としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

クロが死んだ日 2003年

2018-11-10 22:40:00 | 特別
クロが死んだ日

12月04日 木曜日 晴れ

 夜に母からメールが入る。タイトルは「お知らせ」で、内容は、
「悲しいお知らせです。今日クロが死にました。お父さんと裏の畑へ葬りお墓を作りました。慣れていたし、可愛かったのでさみしいです。母」

びっくりしてすぐに実家に電話をする。最初は「理由は?何で死んだの?」と聞けたのだが、どんどん涙が出て来て話せなくなった。途中で父と代わったが、その時にはもう話せなくなってしまっていて、父とは殆ど話さなかった。
父も最近体の調子が悪くて今日は寝ていたそうなのだが。

 母の話では、12月01日の朝にクロが餌を食べる場所に来ないので探すと、最初に餌をやっていた場所に寝ていて、クロを母が抱いて連れて来たが、口から粘液を出してぐったりしていたそうだ。

2日になると少し元気になり3日には寝床から走って出て来たので「クロ、良かったね、元気になったね。」と言っていたのだが、4日の今日、母が出掛けて家に帰るとクロはいつもの寝床には居なくて濡れ縁の下で死んでいたそうだ。まだ温かさが残っている様な気がしたと言う。

 多分どこかで変なものを口にしてしまったのだと思うが、「1日に様子がおかしかったのならどうしてすぐに病院に連れて行ってくれなかったの?」という言葉が喉まで出かかったが、一旦良くなりかけていたので、まさか死ぬとは思わなかったんだろうし、言っても、もうクロは戻って来ないので言うのは我慢した。
でもお酒に酔うと言うかもしれない。実家ではお酒は飲まないことにしよう。
ずっとクロを家の外で飼っていた両親だが、1日からは夜は家の中に入れていたらしい。私もクロと寝てみたかったな。

クロは今年の4月頃うちに時々来る様になった黒猫で(その頃はまだ体は小さかった)、私が帰省した8月に私が毎食ご飯をあげて抱けるまでに懐いて、それから4か月。考えてみると短い期間だが、特別人懐こい性格をした猫だったので、本当に可愛かった。
秋にクロに会いに帰省しておいて良かった。写真も沢山撮ってて良かった。

両親はクロが死んでとても悲しいので、もう動物は飼いたくないと言う。
今日は両親の結婚記念日だったそうだが、クロの命日にもなってしまった。 もう帰ってもクロは居ないんだ。

この日記を書いた後に、両親に「二人で結婚記念日を無事に迎えられて良かったですね。」というメールを送ったら、母から「有難う」というタイトルの返事が来た。

「お父さんもクロと同じ1日からです。(具合が悪いのが)幾らか良くなっていると思います。クロが身代わりになってくれたのではと思ったりします。としさんも楽しみが一つ少なくなりましたが元気に帰って来て下さい。母」
お正月に帰省したらクロのお墓参りをしよう。

ここまで書いた後にもぐちゃんが帰宅して、クロのことを話すと、
「猫は自然界のものを食べても死ぬことはないから、どこかで毒でも食べたんじゃないか。」と言う。まさかね・・・
クロは苦しかったのかな。何だかずっと長々書いてしまいそうなので、もう止めておこう。

宇和島東高校の同窓会 2003年

2018-11-10 01:00:00 | 特別
宇和島東高校同窓会の日記

2003年 8月16日 土曜日 曇り時々雨

★同窓会の流れ

午後5時  JR宇和島駅で受付開始
午後5時半 宇和島駅出発
午後6時半 江川崎駅到着、集合写真撮影(停車50分間)
午後8時41分 宇和島駅到着、解散

列車は3両編成で、後ろから1、2、3号車、2と3号車はトロッコ車両。
1号車は、普通科、理数科の男子
2号車は、商業科の女子(他の人も居たかもしれない。)
3号車は、普通科の女子、商業科の男子

★いざ同窓会へ

 夕方5時からの高校時代の学年全体の同窓会に出掛ける。
自分が同窓会に着て行こうとしていたスカートは「ぞんざい過ぎる。」と母から却下され、母のスカートを借りて行くことに。(爆)少し緩いけど、綺麗だからまあ良いかな。

