としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

クロが死んだ日 2003年

2018-11-10 22:40:00 | 特別
クロが死んだ日

12月04日 木曜日 晴れ

 夜に母からメールが入る。タイトルは「お知らせ」で、内容は、
「悲しいお知らせです。今日クロが死にました。お父さんと裏の畑へ葬りお墓を作りました。慣れていたし、可愛かったのでさみしいです。母」

びっくりしてすぐに実家に電話をする。最初は「理由は?何で死んだの?」と聞けたのだが、どんどん涙が出て来て話せなくなった。途中で父と代わったが、その時にはもう話せなくなってしまっていて、父とは殆ど話さなかった。
父も最近体の調子が悪くて今日は寝ていたそうなのだが。

 母の話では、12月01日の朝にクロが餌を食べる場所に来ないので探すと、最初に餌をやっていた場所に寝ていて、クロを母が抱いて連れて来たが、口から粘液を出してぐったりしていたそうだ。

2日になると少し元気になり3日には寝床から走って出て来たので「クロ、良かったね、元気になったね。」と言っていたのだが、4日の今日、母が出掛けて家に帰るとクロはいつもの寝床には居なくて濡れ縁の下で死んでいたそうだ。まだ温かさが残っている様な気がしたと言う。

 多分どこかで変なものを口にしてしまったのだと思うが、「1日に様子がおかしかったのならどうしてすぐに病院に連れて行ってくれなかったの?」という言葉が喉まで出かかったが、一旦良くなりかけていたので、まさか死ぬとは思わなかったんだろうし、言っても、もうクロは戻って来ないので言うのは我慢した。
でもお酒に酔うと言うかもしれない。実家ではお酒は飲まないことにしよう。
ずっとクロを家の外で飼っていた両親だが、1日からは夜は家の中に入れていたらしい。私もクロと寝てみたかったな。

クロは今年の4月頃うちに時々来る様になった黒猫で(その頃はまだ体は小さかった)、私が帰省した8月に私が毎食ご飯をあげて抱けるまでに懐いて、それから4か月。考えてみると短い期間だが、特別人懐こい性格をした猫だったので、本当に可愛かった。
秋にクロに会いに帰省しておいて良かった。写真も沢山撮ってて良かった。

両親はクロが死んでとても悲しいので、もう動物は飼いたくないと言う。
今日は両親の結婚記念日だったそうだが、クロの命日にもなってしまった。 もう帰ってもクロは居ないんだ。

この日記を書いた後に、両親に「二人で結婚記念日を無事に迎えられて良かったですね。」というメールを送ったら、母から「有難う」というタイトルの返事が来た。

「お父さんもクロと同じ1日からです。(具合が悪いのが)幾らか良くなっていると思います。クロが身代わりになってくれたのではと思ったりします。としさんも楽しみが一つ少なくなりましたが元気に帰って来て下さい。母」
お正月に帰省したらクロのお墓参りをしよう。

ここまで書いた後にもぐちゃんが帰宅して、クロのことを話すと、
「猫は自然界のものを食べても死ぬことはないから、どこかで毒でも食べたんじゃないか。」と言う。まさかね・・・
クロは苦しかったのかな。何だかずっと長々書いてしまいそうなので、もう止めておこう。

宇和島東高校の同窓会 2003年

2018-11-10 01:00:00 | 特別
宇和島東高校同窓会の日記

2003年 8月16日 土曜日 曇り時々雨

★同窓会の流れ

午後5時  JR宇和島駅で受付開始
午後5時半 宇和島駅出発
午後6時半 江川崎駅到着、集合写真撮影(停車50分間)
午後8時41分 宇和島駅到着、解散

列車は3両編成で、後ろから1、2、3号車、2と3号車はトロッコ車両。
1号車は、普通科、理数科の男子
2号車は、商業科の女子(他の人も居たかもしれない。)
3号車は、普通科の女子、商業科の男子

★いざ同窓会へ

 夕方5時からの高校時代の学年全体の同窓会に出掛ける。
自分が同窓会に着て行こうとしていたスカートは「ぞんざい過ぎる。」と母から却下され、母のスカートを借りて行くことに。(爆)少し緩いけど、綺麗だからまあ良いかな。

駅まで父に車で送って貰うが、家を出るのが5時とぎりぎりになったため、慌てたせいか東京での同窓会の写真(奥野君、門脇君、信川君、山下君、渡辺君、私参加)を持って出るのを忘れてしまう。

今回の同窓会は、夕方5時にJR宇和島駅に集合し、予土線(伊予と土佐を結ぶ線)を3両借り切って宇和島駅から江川崎駅までを往復するというものだ。 

★宇和島駅に到着して

 宇和島駅に到着すると もうだいぶ集まって居て私を見て女の子達が(いくつになってもやはり同級生は女の子と呼びたい♪)「としちゃ~ん!」、「全然変わってない~!」と笑われた。(笑)実は自分では髪も伸ばして少しは女らしく進化したつもりだったのだが・・・やっぱり駄目か。(爆)
高校時代より体重は増えているのだが、印象としてはそうでもないらしい。元々太っているからあまり違和感が無いのだろう。

 同級生は、明らかに痩せた人が二人、佐々木さんと三好H子さん。
佐々木さんはすぐに分かったが、三好さんは大学時代に痩せたという話は聞いていたものの、ずっと会っていなかったので、私は痩せた姿を見たことが無くて、H子さんの方から挨拶をして貰うまで誰だか分からなかった。

彼女は親戚なので赤ちゃんの頃から知っているのだが、5月生まれの彼女と3月生まれの私ではいつも彼女の方が大きかったのに、今は私の方がずっ~と大きい。
少しふっくらしたかなという人は多いが痩せている人も居るし、おしゃべりしていると皆気分は高校生♪

