ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
「お母さん、○○○……」
と言っても
母は自分のことだと思わなかったり
自分の母、つまり私の祖母のことを言ってると思う場合がある
そんなときは
「K子さん、○○…」
と言い直す
やっと、やっと、言えるようになった
母が私を「娘」と思わない瞬間はたくさんあって
それも認知症初期の頃からで
受け止めるに時間が必要だった。
ずっと母を名前で呼ぶことに抵抗があった
理屈は分かっていても出来なかった
以前、本で
「名前で呼んだらスムーズな関係が出来た」
という介護者の話を読んだけど
「無理、出来ない」って思った
あれから多分三年くらいは過ぎている
そして今、この二ヶ月くらいの間に
「K子さん~~」って
抵抗なく言えるようになった
心が痛まなくなった
スルリと言えるようになった
そういう自分に少しホッとしている
楽になったかもしれない
悲しいけど
でも、なんか自分の中では「進歩」って感じ
後ろ向きなばかりじゃなくて
結構、前向きだったりしてる
それに母はまだ
私の名前を呼んで「私」を見てくれるときもある
娘たどわかってくれる時もある
だからまだ頑張れるかな~と思うヨ
追伸
今日、私と話していた母が
「ビゴちゃん、ビコちゃん」とあらぬ方向に呼びかけた
何に向かって呼んでるのか私には死角
やがて母がその呼びかけていたモノを手に取った
………スリッパだった…