駅まで父に車で送って貰うが、家を出るのが5時とぎりぎりになったため、慌てたせいか東京での同窓会の写真(奥野君、門脇君、信川君、山下君、渡辺君、私参加)を持って出るのを忘れてしまう。

今回の同窓会は、夕方5時にJR宇和島駅に集合し、予土線(伊予と土佐を結ぶ線)を3両借り切って宇和島駅から江川崎駅までを往復するというものだ。 

★宇和島駅に到着して

 宇和島駅に到着すると もうだいぶ集まって居て私を見て女の子達が(いくつになってもやはり同級生は女の子と呼びたい♪)「としちゃ~ん!」、「全然変わってない~!」と笑われた。(笑)実は自分では髪も伸ばして少しは女らしく進化したつもりだったのだが・・・やっぱり駄目か。(爆)
高校時代より体重は増えているのだが、印象としてはそうでもないらしい。元々太っているからあまり違和感が無いのだろう。

 同級生は、明らかに痩せた人が二人、佐々木さんと三好H子さん。
佐々木さんはすぐに分かったが、三好さんは大学時代に痩せたという話は聞いていたものの、ずっと会っていなかったので、私は痩せた姿を見たことが無くて、H子さんの方から挨拶をして貰うまで誰だか分からなかった。

彼女は親戚なので赤ちゃんの頃から知っているのだが、5月生まれの彼女と3月生まれの私ではいつも彼女の方が大きかったのに、今は私の方がずっ~と大きい。
少しふっくらしたかなという人は多いが痩せている人も居るし、おしゃべりしていると皆気分は高校生♪

  受付を済ませてシールの名札を受け取りTシャツに貼り付ける。名札には3年生の時のクラスとフルネームの名前、括弧書きで旧姓が書かれている。

★会場の3両編成の列車に乗って

 今日の会場であるJRの車両は全部で3両で、2,3車両がトロッコ列車で窓を背にして向かい合わせで座れる様になっているが1両目は4人掛けのタイプだ。

普通科女子は商業科男子と同じ3両目になっていて、前側に男子、後ろ側に女子が座る。
私は、向かいが水地M子さん、隣が山瀬S子さん、石田H美さん、近い席が渡辺Mさん、家串の千春さん、岩村R子さんで、少し離れて、三好H子さん、高山さん、佐々木さん、吉見S子さん、大野さん。

★まずは黙祷から

 亡くなった人達の名前が読み上げられ、皆で黙祷する。
何故亡くなったのか分からない人も居る。
自分が直接知っていた人は、中村Y志君、是沢K子さん、土居Y君。

1学年に10クラス有るとは言え まだ平均寿命の半分位なのに 沢山の同級生が亡くなっていることに驚いた。

★挨拶し合った皆の近況(敬語は殆ど使いません。)

 水地S子さんは、広島大学合格を知らせてくれたお兄さんの友達と 結婚して山口県宇部市に住んでいるそうだ。旦那さんは国語の先生という ことで、森山先生のことをよく思い出すらしい。お嬢さんがひとり。 彼女とは小学校時代の話を沢山した。考えてみると信川君同様、高校時代はクラスも違うし、もしかしたら一言もしゃべっていないかも。
実家が八幡浜なので宇和島まで来ることは殆ど無いそうだ。
渡辺K君の結婚をとても喜んでいましたよ。>こーちゃんへ

 山瀬S子さんは、宇和島市内で自営業(水産関係)の旦那さんの仕事を手伝っていて、子供は3人。上の二人は東高で、女の子は卓球部のキャプテンで下の男の子はテニス部だとか。彼女から東高のことを色々聞いたけれど、普通科が4クラスしかないと聞いてびっくり。少子化は確実に進んでいるのだと分かる。

 石田Hさんは、嫁ぎ先と実家との間に家が2軒しか無く、名前も石田から戸田に変わっただけで、殆ど変わらないと言う。だから前の名前と住所でもちゃんと郵便物は届くそうだ。
学校の先生をしていると聞いた。

