うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

愛と希望の街

2009年06月15日 01時57分04秒 | わたしの日常です。

 一昨日、ヨドバシカメラにて安売りのパソコン用インクカートリッジと、フラッシュメモリーを買いに行ったついでにDVDコーナーで、ディオンヌワーウィックの音楽と大島渚監督の映画「愛と希望の街」を買う。いつもはヒッチコック映画を念頭に立ち寄るのだ。
 ディオンヌワーウィックの会場録音盤はバートバカラックの曲をあてにしていたのだが、なんだか期待はずれだ。やはり、歌唱よりも器楽演奏(インスツルメンタル)で聴きたいもの。しかし曲が古すぎるのか、なかなか店先には出回っていない。

 そして、「愛と希望の街」を見る。映画は白黒だが、脚本、構成と、なかなかにしっかりできている。舞台は国鉄川崎駅前広場(?)から始まり、母子家庭の少年が帰巣本能の習性がある同じ鳩を繰り返し売って生計の足しにしている事情が物語の背景にある。大島渚監督、27歳の第一作、ヌーヴェル・ヴァーグの嚆矢となった映画だ。
 1959年の時代、戦後の焼け跡、貧乏と金持ち、高校進学か中卒で就職か、先生と経営者の息子の恋、バックに流れる西田佐知子の歌謡曲、と社会の様相を映し出す。
 この年は わたしが小学3年の頃のことである。つぶさに回想したいがそれは無理である。あの当時の農家ではありあわせの自分たちの田畑でとれる作物で自給自足の食事をしていた。いづれにしても、つぎはぎだらけの汚れた服装、ゴムの短靴を履き、洟を垂らし野山をかけめぐり、幼いながら家業の農業を手伝っていた頃だ。
 
この映画では、結局、鳩を銃で撃ち落として、ジ・エンドになるのだ。
 わたしにとっての記憶では、高校の国語の先生か中学だったかの授業で、田宮虎彦の「絵本」などとともに、この「愛と希望の街」のシナリオを読んだのだろうか。原題は「鳩を売る少年」であるが、公開時に松竹映画会社の方で勝手にタイトルを変えたらしい。なんだか、取って付けたようなネーミングである。
 出演している若い男女もそうだが、わたし個人には、少年の母親役の劇団民藝女優・望月優子が懐かしい。この人には田舎風な庶民的で平凡な役柄が多いが、いいのだ、たしか、年増好みでちょっと変だが、わたしの小さいころからのファンだったはずである。
    
コメント
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