  受付を済ませてシールの名札を受け取りTシャツに貼り付ける。名札には3年生の時のクラスとフルネームの名前、括弧書きで旧姓が書かれている。

★会場の3両編成の列車に乗って

 今日の会場であるJRの車両は全部で3両で、2,3車両がトロッコ列車で窓を背にして向かい合わせで座れる様になっているが1両目は4人掛けのタイプだ。

普通科女子は商業科男子と同じ3両目になっていて、前側に男子、後ろ側に女子が座る。
私は、向かいが水地M子さん、隣が山瀬S子さん、石田H美さん、近い席が渡辺Mさん、家串の千春さん、岩村R子さんで、少し離れて、三好H子さん、高山さん、佐々木さん、吉見S子さん、大野さん。

★まずは黙祷から

 亡くなった人達の名前が読み上げられ、皆で黙祷する。
何故亡くなったのか分からない人も居る。
自分が直接知っていた人は、中村Y志君、是沢K子さん、土居Y君。

1学年に10クラス有るとは言え まだ平均寿命の半分位なのに 沢山の同級生が亡くなっていることに驚いた。

★挨拶し合った皆の近況(敬語は殆ど使いません。)

 水地S子さんは、広島大学合格を知らせてくれたお兄さんの友達と 結婚して山口県宇部市に住んでいるそうだ。旦那さんは国語の先生という ことで、森山先生のことをよく思い出すらしい。お嬢さんがひとり。 彼女とは小学校時代の話を沢山した。考えてみると信川君同様、高校時代はクラスも違うし、もしかしたら一言もしゃべっていないかも。
実家が八幡浜なので宇和島まで来ることは殆ど無いそうだ。
渡辺K君の結婚をとても喜んでいましたよ。>こーちゃんへ

 山瀬S子さんは、宇和島市内で自営業(水産関係)の旦那さんの仕事を手伝っていて、子供は3人。上の二人は東高で、女の子は卓球部のキャプテンで下の男の子はテニス部だとか。彼女から東高のことを色々聞いたけれど、普通科が4クラスしかないと聞いてびっくり。少子化は確実に進んでいるのだと分かる。

 石田Hさんは、嫁ぎ先と実家との間に家が2軒しか無く、名前も石田から戸田に変わっただけで、殆ど変わらないと言う。だから前の名前と住所でもちゃんと郵便物は届くそうだ。
学校の先生をしていると聞いた。

 渡辺Mさんは、実家の日吉村で養子さんを貰って暮らしていると言う。子供は二人。元気にお母さんをしているという感じだ。

 家串の千春さんは高校生の頃と殆ど変わっていない人だ。多分1番変わっていないと思う。お化粧もしていないし、イメージもそのまま。平成の大合併で村民から町民になるのが嬉しいとのこと。彼女の言葉を聞いて、私は初めて彼女が村民だったことを知った。東高に来ている村の人は日吉村だけかと思っていた。

 こうして書いてみると、本当に近くの席の人としかしゃべっていないことに気が付く。ひとりひとりの近況報告が無かったので分からない。短くても良いから近況を聞きたかったな。

★食事とビールとウーロン茶

 食事は2段のお弁当で、1段はサンドイッチなど、もう1段は揚げ物主体のお弁当だ。
私は乗り物酔いするといけないので、サンドイッチの段だけを食べる。もう1段は「クロ(最近実家に来る様になった野良猫)が喜んで食べそうだな。お土産に持って帰ろう。」と思って残す。ごめんなさい。(笑)でも家で少しは自分でも食べました。

他には茹でた海老2尾と四万十川の天然うなぎが大皿で回って来た。
海老の説明もあった様なのだが、車内放送はおしゃべりであまり聞こえず聞き漏らした。

天然うなぎは一切れ2~3cmのを「二切れずつ取って下さい。」 とのこと。回って来る前に「わずかですが・・」と聞いていたが本当に わずかなので、思わず「これは日記ネタになりそう!」と笑ってしまう。 でも余ったとかで後でまた回って来たし、最終的にかなり余っていたので、 少なめだけど日記ネタにはならない位の量はあったんじゃないかな。 欠席者が多かったのだろうか。 
山瀬さんが「やっぱりスーパーのうなぎより美味しいわ。」と言っていたが、 冷めているので私にはよく分からなかった。
私の方が意地悪みたい。(笑)

1車両に二人ずつ世話をしてくれる若い女の子が乗っていてビールやお茶のお かわりを持って来てくれるのだが、中に今日の参加者の娘さんが居たそうだ。居酒屋を経営しているという女の子だった。

列車ということでトイレの数が限られているので、私はビールを止めて ウーロン茶を頼む。ビールを飲む人も多いけれど、酷く酔っ払っている人は 居ない様だ。

★江川崎駅に到着!

 全員降りて江川崎駅のホームで集合写真を撮影する。写真屋さんも 同級生だそうだ。暗いし雨でもあるし撮影はフラッシュがなかなか 焚けなかったりして大変だ。うまく写っていれば良いのだが。

ちなみに私は目を瞑る確率50%の実績通り1枚は目を閉じてしまった。
写真屋さんもうまく撮れたかどうか不安な様で、帰りの車内で 数人ずつ写真を撮った。そして写っていない人は居ないかと大変気にしていた。

★野中君にびっくり!(今回の同窓会での1番の驚き)

 江川崎駅のホームで理数科の野中A君に会う。彼は私を見るなり「ああ!○○さん!」と言って私の手を両手で握り、私はびっくり。
一目見て彼だと分かったにもかかわらず、あまりの雰囲気の違いに思わず彼の 名札を見てしまう。(爆)

彼とは家が近くて赤ちゃんの頃から一緒に遊んでいた仲で、中学3年の時に 同じクラスになったのだが、印象では「大人しくて真面目な人」だった。
それがこんなにも社交的な人になるなんて!
仕事は以前は映画関係の仕事をしていてNHKで映画解説をしていた時期も あったそうだ。それを聞いて現在の明るい雰囲気になったことを納得する。
でも、もしかしたら昔から実際は面白い人だったのかもしれない。
今は松山で薬の卸の仕事をしているそうだ。帰宅して両親にそのことを話したら「ああ、お父さんの仕事を継がれたのね。」と言っていた。