 渡辺Mさんは、実家の日吉村で養子さんを貰って暮らしていると言う。子供は二人。元気にお母さんをしているという感じだ。

 家串の千春さんは高校生の頃と殆ど変わっていない人だ。多分1番変わっていないと思う。お化粧もしていないし、イメージもそのまま。平成の大合併で村民から町民になるのが嬉しいとのこと。彼女の言葉を聞いて、私は初めて彼女が村民だったことを知った。東高に来ている村の人は日吉村だけかと思っていた。

 こうして書いてみると、本当に近くの席の人としかしゃべっていないことに気が付く。ひとりひとりの近況報告が無かったので分からない。短くても良いから近況を聞きたかったな。

★食事とビールとウーロン茶

 食事は2段のお弁当で、1段はサンドイッチなど、もう1段は揚げ物主体のお弁当だ。
私は乗り物酔いするといけないので、サンドイッチの段だけを食べる。もう1段は「クロ(最近実家に来る様になった野良猫)が喜んで食べそうだな。お土産に持って帰ろう。」と思って残す。ごめんなさい。(笑)でも家で少しは自分でも食べました。

他には茹でた海老2尾と四万十川の天然うなぎが大皿で回って来た。
海老の説明もあった様なのだが、車内放送はおしゃべりであまり聞こえず聞き漏らした。

天然うなぎは一切れ2~3cmのを「二切れずつ取って下さい。」 とのこと。回って来る前に「わずかですが・・」と聞いていたが本当に わずかなので、思わず「これは日記ネタになりそう!」と笑ってしまう。 でも余ったとかで後でまた回って来たし、最終的にかなり余っていたので、 少なめだけど日記ネタにはならない位の量はあったんじゃないかな。 欠席者が多かったのだろうか。 
山瀬さんが「やっぱりスーパーのうなぎより美味しいわ。」と言っていたが、 冷めているので私にはよく分からなかった。
私の方が意地悪みたい。(笑)

1車両に二人ずつ世話をしてくれる若い女の子が乗っていてビールやお茶のお かわりを持って来てくれるのだが、中に今日の参加者の娘さんが居たそうだ。居酒屋を経営しているという女の子だった。

列車ということでトイレの数が限られているので、私はビールを止めて ウーロン茶を頼む。ビールを飲む人も多いけれど、酷く酔っ払っている人は 居ない様だ。

★江川崎駅に到着!

 全員降りて江川崎駅のホームで集合写真を撮影する。写真屋さんも 同級生だそうだ。暗いし雨でもあるし撮影はフラッシュがなかなか 焚けなかったりして大変だ。うまく写っていれば良いのだが。

ちなみに私は目を瞑る確率50%の実績通り1枚は目を閉じてしまった。
写真屋さんもうまく撮れたかどうか不安な様で、帰りの車内で 数人ずつ写真を撮った。そして写っていない人は居ないかと大変気にしていた。

★野中君にびっくり!(今回の同窓会での1番の驚き)

 江川崎駅のホームで理数科の野中A君に会う。彼は私を見るなり「ああ!○○さん!」と言って私の手を両手で握り、私はびっくり。
一目見て彼だと分かったにもかかわらず、あまりの雰囲気の違いに思わず彼の 名札を見てしまう。(爆)

彼とは家が近くて赤ちゃんの頃から一緒に遊んでいた仲で、中学3年の時に 同じクラスになったのだが、印象では「大人しくて真面目な人」だった。
それがこんなにも社交的な人になるなんて!
仕事は以前は映画関係の仕事をしていてNHKで映画解説をしていた時期も あったそうだ。それを聞いて現在の明るい雰囲気になったことを納得する。
でも、もしかしたら昔から実際は面白い人だったのかもしれない。
今は松山で薬の卸の仕事をしているそうだ。帰宅して両親にそのことを話したら「ああ、お父さんの仕事を継がれたのね。」と言っていた。

★「二人共おばちゃんにそっくりになって来たなあ。」

 小学校~高校が一緒の 上田H君の 私と岩村さんに 対する言葉である。
岩村さんは「としちゃんは昔から。」と言っていた。確かに私は昔から 母親にそっくりと言われている。

