「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護:老健での1コマ

2013-06-08 | ●介護録(~2015.2月)

昨日老健に行った。
以前にも書いた入所中のおばあさんが、「退屈なの」といって、玄関のベンチに座っていて
「いらっしゃい」と迎えてくれた。
隣に座って少しおしゃべりした。
会話はごく普通にサクサクと進む。問題なし……に思える。

とにかく暇らしい。
ユニットにいてもテレビ見るか寝るしかないと愚痴。
特に趣味もないらしい
「散歩したいけど一人で行ってはイケナイ、何かあったら老健の責任になるから」
「家はすぐ近くにあるんだけどね」
家の場所を教えてくれた。
近くのスーパーの名前、そことの位置関係から考えると、その情報はたぶん正しい。

しばらく話していたら、ここのスタッフで、以前母の通っていた小規模多機能Aの管理者Hさんがやってきた。
Hさんが「知り合い?」と私に聞いた。
「何回かこの玄関でお会いしてたからちよっとおしゃべり」と答えると
「こちらも以前Aに通っていたのでお母さん(私の)を知っているはず」とHさん
世間は狭い。
で、私は「私の母もAに通っていたんですよ」とおばあさんに改めていってみた
反応…「?」
Hさんが「ここに来る前に通っていた狭いとこ、小さいとこ、覚えてる?」と聞く
しばらく考えていたおばあさん「ここに来る前には家にいた」

そうですか……(^◇^;)。

息子さん夫婦と暮らしていたけど、一人の時に転倒し骨折。
歩行困難で老健リハビリ。
今は歩けるようになっている。
そして、近々、GHへ移ることが決まったらしい

そのことについておばあさんは
「よくなったから出て行けってさ。ここに置いてくれないんだと。新しいとこは、○時にご飯食べて、○時に××したら、次は何か仕事させられるんだと」なんて言っている。
(言いながらも、草一本抜いたって仕事は仕事だからねと笑ってた)
それを聞いたHさん、頭を抱える
「追い出すわけじゃないんだけど……。僕らからすると希望がかなってよかったね…っていうことで…」
と複雑な思いが垣間見える。

この方のようにいろいろと認識出来る人は、やはり慣れ親しんだ場所、スタッフと別れるということを嫌う
新しいところでまた一から……というのもプレッシャー。

先日も母のいるユニットから退所していった方がいた。
その方はホントにしっかりしてる人で、
別れの朝、他の仲間には声も掛けずに(掛けられず)ソッと退所していったらしい。

帯広市のこの老健には十勝管内から入所してくる。
去年オープンで全室が個室のユニットタイプ。

以前見学したことのある某老健は、個室だったけどユニット式ではなかったので
体育館のようにひろーーーいところで、みんながボンヤリとただ座っている…という印象
私の中の老健は長いことそのイメージだった

ユニット式のこの老健だと、大きめのGHのような感覚?
規模か大きいのでユニットのスタッフ以外とはあまり接触することはないけど。
医師、看護師、ほか様々な専門家がいるのはかなり安心材料。

終の棲家ではない老健。
でも、その老健でも看取りをする方向に変化している。
国の方針としてそういうことになっているらしい。
確かに、看取りの場所として十分機能すると思う。

この老健では、
農業国十勝らしく(?)農繁期に老健入りし農閑期に自宅に戻るという使い方をしている人もいる。
案外柔軟性があるんだな…
で、退所後の母も
老健をロングショートステイという形で利用しながら在宅…という方法もあるという。

三ヶ月~半年くらいは入所するのか…と思っていたけどもっと早く退所しそうな流れ。