない。
 もう、研修に参加しなくとも、つつがなく仕事ができる歳になったのだ。仕事で悩みを抱えるなんてこともなくなった。仕事上の課題はすべて、すでに経験していること。だから、なるようにしかならんという、極めて現実的な結論となり、悩むまでに至らないのである。
 つまりは、教師としてアガってしまったわけで、何を今さら民間研修かという気分なのであるが、こんな不埒な教師にもかかわらず、こうしてブラッシュアップの同志の皆さんから、声をかけていただけるのであるから、実にありがたいことである。
 私は、ブラッシュアップのメンバーのなかで、現在、もっともココロザシが低いと自信を持って言えるのであるが、そういう私でも、こうしてこの場にコミットしているのは、やっぱり十年以上に渡る諸先輩方を含めた仲間と繋がっているという僥倖による。こうやって、ひねくれたことを言ってはいても、仲間と繋がっているというのは、何より嬉しいものなのだ。
 そういうわけで、「なぜ研修する場をつくるのか」の三つ目は、これもまた月並みであるが、「仲間と繋がるため」である。
 以上、「なぜ研修する場をつくるのか」には、「自分の向上のため」「一流の教師から学ぶため」「仲間と繋がるため」の三つをあげる。

教師力ブラッシュアップサマーセミナーin札幌のご案内です

2010-05-28 14:08:04 | その他
 北海道の教師集団による研修会「教師力ブラッシュアップサマーセミナーin札幌」の案内です。
 私も、縁あってこのセミナーに参画させていただいております。
 
 申し込み、詳細はこちら。
 教師力ブラッシュアップサマーセミナーin札幌2010.7.28/29 メイン講師:土作彰、赤坂真二



【テーマ】:  <「学び」を根幹に据える教師像>の提案
【主 催】:  教師力ブラッシュアップセミナー
【後 援】:  北海道教育委員会、札幌市教育委員会
【日 時】:  2010年7月28日(水)29日(木)(部分参加OKです)
【場 所】:  札幌市・札幌コンベンションセンター
【参加費】:  両日参加6,000円。一日参加4,000円。
【メイン講師】:赤坂真二氏、土作彰氏
【申し込み】: mumomorush@gmail.com へメールか、01564-2-3870 へFAXで参加希望の連絡を。折り返し詳細をご連絡します。

<7月28日(水)>
10:00~11:00
○全体演習:二日間の「学び」の構えを共有する~全員が参加する「校内研修会」づくりを例に~
 ファシリテーション:石川晋(上士幌町立上士幌中)
11:15~12:15
○第一講座:「学び」の本質と向かいあう(一回目)
 A 土作彰「現場の実践者として『学び』とどう向かいあうか」  QA 森岡達昭(足寄町立足寄小)
 B 赤坂真二「大学の実践者として『学び』とどう向かいあうか」 QA 高橋和寛(芦別市立啓成中)
12:15~13:30 昼食
13:30~14:30
○第二講座:「学び」の本質と向かいあう(午前に聞いた講師と逆の講師のお話を聞いていただきます)
 A 赤坂真二「大学の実践者として『学び』とどう向かいあうか」 QA 太田充紀(名寄市立智恵文小)
 B 土作彰「現場の実践者として『学び』とどう向かいあうか」  QA 山口淳一(札幌市立藻岩北小)
14:45~16:00
○第三講座(選択です):教室を「学び」の場にする授業~模擬授業&ストップモーション検討会 1
 ・国語:模擬授業者   坂本奈央美(松前町立松前中)
     指定討論者    山下幸(札幌市立上篠路中)&堀裕嗣(札幌市立北白石中)
 ・総合:模擬授業者  兒玉重嘉(札幌市立藻岩北小)
      指定討論者  大野睦仁(札幌市立厚別通小)&山本和彦(石狩市立若葉小)
 ・道徳:模擬授業者  細山崇(名寄市立智恵文小)
      指定討論者  高橋裕章(札幌市立藻岩小)&三浦将大(福島町立福島小)
 ・学級活動:模擬授業者 木下尊徳(陸別町立陸別小)
      指定討論者  小林智(旭川市立旭川第二中)&南山潤司(札幌市立南小)
16:10~16:40
○全体講座:今日一日の「学び」を共有する
 ファシリテーター:山寺潤(今金町立今金小)
 指定討論者:土作彰・赤坂真二・太田充紀・水戸ちひろ(洞爺湖町立とうや小)・
       工藤信司(白老町立萩野小)、桑原賢(北海道鷹栖養)