★「二人共おばちゃんにそっくりになって来たなあ。」

 小学校~高校が一緒の 上田H君の 私と岩村さんに 対する言葉である。
岩村さんは「としちゃんは昔から。」と言っていた。確かに私は昔から 母親にそっくりと言われている。

話は渡辺K君の呼び名に及び、上田君(ビンと呼ばれていた)は、 こーちゃんのことをずっと「いもこーじ!」と呼んでいたので、 「今更渡辺君とか こうじ君とか呼べない。」と笑いながら言う。
岩村さんが「こーちゃんと呼べばいいじゃない。」と言うが、
「こーちゃんなんて呼んだこと無いし。」とまたまた笑顔で答える。
卒業してからビンに会ったことはある?>こーちゃん

★幹事の高山さんにお願いをする

 10クラスの人数からすると少ないけれど、それでも結構な人数なので、 今日の出席者の名簿を作ってメールして欲しいとお願いする。
女子もそうだが、男子が殆ど分からないからだ。高校だけ一緒の人は特に分からない。
でも幹事さんは忙しそうだ。

★帰りの車内で

 母から借りたデジカメを江川崎駅で降りた時に活用しようと思っていた のだが、その時間が無かったので、取り合えず全車両を山瀬さんと回る。
山瀬さんの中学時代の友人が居れば取ってあげようと思っていたのだが、 城南中学校の人で親しかった人は居なかったらしく、結局カメラマン役を して貰うことになる。

 写真を一緒に撮って貰ったのは、小学校の陸上部で一緒だった山本S君、 2両目では、山口電気の山口T男君のお兄さんと結婚している濱渦さん、 小学校陸上のリレーで一緒だった上村H子さん(2番目のお子さんは 全国大会に出る位に走るのが速いそうだ。)、中学3年の時に同じクラスで、 東高校のマラソン大会で1年から3年までずっと2番だった山上Kさん(1位 の人は毎年変わるのに彼女はずっと2位だった。もちろん速いということ。) 

★1両目はなんとなく静かに感じた

 1両目に入ってすぐに近くにいた男の子達に 東京の同窓会で会ったメンバーの名前を並べて知っているかどうか 聞いてみたのだが誰も知らないと言う。全然知らないということは理数科 なのかな。

理数科の岡H君を見掛ける。顔の輪郭に特徴があるので、よく覚えていた。
もちろんお話をしたことは無い人。

それから奥に進むが分かる顔が無くて、顔の分かる車両の中央に居た人達と 写真を撮って貰う。
宇都宮T君は小学校で一緒だったから知っていて、猪野君は生徒会長 だったから知っていて、上甲T君は城東中学校の時の生徒会長だから 知っていた。

上甲君は寡黙で写真を撮ってと言い難くて撮らずに 戻って来てしまった。頭を坊主にしているのだけれど、茶髪と金髪の中間位の 色に染めているので結構目立つ。宇都宮君は髪が薄くなっているそうだが、 写真では帽子をかぶっているけれど、気さくに帽子を外して見せていた。
でも私は隣に座っていたので見なかったけれど。

顔が分からなくても画質を少し落として男子もどんどん撮ってくれば良かったと反省中。東京組の皆さんごめんなさい。写真屋さんの写真がアップされると良いのですが。

★帰りは2両目で大ビンゴ大会

 小学校の時に同じクラスだったスーツ姿の佐々木K君の司会で、ほぼ全員が2両目に集まってビンゴ大会に参加する。
佐々木君は小学校の時にはよく先生に叱られていたのに、立派になったなあ と感心する。

 JR四国やお弁当を頼んだ宇和島駅ビル内のホテルや今日の参加者からも 沢山の提供があって盛り上がる。
ビンゴになった人は前に出て自分の近況報告などをする。自分の知っている 人では石田Hさんと渡辺Mさん、上田H君が当たるが、元々近況を 知っていたので新しい情報収集にはならなかった。
自分はビンゴで揃ったことが無いので、最初から期待が無く、結果もその通りになった。

 このビンゴ大会の最中に、3両目ではギターを弾きながら歌うグループが、 1両目では静かにおしゃべりをしているグループがあった様だ。
私も帰りは行きにおしゃべりをしなかった人達とおしゃべりをした方が良かったかもしれない。でもビンゴ大会が良かった人も居るだろうから、難しい所かな。 

★校歌を合唱する

 ビンゴ大会の後でみんなで校歌を歌う。ふたりに1枚歌詞のコピーが 配られて、私は山瀬さんと一緒に見て歌う。
山瀬さんは子供が東高校生だからよく知っているが、私は 校歌と「思えば過ぎし」 のメロディーは分かるものの、もう1曲が全然分からない。聴いたことも無い。(そんなはずは無いので、すっかり忘れているのだなあ。)
みんなちゃんと歌っているので、忘れている私がいけない様だ。

今日は元野球部の緒賀君が中心になって歌ってくれた。
彼は高校を卒業する時に「体格が小さいのでプロは諦める。」と言っていたそうだが、今はアマチュアで野球チームを作って指導しているそうだ。
歌声も大きく結構良い声だった。

1~2年のクラスで校歌を歌う時にはいつも吹奏楽部の石山君がイントロを 歌ってくれていたことを思い出す。ところで、石山君て何の楽器を担当していたのだろう。河野K子さんはクラリネットだったかな。

★宇和島駅到着

 私は知らなかったのだが、5年毎にこの学年の同窓会は開かれているそうで、また5年後に会いましょうと言って9時前に同窓会は終了する。

次は普通科の人が幹事をして下さいとのことだ。
メールで連絡出来る様に なると随分便利になるのだけれど。
住所交換をしている人など名残を惜しむ人達を沢山見かける。

幹事さんが用意してくれている二次会もあるのだが、知っている人だけで話した方が良いかなと言うことで、そちらには行かないことにする。

岩村さんと私と山瀬さんで「もう少し喫茶店ででも話をしましょう。」ということになり、みんなを誘うが、小さい子供が待つから、すぐにまたJRに乗って帰らないといけないから、と言う風に帰りを急ぐ人が多く、結局3人だけになる。

