行ってきました。
コミセンのキャメリアホール満員のお客様でした。
私達は、17時50分には到着し、
入口で並んで18時15分の開場と同時に席につきました。
前から5列目(通路挟んで最前列)の、ど真ん中、
お話しを聞くには、絶好のポジションに私は大満足でした。
まず最初に、松山にある伊丹十三記念館の館長であり、
伊丹十三さんの奥様 宮本信子さんの挨拶から、
内田樹氏が紹介され、お二人のトークがはじまりました。
すごく朗らかで、写真より骨太な感じをうけました。
演台前で、立ってのトークでしたが、
内田氏は、なんだか緊張されている様子で、
じっとしないで、どんどん宮本さんの方に近づくので、
宮本さんが、ちょっとずつ後退しているのが、
何とも親しみが持てて良かったです。
演題は
-伊丹十三と「戦後精神」-
今年の3月に授賞式があり、
その直後に今日の講演会のオファーがあったそうです。
で、何を話そうか、ずーーーーっと悩んでいたそうです。
今まで、伊丹十三さんのことを論じたモノはないかと
探したそうですが、見つからず、
なぜ、伊丹十三さんを論ずることができなかったのかということを
冒頭お話しされました。
1時間40分の講演は難しかったのですが、
聞きに来て本当によかったと思いました。
伊丹十三さんが貫いてきた精神は、理解できました。
それは、
内田氏が高校生の時に
初めて伊丹十三さんの本を読んでからのファンで、
何度も読み返した本・出演した外国映画・監督作品や芸術作品を
この講演会で講演するために、
あらためて読み返したり、考察したりして、
丁寧に組み立てられていたからだと思います。
内田氏が、本当に尊敬していることが伝わってきました。
お話しを聞いている時は、
たくさん、なるほどを思う言葉がありました。
特に印象に残ったのは、
「敗戦のことも、
伊丹さんの作品が生まれた当時も、
今も、
人が、過去の反省なく、
誰かが変えてくれるのを待っている日本の状況をみて、
人が、恥は恥として知り、
誇りは誇りとしてしっかりと立つこと『自己規律』を
伊丹十三さんは作品を通して伝えていた」
ということです。
最後には、内田氏から会場の皆さんへの呼びかけもあり、
私は、素直に受け止めることができました。
内田樹氏は、想像していた以上に素敵な方でした。
コミセンのキャメリアホール満員のお客様でした。
私達は、17時50分には到着し、
入口で並んで18時15分の開場と同時に席につきました。
前から5列目(通路挟んで最前列)の、ど真ん中、
お話しを聞くには、絶好のポジションに私は大満足でした。
まず最初に、松山にある伊丹十三記念館の館長であり、
伊丹十三さんの奥様 宮本信子さんの挨拶から、
内田樹氏が紹介され、お二人のトークがはじまりました。
すごく朗らかで、写真より骨太な感じをうけました。
演台前で、立ってのトークでしたが、
内田氏は、なんだか緊張されている様子で、
じっとしないで、どんどん宮本さんの方に近づくので、
宮本さんが、ちょっとずつ後退しているのが、
何とも親しみが持てて良かったです。
演題は
-伊丹十三と「戦後精神」-
今年の3月に授賞式があり、
その直後に今日の講演会のオファーがあったそうです。
で、何を話そうか、ずーーーーっと悩んでいたそうです。
今まで、伊丹十三さんのことを論じたモノはないかと
探したそうですが、見つからず、
なぜ、伊丹十三さんを論ずることができなかったのかということを
冒頭お話しされました。
1時間40分の講演は難しかったのですが、
聞きに来て本当によかったと思いました。
伊丹十三さんが貫いてきた精神は、理解できました。
それは、
内田氏が高校生の時に
初めて伊丹十三さんの本を読んでからのファンで、
何度も読み返した本・出演した外国映画・監督作品や芸術作品を
この講演会で講演するために、
あらためて読み返したり、考察したりして、
丁寧に組み立てられていたからだと思います。
内田氏が、本当に尊敬していることが伝わってきました。
お話しを聞いている時は、
たくさん、なるほどを思う言葉がありました。
特に印象に残ったのは、
「敗戦のことも、
伊丹さんの作品が生まれた当時も、
今も、
人が、過去の反省なく、
誰かが変えてくれるのを待っている日本の状況をみて、
人が、恥は恥として知り、
誇りは誇りとしてしっかりと立つこと『自己規律』を
伊丹十三さんは作品を通して伝えていた」
ということです。
最後には、内田氏から会場の皆さんへの呼びかけもあり、
私は、素直に受け止めることができました。
内田樹氏は、想像していた以上に素敵な方でした。