<7月29日(木)>
9:30~10:30
○第四講座(選択です):「対話」を通して考えたい教育課題
 A 赤坂真二、高橋裕章  若い教師を育てる
 B 土作彰、大野睦仁   教師の生き方、生徒の未来像を問う
 C 堀裕嗣、桑原賢    教育現場の問題点を分析する
 D 南山潤司、三浦将大  理数系教科の学力を構築する
10:45~12:00
○第五講座(選択です):「学び方」指導を提案する授業~模擬授業&ストップモーション検討会 2
 A 国語:  模擬授業者 森岡達昭     指定討論者:山下幸&小林智
 B 学級活動:模擬授業者 水戸ちひろ    指定討論者:石川晋&大野睦仁
 C 理科:  模擬授業者 兒玉重嘉     指定討論者:南山潤司&太田充紀
 D 算数:  模擬授業者 細山崇      指定討論者:山寺潤&山口淳一
12:00~13:10 昼食
13:10~14:30
○第六講座(選択です):演習 北海道の教師の「学び」をサポートする
 A土作彰:「土作流子どもが伸びる学級づくり~全ての教育活動で子どもを育てる~」Q&A 木下尊徳
 B赤坂真二:「赤坂流子どもが伸びる学級づくり~全ての教育活動で子どもを育てる~」Q&A 山本和彦
14:45~16:00
○全体講座:シンポジウム 二日間の「学び」を深化する
 ファシリテーター:太田充紀、 ファシリテーショングラフィックス:高橋和寛
 シンポジスト:赤坂真二、土作彰、山寺潤、坂本奈央美、三浦将大

【お申込み】
 次のメールまたはFAXに、「教師力ブラッシュアップサマーセミナー」参加と明記の上、下記のメールアドレスまたはFAX番号をお知らせください(石川晋宛)。折り返し詳細のご連絡をいたします。なお、3日以上返信がない場合は、通信事故が予想されますので、恐れ入りますが、再度ご連絡ください。
事務局:石川晋 mumomorush@gmail.com  または、FAX01564-2-387

世の中は連休が終わりましたが

2010-05-07 05:14:28 | その他
 今年の連休は、ダラダラ読書ができた。
 5日間も休みがあったから、とてもダラダラ。
 家族で出かけたりしたので、実際、読書ができたのは2日間程度だったけど、それでもこんな感じの本を読んだ。
 吉松隆と片山杜秀の著書、どちらも音楽関連。短歌雑誌。ブックオフで買った浦沢直樹の「モンスター」全巻と「20世紀少年」10巻まで(小遣いの限られた大人なので大人買いはできず)。映画『愛を読むひと』をレンタルで観たので、原作『朗読者』の再読。『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文藝春秋、2010年。私はこの書名を新聞広告で見たときに、もう降参!という気持ちになった。朝日新聞の記者の考案とのことだが、すごいなあ)。少しは教育書も読まんといかんだろうということで、クロネコヤマトで届いたケーアンドエイチの特別支援教育専門書をこれらの合間に読んだ。
 こうやってまとめると、私は随分と読書家のようにも思えるが、全然そんなことはなく、単にダラダラ読むのが得意なだけとのこと。
 大体、今、住んでいる家に引っ越ししてから、本棚はもう買ってはいけませんと妻に厳命されてしまい、そうなると、もう死ぬまでに購入できる本は必然的に限られてしまい(いや、今ある本を処分すれば別ですけど…)、いきおい新書と文庫と雑誌ばかりになるということで、だいたい本を容積で買うような奴を読書家とは誰も言わないのである。
 ただ、こうやって読み散らかすと、全然関係のない書籍から変な関連が生まれたりして、それが面白かったりする。
 今回でいうと、『ゲゲゲ…』に所収されていた、手塚治虫の漫画『ペックスばんざい』という読み切り。初出は1969年の週刊誌のようだ。大人向けの漫画で、漫画の神様に似つかわしくない下世話で性的なストーリー。タイトルのペックスというのは、下ネタのアレとアレをくっつけた、手塚治虫の造語。
 そんな漫画と、その合間に読んでいた自閉症教育関連の書籍にでてきた「PECS(ペクス)」とが私の中で見事にリンクした。一応、説明しておくと、ペクスとは、自閉児に対して有効とされる絵カードを使ったコミュニケーションシステムのこと。もちろん、性的な単語とは一切関係がない。
 手塚治虫の秘作品と自閉症教育の専門用語が、ほぼ同時に読んだ書籍から類似しているという発見ができるのも、私のようなダラダラ読みの成果であろうと思っている。


