うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

四年前の今日

2007年05月04日 06時58分41秒 | わたしの日常です。
ふと、振り返る。今では途方もなく昔々のように感じる、4年前の今日のこと。
 平成15年。先々月の3月14日、午後4時会議室に本社勤務でいたグループ会社の社員20数名に対して、緊急に非常呼集がかかり集められた。
 社員の社会保険料¥2億4600万円滞納のために品川社会保険事務所から、得意先の売掛金を差し押さえられた。
 これからは、3月末日の給料は払えない。社員は3月15日付けで会社都合による全員解雇。2ヵ月後に再雇用する予定、それまで勤務は通常通り。その間は、各自の失業保険支給金にプラス40%分を会社支給する。
 そして説明の後、その場で、退職届を書かされ、健康保険証の提出を求められた。
 結局、2ヵ月後の5月、それから8月とO社長の約束はことごとく破られて行った。会社を去っていった人は3月で20%、4月で60%、5月で10%、以降家賃未払いの為に撤去期限の翌年の3月いっぱいまで、ズルズル本社サイドで6~7人のみが残ることになる。会社内外の異常事態と、同僚に対する思い。漫然としかしじりじりと日時を過ごす忍耐と無力感、それに加えて寂寥と孤独感。
 8月にある方の助言を聞いて、経産省の小額資本金制度を活用し、11月6日、わたしはやむを得ず新会社を設立する。
 
 その年の前年秋頃から、私は忙しかった。多分、11月から2月までは休日返上で、浦安市内の大型マンション造園工事で準備作業、最終図面の確定で大童(オオワラワ)であった。これは二年前、ある準大手ゼネコン設計部から、「海浜植栽計画」に強いわたしあてのご指名のプランニングから始まった物件だ。わたしは現場に行ったり、会社に行っても設計室のドラフターの前でウンウン唸っていた筈である。
社内の動静に間遠になっていた。正月休み明けに現場へ乗り込み、工事は3月で終わらず5月でほぼ終了したのだが、浦安市役所の最終検査は7月であった。
 実は、給料の遅配と分割支給も12月から毎度のことになっていた。そう言えば、恒例になっている平成15年の社長の年頭挨拶がなかった。
 だが、わたしはわたしの人生でこれが最後かと、意気に燃えてひさかた振りの大型物件の仕事に浸りきっていた。
  この会社に勤続19年、社内規定の退職金820万円はなし、平成15年の3月から10月分の給料はなし。総額、1200万円はフイになった。
 その年のゴールデンウィークの今日は、KOKUYO大学ノートの日記に一行だけ簡単にこう書いている。
   5/4 快晴 ゴロゴロ

 ただ働きの中、うつうつと過ごしながらも、わたしはまだO社長の営業力を信じていた。
        
コメント
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