駅から宇和島在住の山瀬さんの知っている駅前通りにある喫茶店まで歩くが、 既に閉まっていて、スーパー富士の隣に出来たレストランまで歩くが、 それでも喫茶店が無いので、近くに居た人に尋ねて結局商店街の中央あたりに ある南予文化会館近くにある「梨香」という喫茶店に入る。10時までと言う ことで1時間弱のおしゃべり。

★ささやかな二次会(喫茶店で)

 岩村さんが卒業アルバムを持って来てくれていたので、随分久し振りに 見ることが出来る。自分の写真を見ると、確かに今よりもっと太っている様に見える。

門脇君の奥さんの写真も見ました。優しそうな人ですね。>門脇君
門脇君自身はあまり変わっていない方です。
卒業アルバムのこーちゃんはとてもとても痩せて見えます。(笑)
山下君は大人しそうに写っています。今の方が男らしい感じです。
信川君はさらっとした髪で自分の記憶通りでした。
奥野君は、ぱっと見ただけでは分かりませんでした。岩村さんは、眼鏡を 掛けたらこうなるって納得すると言っていました。

 私が真剣に卒業アルバムを見ていたら、岩村さんが「としちゃん、まだ 名札をつけてる!」と教えてくれた。
駅を出てからずっと名札を付けて歩いて来たのだった。(爆)
岩村さんの洋服はシールの名札がすぐに剥がれるので何度も付け直した そうだが、私はTシャツで強い粘着力でしっかりと付いている。
とても恥ずかしくて大笑い。教えて貰わなかったらそのまま名札を付けて 家まで帰ったのだろう。

 岩村さんは2児の母、山瀬さんは3児の母。岩村さんの長男は中学3年生、 山瀬さんの長女は高校3年生。共に受験生の母親だ。みんな親として頑張って いるなあと感心する。

店を出る前に母に現在地を携帯で報告するのに「ここをどこだと言えば 良いのだろう。」と迷っていたら、旦那さんに電話をする山瀬さんが 「今は南予文化会館近くの喫茶店で~」と説明しているので私も真似をする。 私は思わず「旧大宮ホール前の・・・」と言いそうになっていたのだった。(爆)
昔はここに市役所があって便利だったのになあ。

山瀬さんはタクシーを拾って帰り、私と岩村さんは途中まで帰り道が 同じこともあって歩いて帰る。
今日来なかった人達の話もしながら歩く。

喫茶店を探して歩いている時もそうだったが、傘を差すほどの雨ではなく、 帰り道は止んでいた。
地元から離れた人はなかなか参加出来ないが、5年後にみんなが元気で同窓会に出席出来れば良いなあと思う。


マザー牧場 2003年 3月

2018-11-08 21:15:00 | 旅行
マザー牧場の日記

2003年 2回目のマザー牧場の日記

03月29日 土曜日 曇り時々晴れ

 2回目のマザー牧場へ行く。シーズンオフの前回の2月1日よりは春休みのせいか人は多くて盛り上がる。
春とは言え気温は低めで陽が陰ると寒い。

★まきば駐車場(1回700円)に車を停めて~

 入場チケット売り場には少し行列が出来ていたが、前回買ったパスですんなり入場する。
入場すると満開の菜の花に水仙やすみれの花々が咲く美しい公園が目に入る。
春だなあ。
でも桜はまだ咲いていない。

★触れ合い広場

 今日は羊は居なくて山羊の親子が外に出ている。落ちている草をとってやると食べてくれる。子山羊は可愛い♪
1頭の山羊が木で作られた山のてっぺんに上って「めえ~めえ~」と鳴いている。何を言っているのだろう。
兎小屋を覗いてみる。穴に入る兎、ちょこちょこ走る兎、寝ている兎、所々にモルモットも居る。

★乗り物には乗らず歩いて回る

 馬を見に行く。鉄の柵をかじっている馬が居て「ストレスが溜まっているのかなあ。可哀相だなあ。」と思う。
ここでは馬のブラシ掛けや乗馬も出来る様になっている。でも今日は見るだけ。

★羊の牧場

 道端に生えている草を取って差し出すと羊達が寄って来る。子羊達も沢山いて嬉しい。係の人が子羊達を牧舎に戻そうとするが、小屋に入りたくない子羊達がなかなか入らないのが可笑しい。

上の牧場に羊を移動させるために柵を開けて羊達を出すと、羊達は一斉に走って行く。でも途中で草の沢山生えている所で止まり食べ始める。そこへ牧羊犬がやって来て羊達を上の牧場まで追う。ここでは牧羊犬が活躍している。
丁度移動時間にここに居たので羊の近くに長く居られてラッキーだった。

★牛の乳搾り体験・牛の牧場

 今回は牛の牧場には行かなかった。たまたま通るという場所には無いので、行かないと牛は見られない。

★羊のステージショー(アグロドームシープショー)

 45分間の全部を見る。客席も満席で子供達も多く、大いに沸いた。
すべての羊の紹介をしてくれるのだが、ニュージーランド人のスコットさんの日本語はちょっと聞き取り難い。めんようの里に居るブラウンが「ブラックロマニー」という種類だと言うことが分かる。

1頭「お手」をする羊が居てびっくり。後で自分でもさせてみたが、1度だけ左足を上げてくれたが1回きり。何か合図が有るのかもしれない。

子羊のミルク飲み競争は、前回は3頭だったのが、今回は6頭で賑やかだ。
ショーの後はステージに上がって出演した羊達を撫でて遊ぶ。6頭の子羊の中の1頭が「めへ~」と可愛い声で鳴くのでみんな大喜び。「めへ~めへ~」可愛い♪