喫茶店が閉まる

2010-03-26 06:02:18 | その他
 ここのところ、教育Blogとは名ばかりで、単に私的なことばかりをつづっているような感じでありますが、今回も私的な話です…。

 高校生の時分から通っていた喫茶店が、この3月末に店を閉じることになった。
 はじめて行ったのは、高校1年の初夏だった。吹奏楽部の先輩に連れられて、何人かとその喫茶店に入った。2時間くらいダラダラといたと思うが、そこのママはニコニコしながら、コーヒーのお代わりをくれた。私が、喫茶店でコーヒーを飲んだのは多分、これがはじめて。3杯くらいお代わりをくれて胃が痛くなったのを覚えている。

 この喫茶店は、代々の吹奏楽部の部員が足繁く通う場所で、私もすぐに通うことになる。
 部活が終わった後に足を運び、引き続き同じ仲間とそこでダラダラと喋るのが常だった。
 バカ話をすることもあれば、真面目に部活の行く末について熱く語ることもあった。
 当時、この店のコーヒーは250円。スパゲティミートソースは400円だった。おそらく、当時の市内中心部の店のなかでは最低価格だったろう。折しも、竹下登内閣が消費税3%を導入した時期で、それに乗じて飲食店は一斉に値上げをしたものだが、この喫茶店は違った。「消費税分を取ろうとする店って、何様のつもりよねえ」とママが言っていたのを今でも覚えている。
 部活が終われば、決まってここ。安くて、長居ができて、歩いて5分のこの店は、私たちの格好の居場所だった。
 そして、これが不思議なのだが、当時、この喫茶店は年中無休。いつでもやっていた。平日は朝の7時半から店を開いて、会社勤めにモーニングを出し、日中はもちろんやっていてランチを出し、夜はなんと9時まで開いていた。土日は閉まる時間は午後5時だったと記憶している。そして、カウンターにはママは必ずいた。というか、ママが一人でこの店をきりもりしていた。ママは、旦那さんがいて、当時は高校生のお子さんもいた方。一体、どうやって時間をやりくりしていたのか、今となっては全く不思議なことだ。

 私は高校を卒業し、市内の大学に通いはじめた。
 自転車から中古車に代わったものの、週に1度は顔を出しカウンターに座る。そして、酸味の強いコーヒーを飲み、キャビンマイルドを吸い、ビックコミックオリジナルとヤングジャンプとヤングマガジンを読む生活を6年間続けた(私は大学に6年いた)。高校時代と合わせて9年間通い続けた。なので、この喫茶店のママは、私がガキから大人になるまでの私の成長を母親の次によく知っている方といっていいだろう。
 もちろん、私だけではなく当時の吹奏楽部員は男女ともみんな、高校を卒業したって、ママを慕っていた。ママはわれわれの名前を「ちゃん」づけで呼んでくれた。
 正月に誰かが帰省したら、1月2日の昼間に集まった。正月の昼間に、われわれのために店を開けるママもどうかと思うが、当たり前のようにわれわれは集まり、新年のあいさつをした。成人式には、式典の帰りに店に寄って写真をとった。ガールフレンドとのデートもここだった。われわれは彼女や彼氏ができればママに紹介をして、別れた報告もカウンター越しにするのだった。

 教員になってからはさすがに、毎週のように顔を出すことは無くなり自然に足が遠のいた。けど、やっぱり結婚をしたときには妻を紹介しに出向き、転勤が決まったときは報告をしに出向き、子どもが生まれて歩きはじめたら子どもの顔をみせにいった。ママは私が子どもを連れてきたときには、たいそう喜んでくれた。
 気がつけば、店には、もう私たちの頃のような高校生の姿はなかった。もちろん、今でも高校は歩いて5分のところにあって、吹奏楽部もさかんである(私の教え子も所属している)。けど、高校生には、もう喫茶店でラダダラと過ごすという文化はなくなったようだ。
 ママも歳をとり、夜9時までの営業が夜7時になり、日曜日は閉店するようになった。
 そして、この3月の閉店である。
 聞けば、33年もの間、店をやっていたという。私は、15歳から通っていたから、23年間お世話になったのですね。
 そうですよね。いずれ、店を閉じる日が来るとは思ってはいましたが、やっぱり感慨深いものがありますね。だって、あの店は、まさしく私の青春そのものだったから。
 ありがとう、ママ! 
 いつまでも、お元気で!

