うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

西條八十の評伝を読む

2011年11月11日 05時54分20秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧

 わたしはこの間、たまたま時間が空き途中で近場の本屋に寄った。先日もらった商品券を使い切るのに、目的のDVD(男はつらいよ・・・)のほかに、ほかに適当な本を探していたら西條八十の本が見つかったので一緒に購入した。
 「流行歌 西條八十物語 吉川潮著--ちくま文庫」という本だ。これは評伝的な内容で読みやすいが、わたしは数年前に読んだ「西條八十 筒井清忠著--中公叢書」を思い出した。この本は叙述に難があった。そこでわたしにはめずらしいのだが、書庫を探して現在、再読中のところである。

 わたしは、西條八十については、まず最初におびただしい流行歌の作詞によって知っていた。「かなりや」 「東京音頭」 「旅の夜風」 「誰か故郷を想わざる」「若鷲の歌」 「同期の桜(二輪の桜)」 「蘇州夜曲」 「青い山脈」 「越後獅子の唄」 「王将」 「夕笛」という具合だ。(ちなみに、わたしは戦前に作られた「蘇州夜曲」を一番に推す。)
 さて、わたしは、西條八十の詩について、27歳のころの詩であるこれを評価したい。大正8年発刊 詩集『砂金』所収。

○桐の花

 おもひ出でゝは
 あるも怖ろし
 大理石の湯槽のなかに
 忘れたる、その
 桐の花。

 夜更けて
 尼等ひとしく
 庭に下り額をあつむ。

 誰びとの
 犯せし罪ぞ
 月の暈
 ほのかなるころ。

 うつろなる
 石の湯槽に
 桐の花
 媚きわたる。

 童謡も作るし文学史の資料でも、アルチュール・ランボオやボードレールなどの翻訳・研究者としてフランス文学にも顔を出してくる。なんとなくわたしも整理してみると、文化的な分野での多面性が分かってきた。
 こういう人物の類型はきわめて日本人には珍しくて一般世間では不思議な扱われ方をされてきた。器用と言えば言えるのだが、理系でいえば江戸時代の平賀源内のように、である。日本ではひとつの専門分野のみで評価されがちな社会構造を持つ。専門分野がいくつもあると、その業績面でなくて人格的にのみ評価されるようで正当にとらえられない。むしろ、軽視や蔑視の対象になる。ここでも、日本人が嫉妬やねたみに端を発する属性的に持っているいやらしい「ムラ社会」意識がはたらくのだ。もともと、種々の視座をもたない専門分野に棲息する「ムラ社会」ではそこに制度的なヒエラルキーが強力にはたらく。したがって、なかなか、全人的な評価はされにくい。
 勿論、わたし自身はこんな視野狭窄的な視点は頼まれてもとらない。人間は、本来、多面的で複合的であり、むしろ、こんな「ムラ社会」を軽蔑しているのだが。
 ちなみに、社会的に職業としてはフランス文学専門の早大教授で、詩人、作詞家である。 

 ところで、わたしは以前から作曲家・船村徹の 「演歌巡礼 苦悩と挫折の半世紀」講談社1983年 という本を古本屋で探しているがなかなか見つからない。わたしの50代くらいからこの人の演歌のメロディーがスーッとからだの中に入るようになり、どういうことなのか、船村徹の生い立ちを調べるようになった。
 どなたか、この本をお持ちの方は譲っていただきたい。
          
コメント
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