話は渡辺K君の呼び名に及び、上田君(ビンと呼ばれていた)は、 こーちゃんのことをずっと「いもこーじ!」と呼んでいたので、 「今更渡辺君とか こうじ君とか呼べない。」と笑いながら言う。
岩村さんが「こーちゃんと呼べばいいじゃない。」と言うが、
「こーちゃんなんて呼んだこと無いし。」とまたまた笑顔で答える。
卒業してからビンに会ったことはある?>こーちゃん

★幹事の高山さんにお願いをする

 10クラスの人数からすると少ないけれど、それでも結構な人数なので、 今日の出席者の名簿を作ってメールして欲しいとお願いする。
女子もそうだが、男子が殆ど分からないからだ。高校だけ一緒の人は特に分からない。
でも幹事さんは忙しそうだ。

★帰りの車内で

 母から借りたデジカメを江川崎駅で降りた時に活用しようと思っていた のだが、その時間が無かったので、取り合えず全車両を山瀬さんと回る。
山瀬さんの中学時代の友人が居れば取ってあげようと思っていたのだが、 城南中学校の人で親しかった人は居なかったらしく、結局カメラマン役を して貰うことになる。

 写真を一緒に撮って貰ったのは、小学校の陸上部で一緒だった山本S君、 2両目では、山口電気の山口T男君のお兄さんと結婚している濱渦さん、 小学校陸上のリレーで一緒だった上村H子さん(2番目のお子さんは 全国大会に出る位に走るのが速いそうだ。)、中学3年の時に同じクラスで、 東高校のマラソン大会で1年から3年までずっと2番だった山上Kさん(1位 の人は毎年変わるのに彼女はずっと2位だった。もちろん速いということ。) 

★1両目はなんとなく静かに感じた

 1両目に入ってすぐに近くにいた男の子達に 東京の同窓会で会ったメンバーの名前を並べて知っているかどうか 聞いてみたのだが誰も知らないと言う。全然知らないということは理数科 なのかな。

理数科の岡H君を見掛ける。顔の輪郭に特徴があるので、よく覚えていた。
もちろんお話をしたことは無い人。

それから奥に進むが分かる顔が無くて、顔の分かる車両の中央に居た人達と 写真を撮って貰う。
宇都宮T君は小学校で一緒だったから知っていて、猪野君は生徒会長 だったから知っていて、上甲T君は城東中学校の時の生徒会長だから 知っていた。

上甲君は寡黙で写真を撮ってと言い難くて撮らずに 戻って来てしまった。頭を坊主にしているのだけれど、茶髪と金髪の中間位の 色に染めているので結構目立つ。宇都宮君は髪が薄くなっているそうだが、 写真では帽子をかぶっているけれど、気さくに帽子を外して見せていた。
でも私は隣に座っていたので見なかったけれど。

顔が分からなくても画質を少し落として男子もどんどん撮ってくれば良かったと反省中。東京組の皆さんごめんなさい。写真屋さんの写真がアップされると良いのですが。

★帰りは2両目で大ビンゴ大会

 小学校の時に同じクラスだったスーツ姿の佐々木K君の司会で、ほぼ全員が2両目に集まってビンゴ大会に参加する。
佐々木君は小学校の時にはよく先生に叱られていたのに、立派になったなあ と感心する。

 JR四国やお弁当を頼んだ宇和島駅ビル内のホテルや今日の参加者からも 沢山の提供があって盛り上がる。
ビンゴになった人は前に出て自分の近況報告などをする。自分の知っている 人では石田Hさんと渡辺Mさん、上田H君が当たるが、元々近況を 知っていたので新しい情報収集にはならなかった。
自分はビンゴで揃ったことが無いので、最初から期待が無く、結果もその通りになった。

 このビンゴ大会の最中に、3両目ではギターを弾きながら歌うグループが、 1両目では静かにおしゃべりをしているグループがあった様だ。
私も帰りは行きにおしゃべりをしなかった人達とおしゃべりをした方が良かったかもしれない。でもビンゴ大会が良かった人も居るだろうから、難しい所かな。 

★校歌を合唱する

 ビンゴ大会の後でみんなで校歌を歌う。ふたりに1枚歌詞のコピーが 配られて、私は山瀬さんと一緒に見て歌う。
山瀬さんは子供が東高校生だからよく知っているが、私は 校歌と「思えば過ぎし」 のメロディーは分かるものの、もう1曲が全然分からない。聴いたことも無い。(そんなはずは無いので、すっかり忘れているのだなあ。)
みんなちゃんと歌っているので、忘れている私がいけない様だ。