私の恩師が退職となった~その2

2010-03-19 08:54:23 | その他
 私が社会科教育ゼミ生だった頃、『遠い「山びこ」』という本が刊行された(当時は、文藝春秋。いまは新潮文庫で売っているようだ)。
 これは、無着成恭の『山びこ学校』のその後を追ったルポルタージュで、著者は、佐野眞一。どこからどう読んでも、まさしく佐野眞一らしいノンフィクションなのだけど、この本について、私が学生の時分に、私の恩師が、これは面白い本だったと紹介したことがあった(私の恩師は、前回書いたとおり、馬に食わせるくらい本を読んでいたし、よく学生にいろんな本を紹介していた)。
 で、この本のどこが面白かったかというと、『山びこ学校』が刊行されてから40年後、無着とその教え子(もう、50歳を過ぎているわけだね)が対面して、当時の無着の教育実践について、教え子があれこれ語っていたというところ。
 無着というのは、『山びこ学校』で戦後まもなくの教育界の寵児となったわけだが、その実践について当の教え子たちはどう思っているか、その無着の教育観と教え子との齟齬や、『山びこ学校』で謳った理想と実際の教室で受けていた現実との齟齬なんかが、無着と教え子たちの座談会でつまびらかになっていくのだった。その辺りが、私の恩師が面白いと言ったのだった。
 私も、早速、読んでみて、なるほどねえ、と思った。
 学生だった当時は、その程度だったけど、教師になってから再読したことがあった。
 その時、私にとって何が面白かったといえば、この大人になった教え子が、無着の教育実践にああだのこうだの言うわけだが、無着はその教え子の主張に対して、ほとんど何も反論をしないところだった。
 これは、教師であればよくわかる。いくら無着ほどの大先生でも、一教師には違いがない。
 教え子が、教師に対して、それがたとえ批判であっても、当時の実践についてああだこうだ言うというのは、教師にとっては嬉しいものなのだ。そこら辺りは、さすがの佐野氏でもわかるまい。いうなれば、同窓会で当時の学校生活の話題に花がさくようなもので、教師は、それらについて腹がたつどころが、嬉しいのである。
 というわけで、ここから先は、教え子であった私が、大学教授であった恩師について、ああだこうだ言うことになるのだが、教師というのはかつての教え子が何を言っても泰然と構えていられることを教師の私は知っているので、気兼ねなく書き連ねることにしよう。
 以上、長い前フリでした。

 私が今回の恩師の退官にあたって思うのは、教員養成系大学の教官というのは、目の前にいる学生の「教師」のモデルとなっているということに、もっと自覚的であるべきであろうということだ。
 教員養成系の大学とその他の大学との大きな違いは、在籍している学生の多くが、卒業後、教師になるということである。
 教師というのは、採用されたら即、「教師」になるわけで、その時、多くの新卒の教師は少なからず戸惑うことになる。そして、あわてて「教師」のモデルを探す。それは、隣の教室の先輩教師かもしれないし、小学校や中学校のときの担任教師かもしれないし、テレビドラマの教師かもしれないし、塾の講師やクラブのコーチかもしれない。そして、そのなかには、当然大学のゼミの教官も含まれよう。で、この大学の教官というのは、新卒教師にとって、ついちょっと前までいちばん身近な存在だった教師なわけであり、「教師」のモデルには、格好の存在なわけだ。
 だから、大学教官といえども、研究者や教育者という一面だけではなく、「教師」モデルの格好の存在として、その身のこなし方なりが目の前の学生に少なからず影響を与えているということに、もっと自覚的であるべきなのだ。
 教育の専門家である教員養成系の大学教師が、「教師」モデルを示しているという自覚のなさというのは、問題にしていいことだろうと思う。それは、大学教員としての資質の問題ではなく、教員養成系大学の教員という職業への倫理としての問題だといってよい。
 
