「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

奇跡を信じたい家族の思い

2015-04-24 | ●介護回想(2015~)
冷静な心の中では、奇跡は起こらないと思っている。

でも
可能性はゼロではない?
世の中には奇跡的な何かが起きることがある

だけど
それは簡単に誰にでも起きるものではないから奇跡なんだろう。


医師や看護師や介護職の人々は
様々なケースを見てきて
その人の二年後、五年後……十年後の姿を知っているはず。
十人十色、細かい違いはあるにしても大抵の場合の行き着く先を知っている。

家族は
医師の話、本やネットの情報で、多分こうなっていくんだろ……と思いながら

もしかして◯◯をしたら、◯◯な対応をしてみたら
失われている笑顔がみられるかも?!

という期待をもつ。
奇跡というほど大袈裟なものではなく、小さな小さな希望の光。
そんな光が、自分の家族にはもたらされるかもしれないと考える。

そんな希望を拠り所に頑張れるのは家族だけ。

期待はしていない……そんな心もありつつ、やれることはやらないと。
奇跡を信じるというよりも、後悔したくないという思いのほうが強いのかな?


母が骨折入院した時
進行するのは嫌だと思い、ぬりえと色鉛筆を買って病院に通った。
ぬりえは得意だった母。
それは認知症になっても変わらず、綺麗にぬっていたけど、空間認識力の欠如?みたいなものか、髪と顔の境とか、分からなくなるようではあった。

結果、母は特に進行はしなかった。
多分、ぬりえをやってもやらなくても
介護度3で会話も成立していたあのときの母には何も関係なかったと思う。

ただ、私が、入院=進行という恐怖を感じて何かせずにいられなかっただけ。

奇跡的な回復…なんていうけど、
それは単純に奇跡ではなく、人並み以上の生命力が備わっていた…とか、ちゃんと理由があるんだろう…なんて考える。

認知症の最期
正常になって会話したなんて話も聞く。
それは奇跡なんだろうか?

母には起きなかった…というか、そもそもその瞬間に立ち会っていないんだ、私。

奇跡って
不公平なものなのね。









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