うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

壬生義士伝の暗さ

2007年04月10日 05時37分05秒 | 地方・故郷・方言
 昨日のNHK衛星第二放送で“壬生義士伝”の映画を見た。これは浅田次郎の原作である。くやしいのだけれど、この人の小説はやたらに泣かせるものが多い。この時代小説が数年前に週刊文春に連載されていた頃は毎回涙を流しながら読んでいた。(と言っても、仲間内では誰もわたしが普段から涙もろいということを信じてくれませんがね)
 ここでは、幕末の時代背景、新撰組の内側がまだまだ描写不足の感がある。たしかに、純朴と吝嗇と正義を体現した主人公の吉村貫一郎を演ずる中井貴一は熱演ものであろうが、わたしにとってもうひとつ食い足りない思いが残る。むしろそのなかでは、斉藤一役の佐藤浩市の演技がいい、そうあらためて感じた。
 
 特に感じたのは、シチュエーションだ。あの時代、南部藩内の窮状がかもしだす生活上の暗さだ。小説ではそれほど感じなかった。暗さと言っても、むろん昔の自然度の高い夜の闇のことではない。生活する環境の昏さと言い換えてもいい。度び重なる冷害(やませ)などの天災の被害を受けた飢饉による貧困、生活困窮。
 どこかで見たことがある。
 わたしの故郷は岩手県である。ただし江戸時代は仙台藩に属していた県南地方である。子供の時分には、太平洋戦争直後のひもじさがまだ残っていたようなのだ。実際にあった映画の舞台はそれからさかのぼっても100年弱前の年代だ。この映画のロケは京都と茨城県でおこなわれたとクレジットにあるが、わたしが見ても当地、盛岡周辺の情景としては少々希薄におもう。
 中井貴一は東北弁(南部訛り)を一生懸命になって覚えたようだ、他人を非難しないでものを言う言い方。あの語尾がはっきりせず、ためいき・あきらめ・哀願・悲痛なしゃべり口に、昔のことを思い浮かべた。
 あの暗さはどこから来るのだろう。
      
コメント
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