 というようなことを思うとき、私の恩師が、あるべき「教師」のモデルとして、自覚的に学生に対峙していたかどうかというと、私には疑問符がつく。
 それは、恩師が学生らに、自分の教育観を主張するような場面で顕著だった。
 たとえは、恩師は、先の退職祝賀会のスピーチで、自分とゼミ生との関係について「ギブ&テイク」であるというようなことを述べる。はじめ、私は恩師なりの謙遜の表現かと思ったが(そういう面は、多少あったと思うが)、恩師の教育観を端的に示す言葉といっていいだろう。
 果たして、このような主張が、「教師」モデルを示す教師としては適切か。
 このような考え方は、人間の生き方として、あるいは教育の論理としてもおかしくはないではあろう。あるいは、教育の研究者として述べるには、何も問題にすることではないだろう。しかし、「教師」のモデルとなる人物が、そのようなことを論じるのは倫理的に問題があろう。
 教育現場の世界というのは、論理として教師と生徒が「ギブ&テイク」の関係かもしれないが(というか、私は正論だと思うけど)、現実は、そんな論理で動いてはいない。教師は、常に与えるだけの立場である。子どもから見返りを求めるという考え方は、やはり現場にはなじまない。
 だから、普通の「教師」であれば、こと自分の教育実践に対して世の中「ギブ&テイク」であるなんて言ったら、教師としてのモラルが問われるから、普通、いわない。それを、スピーチの場で言ってしまう恩師は、教員養成系の「教師」としては、問題があろうと思う。つまり、教師としての立場として、そして、その立ち振る舞いや教育観が、「教師」のモデルとなっていることへの無自覚のあらわれであろうかと思う。
 他にも、私は学生の頃に、恩師の主張で記憶にあるのは、「日本の教育はドライであるべきだ」という主張。これは、「日本の教育はウェットに過ぎる」ということの裏返しなのだけど、こういうのも、市井の人間が言うのであれば別に問題はないだろうが、教員養成大学の教官が学生に言うのは倫理的に問題があるなあと今にして思う。
 現場教師だったら、仲間うちの会話ならそういうことを言ってもかまわないし、現場にいれば、そのような実感を持つこともママあるだろうと思うし、そういうときに、恩師の含蓄に尊敬の念を抱こうというものであるが、教職経験のない学生の時分に聞いたって、言葉通りのことしかわからないし、その言葉通りの意味を受け取って、「教師」になっても失敗するだけであろう。
 ところで、私の大学には、今でもそうだが、元は小中学校の教師だったという中年教官がちらほらいた。いわゆる現場あがりの方々であるが、こういう方々というのは、教師の世界ではエリートもエリート。当然だ。教師世界のアウトローが大学教官の道に進むなんてことはありえんだろう。で、こういう教官たちは、自分たちはエリートであるという意識はあったろうから、何か歩く姿勢も颯爽としていた感じだったね。で、そういう教官はみんな、やっぱり立ち振る舞いは堅かった。いつでもスーツとネクタイをして構内にいたと記憶している。(ああ、ちなみに、私の恩師は、当時、髪の毛はボサボサで、せわしなく歩き、腰にタオルをぶら下げている人だった。市民講座の受講で来校した私の知人は、最初、大学教官には見えずに、小間使いのオジさんが大学の説明をしていると思ったそうだ)。
 やっぱり、現場あがりの方々は、大学の教官になっても「教師」だった。
 そういう教官は、近い将来、教師になるゼミ生に、「教育はギブ&テイクだ」とか「教師はもっとドライであるべきだ」とは、間違っても言わないであろう。

 で、前回の終わりの話題に戻る。
 退職祝賀会で、恩師は教師としての心情をスピーチしたという、話題である。
 恩師が退職を迎えるにあたり、学生や卒業生を前にして、ずいぶんとまあ、あからさまに「教師」としての心情をスピーチしたものだから、私は、これまでの私の抱いていた恩師のイメージとあわなくて、強く印象に残ったのであった。
 恩師は、最後に最良の「教師」モデルとして、学生らに、とてもいいお話をしたなあと思った次第でありました。

