土日と休みが続くと、わたしの場合、土曜日は自堕落にベッドで本を読む。ゴロゴロと寝ころんで読む。そんな習慣がこの数年間続いている。他所見には世にきちんとした場所や姿勢で読書する人を見かけるが、わたしにはそんな読書好きは本物ではないと思っている。単なる気取りっぺや暇つぶしの方たちだ。おっとっと、待て、仕事用もあるだろう。
わたしの偏見になるかもしれぬが、おそらく、身銭を切るのを嫌がる手合いだ。知人からの回し読みや図書館で借りたりだろう。
今は小沢一郎ものの再読中。平野貞夫の 「虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実」講談社+α文庫 である。現今、とかく民主党政権の立役者となっている、小沢一郎は同県人の誼みもありわたしにとって怖くも難解とも感じないのだが、その性格に政治家として先天的な説明能力の欠如を感じる。なぜか。
政治的な決断の場では、政治家という職業の持つすさまじい嫉妬妬みのバリアが十重二十重と重なり誤解や曲解の山を築いているように見える。それに謀略。掲げている正義と正論ほど、関係する当事者にとって現実的に不利益を被るものはないと、無意識埋に感じているのだ。
河上肇の「貧乏物語」を一度中断し、いつか再開しようとしているが、なかなか始められない。その間に「松本清張傑作短編集コレクション」、立花隆と佐藤優の読書対談の「ぼくらの頭脳の鍛え方」やディヴィッドハルバースタムの「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上」を読む。引きずられるように読んだ。
「貧乏物語」はどうも、世間の評価は高いのだが、内容に平凡さを感じている。左翼系文化人の必読書のようだが、あまりにも素朴な論旨に微苦笑をともなう。
戦前に発行されたもので難しく書かれたものではないが、わたしの年代では小さな字なので読むのに慣れが必要。実は、この古本は入手先を探して手に入れた中央公論社版であるのだ。
まあ、このごろ曇りがちの天気で寒いし、外出するよりもお金がかからないというのがおもな理由だ。歳末も近づくのに情けない話である。
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