★子豚のレース

 今回は終わった後にレースに出た子豚達を見に行く。また手を噛ませて遊ぼうかなと思ったが、子豚は鼻を土で掘っていて、鼻の頭は土だらけなので止めた。

★羊の大行進・私の1番のお気に入り♪

 これが目当てで来たと言える位、羊と触れ合えるのが嬉しい。今回は春休み中のせいか子供達が多く、羊達を追いかけるので、走る羊が多い。1度羊に押されて転びかけた私。気付くとまた羊達に囲まれていて幸せ♪

★お昼ご飯

 展望館の3階にあるレストランには行列が出来ているので、バーベキューレストランで食事を取る。ノンアルコールビールを飲みながら、羊以外の肉を食べる。大勢の人達で賑わい、おなかいっぱい食べて満足。

★あひるの大行進

 鐘を鳴らすとあひる達がついて来る。あひると鴨と合鴨の3種類が居る。例外も有るが、殆ど同じ種類で集まって行動する。
これを見ている間は 曇って風も出て寒かったので、最後まで見ないで離れる。

★展望館のそばの羊達

 帰りに寄る。柵の中の羊達に生えている草を差し出すと喜んで食べる。1頭食いしん坊の雄めへへが居た。(笑)
おやつに食べたぽんかんの皮は少しは食べたがあまり好きではないらしい。めへへは大好きなのだけど。
めんようの里の羊より、ここの羊の方が綺麗で大人しい。夜は小屋の中で過ごすのかな。

★お土産

めんようの里のKさんへのチョコレートを、自分には牛乳饅頭を買う。
チョコレートはルックチョコレートに似ている。牛乳饅頭はミルク餡が入っているまあ普通のお饅頭かな。

  暖かい季節に来たつもりだったが、花冷えと呼ばれる寒い日になった。今度はいつ来ようかな。


札幌スキー旅行 2003年

2018-11-08 00:40:00 | 旅行
2003年札幌スキー旅行の日記

03月01~09日

同行者は無く、行きは全日空の1日乗り放題チケットを、帰りは超割チケットを利用して札幌へスキー旅行に出掛ける。

ホテルは去年と同じJR手稲駅に隣接する2周年を迎えた手稲ステーションホテルを利用する。
8日間のスキーのうち半分の4日間は札幌に住む清子さん(上級者)が付き合ってくれた。

03月01日 土曜日 横浜は雨、札幌は晴れ

 午前中にテレビニュースで航空機の離発着を管理するコンピュータのサーバがダウンして全国の空港で出発時刻が大幅に 遅れていることを知る。
私が予約しているのは15時発の千歳空港行きだが、2~3時間は遅れるのかもしれない。 と言ってもこちらも遅れて行くわけには行かないので、13時頃には家を出る。

空港ロビーに入ると、大勢の人達が電光掲示板の前で運行状況を見ている。朝からずっと待っていたのに欠航になったと 嘆く人や何時間も遅れたら行けても結婚式には間に合わないと言う人、出張なので他の交通機関に切り替える人など 様々だ。
今日は大安なので結婚式に出席する人もかなり居る様だ。

私は「欠航したら自分で呑めばいいや。」と思いつつ、友達へのお土産の日本酒を買い自分の14番搭乗口に行ってみると、 立っている人も多いが床に座っている人も沢山いて歩き難い位になっている。

人が多いせいだろう、暑くて暑くて堪らない ので「1時間遅れる」という掲示板を見て空いている15番搭乗口前ロビーに行き、サンドイッチを食べながら テレビを見て過ごす。
テレビでは森光子と土居裕子(高校の1学年先輩でミュージカル女優さん)が出ている舞台を 放送していた。

1時間経って搭乗口に行ってみると17番搭乗口に変更になったと書かれているので慌ててそちらに向かう。
「1時間程度の遅れで済んで良かったな。」と思っていたが、飛行機の中に入って座ってから離陸するまでに、これから また1時間半掛かった。その間もどんどん新しいお客さんが入って来る。前後の便が欠航したので、その便を予約していた 人かもしれない。自分の乗る便が欠航しなかったのはラッキーだった。

千歳空港に着いたらもう夜になっていた。新千歳空港駅から手稲駅まで50分、MDプレーヤーでショパンのピアノ曲を聴きながら 過ごす。

手稲駅はリフォームされていて大きく綺麗で便利になっている。駅構内にキヨスクが出来ているので、そこで 今日の夕食におにぎりやお酒を買う。

ホテルまでは雪道を通らなくても行ける様になっている。7階の部屋に着いたのは午後8時半だった。
どうなることかと思っていたが、無事札幌まで来ることが出来たなあとしみじみ嬉しく思う。

札幌に住んでいた頃のスキー仲間の清子さんに電話をすると、明日一緒に行こうということになる。
スキーをテイネハイランドスキー場に送っているので、初日はそちらに行くことに決定。あ~楽しみ♪

03月02日 日曜日 雪時々曇り

 朝8時45分に清子さんがダイハツのピンク色の軽四で迎えに来てくれる。タイヤも大きいし車内も広くて軽とは言え 結構大きい。

清子さんはスキー上級者なので1本目は 上級者ではない私のために楽なコースを滑ったが、楽過ぎてつまらないということで 1番きつい林の中の北壁コースへ行くことになった。
このコースの入り口には「上級者以外は行かない様にして下さい。」と注意書がある。
コースの上のトリプルリフトから見ると キツさが分からないのだ。

このコースへ行くのは私は3回目で前の2回は13年前に行ったもの。
今回 何とか転ばず下りて来たが、やっと下りたという感じ。このコースの上のトリプルリフトは、 強風のため止まっていたので人から見られているという恥ずかしさは無くて良かった。

 このスキー場は私が札幌に住んでいた13、14年前に2シーズンで130回も来たスキー場なのだが、 1本だけ殆どの人が途中駅で降りるので上まで行ったことが無いリフトがあった。その1番上まで今回初めて行く。