私の恩師が退職となった~その1

2010-03-12 22:11:44 | その他
 私の大学時代の恩師が今月末で定年退職となる。
 私の恩師とは、地元の教員養成大学の社会科教育の教授。私は大学時代、この恩師のもと、教科教育学の社会科教育研究室に在籍をしていた。
 この教科教育学という分野については、説明が必要だろう。教科教育学というのは、教育学のなかの一分野。こいつは後発の学問分野で、読んで字のごとく、教科についての学問。つまり、国語とか理科とか保健体育とかという学校で教えている教科そのものについて研究するという学問だ。で、こいつは、学問体系からすれば、つい最近認知された学問で、私が在籍していたのは国立の教員養成大学なのだけど(以前は師範学校といわれていたヤツです)、そんな教育に関してはレッキとした大学にだって1970年代になってやっと研究室ができたという有様。そこに1980年になって赴任したのが私の恩師なわけである。
 であるから、恩師だって教科教育が専門ではなく、もともとは教育史バタケの人。確か、恩師の恩師は、津田左右吉の弟子だと言っていた。なので、私の恩師は津田の孫弟子にあたり、私は津田の曾孫弟子ということになる(もちろん、そんな呼称はない)。
 そういうわけで、恩師は社会科教育という学問分野のパイオニアみたいなもので、何もないところから、研究をはじめたといってよいだろう。

 恩師が退職までに残した単著は、一冊きりだった。15年前の著作だから今ではとっくに絶版となっている。研究者の業績というのは、とくに人文系のそれは、本を出してなんぼという感じが私にはするのであるが、そういう世俗的な評価には頓着しない人だった。私たちゼミ生は、恩師が社会科教育のなかでどれだけの仕事をしたかを知っている。雑誌原稿や紀要論文もそこそこ書いていたし、そのなかで、かなりセンセーショナルな議論をしていることも知っている。なので、これまでの論考を本に著して世に問うことも、十分に価値のあることだとは私は思うのだけど、そうはしなかった。
 なじみの編集者からも出版の誘いはあったそうだが、本人は、忙しいからという理由で断ったという。
 私に言わせれば、つくづく名誉欲の薄い人なんだと思う。普通、人間は歳を取って先がみえてくると、世俗的な名誉を欲するものだとも思うが、退職を迎える歳になっても、そんな欲はない人だった。気持ちはまだまだ若いのかもしれないね。
 なんてことを私が思っていたら、恩師は恩師で「ウチの卒業生は出世欲のない人ばかりだがら」と、別のゼミ生にボヤいていたという。
 ははは。それはそうだね。社会科教育に6年もいたのに、特別支援教育をやっている私のような半端者は論外として、卒業生で、堅実な実践を積み重ねて教師の力量を上げている人はいっぱいいるけど、上昇志向の強い人というのはいないかもね。研究者になったものもいない。総じて、穏やかな人が多い。
 師と弟子はやっぱり似るのだろうかね。

 恩師は博学だった。やたらと本を読む人だった。大学教授は本を読むのも仕事のうちだろうけど、それにしたって蔵書は多い方だったと思う。そもそも社会科なんていうのは、多種多様な知識の寄せ集めみたいな教科だから、恩師はその研究者として地でいっていたという感じだった。研究室やゼミ室の書架は様々なジャンルの本であふれ、おさまりきらない本は、廊下のキャビネットや研究室の床に侵蝕しはじめていた。この先、この研究室はどうなるだろうと、密かに楽しみにしていたのだが、残念ながら、大学の改築のため研究室は引っ越しとなり、この度の退職とで大方処分してしまった。
 博学であることと研究者としての実績とは、関係がないということは、今となっては私にもわかるけど、当時の学生にとっては、社会科教師というのはこれくらい本を読まんといかんのだなということは、どの学生も感じていたに違いない。

 今回の恩師の退職にあたり、卒業生や現ゼミ生が集まって、ささやかながら退職の宴を催した。それは、本当にささやかだったのだけれど(卒業生は、穏やかな人が多いから)、そのなかで恩師が、次のような中身の話をした。
 それは、かつて自分はゼミ生に対して怒ったことも多くあったが、それは、自分の指導がうまくいかなかったことの裏返しであり、自分への怒りがそのままゼミ生に向かってしまった、というような内容の話だった。
 このような話を恩師から聞けて、私は、今回の宴を催してよかったなと思った。
 この恩師の言っていることは、教師であれば誰でもよーくわかることである。つまり、恩師は、教師としての心境をわれわれ卒業生に語ったのである。
 これが私には、いちばんの印象深いことなのだが、この辺りのことについては、次回、稿を改めて書くことにしよう。(次回に続く)