今日は元野球部の緒賀君が中心になって歌ってくれた。
彼は高校を卒業する時に「体格が小さいのでプロは諦める。」と言っていたそうだが、今はアマチュアで野球チームを作って指導しているそうだ。
歌声も大きく結構良い声だった。

1~2年のクラスで校歌を歌う時にはいつも吹奏楽部の石山君がイントロを 歌ってくれていたことを思い出す。ところで、石山君て何の楽器を担当していたのだろう。河野K子さんはクラリネットだったかな。

★宇和島駅到着

 私は知らなかったのだが、5年毎にこの学年の同窓会は開かれているそうで、また5年後に会いましょうと言って9時前に同窓会は終了する。

次は普通科の人が幹事をして下さいとのことだ。
メールで連絡出来る様に なると随分便利になるのだけれど。
住所交換をしている人など名残を惜しむ人達を沢山見かける。

幹事さんが用意してくれている二次会もあるのだが、知っている人だけで話した方が良いかなと言うことで、そちらには行かないことにする。

岩村さんと私と山瀬さんで「もう少し喫茶店ででも話をしましょう。」ということになり、みんなを誘うが、小さい子供が待つから、すぐにまたJRに乗って帰らないといけないから、と言う風に帰りを急ぐ人が多く、結局3人だけになる。

駅から宇和島在住の山瀬さんの知っている駅前通りにある喫茶店まで歩くが、 既に閉まっていて、スーパー富士の隣に出来たレストランまで歩くが、 それでも喫茶店が無いので、近くに居た人に尋ねて結局商店街の中央あたりに ある南予文化会館近くにある「梨香」という喫茶店に入る。10時までと言う ことで1時間弱のおしゃべり。

★ささやかな二次会(喫茶店で)

 岩村さんが卒業アルバムを持って来てくれていたので、随分久し振りに 見ることが出来る。自分の写真を見ると、確かに今よりもっと太っている様に見える。

門脇君の奥さんの写真も見ました。優しそうな人ですね。>門脇君
門脇君自身はあまり変わっていない方です。
卒業アルバムのこーちゃんはとてもとても痩せて見えます。(笑)
山下君は大人しそうに写っています。今の方が男らしい感じです。
信川君はさらっとした髪で自分の記憶通りでした。
奥野君は、ぱっと見ただけでは分かりませんでした。岩村さんは、眼鏡を 掛けたらこうなるって納得すると言っていました。

 私が真剣に卒業アルバムを見ていたら、岩村さんが「としちゃん、まだ 名札をつけてる!」と教えてくれた。
駅を出てからずっと名札を付けて歩いて来たのだった。(爆)
岩村さんの洋服はシールの名札がすぐに剥がれるので何度も付け直した そうだが、私はTシャツで強い粘着力でしっかりと付いている。
とても恥ずかしくて大笑い。教えて貰わなかったらそのまま名札を付けて 家まで帰ったのだろう。

 岩村さんは2児の母、山瀬さんは3児の母。岩村さんの長男は中学3年生、 山瀬さんの長女は高校3年生。共に受験生の母親だ。みんな親として頑張って いるなあと感心する。

店を出る前に母に現在地を携帯で報告するのに「ここをどこだと言えば 良いのだろう。」と迷っていたら、旦那さんに電話をする山瀬さんが 「今は南予文化会館近くの喫茶店で~」と説明しているので私も真似をする。 私は思わず「旧大宮ホール前の・・・」と言いそうになっていたのだった。(爆)
昔はここに市役所があって便利だったのになあ。

山瀬さんはタクシーを拾って帰り、私と岩村さんは途中まで帰り道が 同じこともあって歩いて帰る。
今日来なかった人達の話もしながら歩く。

喫茶店を探して歩いている時もそうだったが、傘を差すほどの雨ではなく、 帰り道は止んでいた。
地元から離れた人はなかなか参加出来ないが、5年後にみんなが元気で同窓会に出席出来れば良いなあと思う。