1回目は怖くて1度転んだが、2回目は転ばずに下りることが出来た。途中駅からのコースも上級コース (1972年の札幌冬季オリンピックの男女回転コース)できついのだが、上のきついコースを下りた後では 途中駅からの斜面は緩い様に見える。
いつもスキー場に行くと、緩いコースから段々きついコースへ上げて行くのだが、先にきついコースに行く方が 後が楽で良いのかもしれない。

強風のためリフトが麓の小さいリフトを除いて皆止まってしまい、ロープウェイには行列が出来る。1回は乗ったが 天候が回復しそうもないので、6時間券を買っていたが帰ることにする。

午後2時半にはホテルに戻り、清子さん以外の昔のスキーの友達3人に電話をする。
木曜日の夜に、清子さん、陽子さん、美津恵さん、そして私の4人で会うことに決定。年齢は少しずつ違うけれど、 同窓会に行く様な気持ちだ。

03月03日 月曜日 雪

 清子さんに迎えに来て貰って小樽へ行く途中にある朝里スキー場へ向かう。
車内で小樽天狗山スキー場の話になり、 あそこは上級コースはすべて最大斜度が40度以上あり、きついという話をすると、行ったことのない清子さんは 行きたいと思ったらしく、急遽行き先を小樽に変更する。

小樽天狗山スキー場はがらがら。霧で前があまり見えず、楽なコースから行くことにする。

初級コース(普通のスキー場だと中級コース)のロングランコース、旧コースという名前の中級コース (最大斜度は40度以上)、新コースという名前の上級コース。

この新コースに初めて行った時には 霧で自分の足元しか見えず、二人共初めてのコースなのでどういう斜面になっているのか分からず、とても怖くてなかなか 進めない。清子さんも見えないと怖いと言い、いつもいつも彼女に先に行って貰うのは悪いなと思い、勇気を出して 下りてみるが・・・・

元々怖くて腰が引けている上に、自分が予想していた以上の段差があったらしく、大転倒! 2回転はした様な気がする。 後頭部も強打したし軽いムチ打ちになったかもしれない、まずいなあと、この時は思った。
でも何事も無く今日17日を迎えたので大丈夫だったらしい。

スキーの1本は斜面の上の方に半分埋まった状態で刺さっていて清子さんに持って来て貰う。私が先に下りてて良かった。
私達以外には誰も来ないので、それからも恐る恐る下りて行くが、暫くするとパトロールのおじさんが来て、 「足元しか見えない状態だから気を付けて下さいね。」と言う。はい、気を付けます。(爆)

1度下りて暫くすると、少し見通しが良くなって来たので、もう1度さっきの上級コースに行ってみる。
斜面が見えるときついながらも怖さは無くて、下手ながらも今度は転倒すること無く下りることが出来た。 見えるって有難いことなのね。

後でリフト乗り場のおじさんに「さっき上級コースに行ってたね。」と言われ「はい、2回だけ。」と答えると、 「いやぁ~大したもんだ。」と言われる。おじさんは私の滑りを見ていないからなあ。
今日は私達を入れて10人位は来ていると思うのだが、他のスキーヤーはどこに行っているのだろう。

大転倒の精神的ショックも薄れて来て、折角来たのだからと1番きついダイナミックコースにも行ってみようという ことになり、行ってみるが、雪崩の危険があるとのことでコースは閉鎖されていた。

もう1箇所コースっぽい所があるが(コースでは無かった)圧雪されていない重そうな雪でかなりの急斜面。 上から覗いてみて、ここに行くと死ぬな・・・と思い、引き返す。

雪が重いとどうなのか分からないが、 清子さんは深雪が好きな人なので、彼女なら行けるんだろうなと思う。
何しろ 整備されたゲレンデは面白く無い、と言う人だから。

天候不良のため最初から4時間券しか買っていなかったので、10時から14時まで休憩無く滑り、スキー場を後にする。 

ホテルに着いて、手稲駅と繋がっている西友や専門店街で買い物をして過ごす。
前から探していたくまのプーさんの歯磨きセット、シール、プリクラ、初日のスキー時に暑かったので バーゲン中の長袖Tシャツ、多機能エプロン、そしてお酒を含む食料品。
しかし滞在期間中に暑かったのはスキー初日の2日だけで、買ったTシャツは結局使わなかった。

3月1日から4月上旬までが襟裳のボタン海老の漁の時期で丁度今が旬であり、スーパーのお寿司にも生のボタン海老が 乗っていて嬉しい。西友内の焼鳥屋さんの焼鳥も美味しい。ホテルの部屋には自由に使える冷蔵庫や電子レンジが 有るので便利だ。

03月04日 火曜日 雪後曇り後雪

 今日は私の誕生日。おめでとうメールが届いてみんなに感謝。そして今日のスキーは今回初めての単独スキー。

駅前からJRバスに乗りテイネスキー場へ向かうが、バスの中で「テイネハイランドは 天候調査中のため只今リフトは動いていませんのでお気を付け下さい。」と運転手さんのアナウンスが入る。
それで急遽手前のテイネオリンピアスキー場で降りることにする。しかし満員の乗客の中で降りたのが3人だけだった のには驚く。みんなリフトが止まっても行くの?
後で聞いた話では、やはりこの日は1日ハイランドはリフトが止まっていたそうだ。

オリンピアスキー場は札幌オリンピック時の聖火台が有る所で、聖火台アタックコースの上部だけがこぶの急斜面になって いるが、他は緩いコースばかりである。でも目的を持って練習するのには良いかな。リフト券は安い。

アタックコースは以前は滑ったこともあるのだが、今日滑っている人を見ると、がりがりと音を立てているし、こぶは かなり深いので行くのを止める。単独スキーになるとあまり急斜面には行かなくなる私。

リフト乗り場のアナウンスの「頭の上のバーをお下げ下さい。」の「お下げ下さい。」がどうしても「お食べ下さい。」に 聞こえて困る。(笑)
昼食はかなりの量の中華丼定食を残さず食べたので、夕食は少なめにしようと思っていたのだが、 全日空のツアー客のグループの「今日は寿司コースにする?海鮮コースにする?」「両方食べたいよね、後でラーメンも 食べたいね。」なんて話を聞いていると、よだれが出て来て、結局今日も寿司と焼鳥を食べることになる。(爆)

午後4時には雪が強く降り始めたので、少し早いがスキーを止めて午後5時15分発のバスを待つ。
その間に売店でかぎっ子というスキーの盗難防止用の鍵を買う。

帰りのJRバスは普段ならここは始発じゃないので座れないのだが、バスはがらがらで7人乗ってもまだ空席がある。
行きに同じバスで上まで行った人達の内2人は同じ帰りのバスにも乗っていたのだが、他の人達はどうしたのだろう。 と言うより、この2人はリフトが止まっていたのにずっと居たんだなあとびっくりする。

03月05日 水曜日 曇り時々雪

 清子さんとキロロに行く。ここに来るのは以前に7ちゃんと来て以来だ。

キロロは広い!時々吹雪くし、鼻の頭にしもやけが出来る位に寒い日だったが、ゴンドラやフード付きリフトなので 上がる間だけでも寒くないのは有難い。(テイネには無いので。)

清子さんが速いので、緩いコースは殆ど直滑降、きついコースも最後の3分の1は足が疲れて ターンするのがしんどくて直滑降。(爆)こんなに直滑降する日は初めてだ。

今日は面白いことが2つ。
一つ目は、重い深雪で左足をぐっと踏みこんだらパチンとスキーが外れたこと。転倒以外でスキーが外れたのは初めてだ。 もちろん、突然外れたので山側に倒れた。金具の締め方が軽過ぎるのも良くない様だ。でも倒れた雪の上は、ふかふかしていて 気持ち良い♪

二つ目は、深雪のこぶ斜面で後傾のまま進んでいて、体重が前に掛かった途端にスキーの先が雪に沈み込み、突然止まって スキーは止まっても自分の体は止まらず顔から雪に突っ込んだ。(爆)リフトからよく見える場所なので結構恥ずかしい。 スキーが外れず、そのまま下りられたのはラッキー。あの深さで外れたら履くのが面倒だっただろう。

後でリフトからその場所を見たら、あまり上手ではない女の子グループが転び回っている。でも、キャーキャーと とても楽しそうだ。みんなで転べば怖くない、と言うより楽しいかな。

後半はリフト乗り場やゴンドラ乗り場で待ち合わせをして、清子さんと別々に滑る。私はゲレンデを、清子さんは 深雪斜面に4回行く。上の方はとても良い雪でとても気持ちが良かったそうだ。

彼女はカナダに山スキーを楽しみに行く人で、ゲレンデで滑るスキーでは物足らないのだ。
私はゲレンデ外は余程スキーが進歩しない限り(爆)無理そうだ。

4時間券で滑り終えてから食事にする。その間に昨日買ったかぎっ子を使用する。使わなくても盗られそうにないけれど。 

今回2回目のいくら丼を食べる。私のいくら好きが清子さんにも分かった様だ。
また清子さんの運転で私はドライブを楽しみながらホテルまで送って貰う。道路は綺麗に整備されていて、高速道路を 使わなくてもスムーズに走れる。

03月06日 木曜日 晴れ

 ホテルの部屋の窓から見える朝日が美しい。
今日は単独スキーの日。テイネハイランドは雪質も良く(冬の雪)こぶも無く最高のスキー日和だ。
結局今回の8日間のスキーの中で、唯一の晴れの日になる。

しかしあまりに良い天気のせいか9時発のJRバスは満員でぎゅうぎゅう詰め。片道25分を立つことはしんどく なかったが、苦しい程に暑いのでバスが止まっている間に上着を脱ぐ。バスは土日は20分に1本有るのだが、 平日は1時間に1本しかないので、こんなに混むのだろう。

テイネハイランドでは今回初めて長めにリフト8時間券を買う。
今日はリハーサルだが宮様スキー大会が日曜日まで開催されるので、中心部に有る上級コースは一般客向けコースが いつもの3分の1と狭くなっている。
最初にリフトで1番上まで行ってからは最後に帰る時まで途中では麓に下りず、違う斜面に有る中級コースを 途中で止まらずに滑ることを繰り返す。
今日はかなり運動した実感有り。午後4時40分まで滑って5時10分のバスで 山を下りる。

一旦ホテルに戻り今日の待ち合わせ場所のススキノ交差点にあるサン・ローゼへ向かう。
今日は札幌駅南口が開発されて出来たJRタワー(大丸が入っている)のオープン日で、夜になってもかなりの人で賑わっている。

4人集まる予定が美津恵さんが急に来られなくなったので3人になる。私以外の清子さんも陽子さんももう来ていた。 二人共とてもおしゃれでスキー場での格好に近い私はかなり場違いだった。
みんなでスキー場通いをした頃から、もう12年経っているのだが、二人共変わっていなくて綺麗だ。

私の服でも入れるすぐ近くの居酒屋に入る。ここは私が両親と一緒に入ったことのある店で「漁場(あば)」と言う。 北海道産のものが沢山有りますよ!と看板が言っている店だ。

どぶろく、ほっけ、ほっき貝、野菜炒めなどを食べる。
私がほっけを頼むと「こんないつでも食べられるものをどうして頼むんだろう。」 と二人共思ったそうで、「横浜の近所のスーパーでは見かけない。」というと納得していた。1番食べたのは私だった。

清子さんはスキー、茶道、和裁、陽子さんはスキー、ゴルフ、ダイビングと多趣味な人達なのだが、陽子さんは今はやっていないと 言う。

スキーは2級でゴルフのスコアは90と結構上手なのだが、これ以上伸びないと思うと飽きてしまうのだそうだ。 器用だからかなあ。

スキー人口は減ってしまいスキー場でリフト待ちをすることも無くなったが、その分沢山滑ることが出来るので、 私は札幌に住む二人が羨ましい。スキーの様に楽しく長く出来るスポーツで横浜でも出来るものが有れば良いのだけれど。

食事代を二人に出して貰って、清子さんからは、いくらの醤油漬といずしをお土産に貰う。ごちそうさまでした。

帰りは一緒に地下鉄に乗って、私は札幌駅で降りJR線に乗り換える。
ホテルに戻るとスキー置き場にスキーがびっしり。テイネハイランドで開催される宮様スキー大会に出場する人達が泊まっているそうだ。 沢山の人が出るんだなあとびっくりしていたが、一人に付きスキーを3セット持っているそうで、人数は3分の1なのだと知る。 明日からが大会本番だ。

03月07日 金曜日 曇り後雪

 単独スキーの日。天気が今一のせいか昨日と同じ9時発のJRバスの混み具合は大したことは無いし座ることが出来る。

とても寒い日なのでリフトは6時間券にして、前半は上部の中級コースを中心に、後半は寒さと風のため初級のナチュラルコースや 林間コースで麓まで下りる。
障害者スキーヤーを二人見かける。車椅子の様なものに座って滑る人達だ。急斜面を上手に滑るので感心する。 私も障害者になってもスポーツをするのかな。

寒いので予定を早めて午後3時10分発のバスで帰ることにする。午後4時台のバスが無いのが残念だ。
3時10分発のバスは空いている。ホテルに帰ってからは買い物に出ないで昨日清子さんから貰ったいずしを食べる。 食べたことが無いと思っていたのだが、どうやら食べたことはある様だ。貰ったのは秋鮭のいずしで野菜は少なく美味しい。 前に食べたのは野菜が多くてそれがあまり好きでは無かったのだ。夕方と夜と2回に分けて全部食べてしまう。 お酒も毎日飲んでいる。でも1日300ml瓶1本だけだから良いかな。

03月08日 土曜日 曇り時々雪

 清子さんと札幌国際スキー場へ。札幌市内を通らず朝里の方から行く道を選んだので海も見えて快適なドライブ。
4時間券を買って途中休憩しないで滑ることにする。

いつもは急な部分2箇所こぶをそのまま残してある上級コースも今日は均してあって私にとっては楽になっている。 斜度はテイネハイランドの上級コース(札幌オリンピックの女子大回転コース)よりも緩い感じだ。

広島の男子高の学生が修学旅行で来ていて、スキーは今日で2日目だと言う。ボーゲンで頑張っている様子が可愛らしい。 経験者らしき人は見なかった。広島にもスキー場はあるそうだが、スキー人口は少ないのだろう。

夜に友達に電話をするが、高校時代の同級生二人にも電話をする。もう20年も会っていない人も居てとても懐かしい声だった。 今年の夏に1学年合同の同窓会があるので、是非参加しましょうと言って電話を切る。横浜の自宅からの方が電話をするのに 便利なのだが、旅行先の方が電話をしたくなるのは面白い。

03月09日 日曜日 街は晴れ、スキー場は曇り時々晴れ

 単独スキーの日。今回2回目の朝日を見る。JRバスでテイネハイランドへ。6時間券を買って中斜面中心に滑る。

午前中は少し晴れ間も見えていたが、曇って来て寒くなる。後半は寒いのでショートターンを沢山練習する。

体を温めるためにロープウェイを3度利用する。ロープウェイには深雪を滑る年配の男性グループが乗っている。もしかしたら この人達が清子さんが言っていた「アホウ鳥の会」の人達かな。

午後4時にスキーを止めて最後のいくら丼を食べてスキーを片付けて宅配便に出す。
午後6時発のバスは空いていて左の最前列に座りうとうとしながらも札幌市内の夜景を楽しむ。

手稲駅から新千歳空港までゆったりと過ごし帰りは初めてエアドゥの飛行機に乗る。(全日空との共同運航)音楽も漫才も聴けないのかと 残念に思っていたが ずっと眠っていたので 羽田まであっと言う間だった。

羽田空港から横浜駅行きの高速バスは湾岸線が工事渋滞しているとのことで久し振りに横羽線を走る。スキーの後はいつも横浜駅からは タクシーを使うのだが、今日は元気なのか電車で帰る気になる。

日曜日の23時3分発の横須賀線はとても空いている。
視界に入る若者達4人が携帯を片手に黙々とメールを打っている様子は面白い。

今回のスキーは終わり。今年はもうスキーに行くことはないのかなあ。

ハロウィンとは

2018-11-06 21:00:00 | 日記
ハロウィンとは

ハロウィンとは:What is Halloween? 

一言で言うと、ハロウィンとは西洋版「お盆」のようなもの。
「Halloween」は、「All Hallows' Eve」または「All Hallows' Evening」ともいわれ、 キリスト教の聖人を祝う万聖節(All Saint's Day=11月1日)の前夜祭と言う意味。

ハロウィンは「古代ケルト」と「古代ローマ」そして「キリスト教」の3つの文化が融合して生まれたもので、現代では宗教的意義は忘れられ、特にアメリカでポピュラーな民間行事として定着している。

イギリスでは、ハロウィンより「ガイ・フォークス・デイ」(11月5日)の方が盛んで、ハロウィンはこちらに吸収されたような扱いになっている。

  ハロウィンと恐いモノの関係(Halloween & Scary things)

ハロウィンは、古代ケルトの大晦日の夜に由来している。この大晦日の夜は、ち ょうど日本のお盆のように、死者の魂が家に戻り、 悪霊や魔女が出ると信じら れていた。

日本のお盆に幽霊や妖怪の話をしたり肝試しをするように、ハロウィンの時期、子どもたちが魔法使いの仮装をしたり、テレビで恐い番組(フランケンシュタインやドラキュラなどの映画)が放映されたりするというわけだ。)