U魂(ウコン)

◆『U.W.F』最強伝説を追い求める
36歳 おやじブログ

忘却のツケ

2007-12-08 | Weblog

”人一倍”の努力とは、人の倍なので、
大した努力ではない。
稼げない、暮らせないと嘆く暇があるなら、
昼夜を問わず、職を選ばず、働けば良い。
最低5時間も休息できれば、19時間は働ける。
19時間働いても、人並み以上に暮らせないなら、
それは、贅沢のし過ぎだ。

もう、あの日から17年も経過した。19歳の冬、
当時、世の中はバブル景気に沸き人々が、浮き足
立っていた。高卒の僕でも是非にと、引く手数多の
就職市場であり、初ボーナスも3ヶ月越えだった。
そんな好景気の中、友人の一人がセルラー電話や
電磁調理器の販売で急成長した”危うい匂い”の漂う
ベンチャー企業に就職し、契約を取る毎に報奨金
という大金を手にして稼いでいた。若干20歳の若者が
年収1500万を超えていた記憶がある。そんな順風
満帆な自慢話を語りながら、「一緒に世間を見返して
やろうぜ!」と彼は酒を飲むと、煙たい人生論を
語るのが好きだった。そんな青年実業家の彼が、
ある日、突然、音信不通となった。当時は高価なだけで
圏外になる事も多かった携帯ゆえに、不通のガイダンスが
流れても、大して気にもしなかった。多分、地方にでも
出張しているのだろう・・・と2~3日もすれば帰ってくるよ。
心配で連絡してきた彼の妹に、そう告げていた。

しかし、4日経っても連絡が取れないので、必死で方々を
探し回った。そして、失踪から9日後、最悪の結果となった。
遺体が発見された。と警察からの連絡が入り、彼の母親が
錯乱し電話してきた。パニック状態の小母さんに付き添って
警察署へ出向き、懇願されて状況説明にも一緒に立ち会った。
新大阪駅近くの路上に駐車された見覚えのある軽自動車の
助手席で、彼は悲惨な姿で亡くなっていたのである。
担当の刑事さんに霊安室へ連れられて、彼の顔を確認した。
その後、気分が悪くなったら言ってくれと、現場で発見時に
撮影された数枚の写真を見せられた。直接の死因は、打撲に
よる右目奥からの脳内出血だと説明を受けた。状況から見て、
本人が運転してここへ駐車したとは考えににくい上、この場所に
放置された時点では、彼は生存していた事は確か。動けなくて、
その場で嘔吐、排尿、脱糞を繰り返し、脳内の出血に伴う
頭痛に苦しみ、耐えられず掻き毟った爪の後が4本、
左右の喉元に鮮明に残っていた。壮絶な写真に言葉を失った。

その後、車両処分に立会い、自走不能となった異臭を放つ
彼の愛車を係りの警察官と3人で押していた時、ポロポロと
涙がこぼれてきた。正直、この頃の僕は、彼をメンドクサイ
存在だと少し敬遠気味に接していた。大阪という土地柄で
在日朝鮮人として差別を受けて育った彼は卑屈な部分があり、
世間を怨んでいた。誰よりも上層思考が強くて、酒乱であり、
手の付け様の無い乱暴者だった。いつも、トラブルばかり起こし、
ケツを拭かされた事が多々あった。そんな彼だから、友人は
1人2人と離れてしまい、最後には僕を入れて4人程しか、
付き合う相手がいなかった。孤立していく中で彼はいつも、
見返してやる!と周囲を戒めるかの様に口にしていた。
鬱積した思いを晴らすには、誰より出世し、金を掴む事だ。と
信じ込んでいた。そんな自尊心の塊の様な”格好つけ”の彼が、
皮肉にも”最高に格好の悪い死に方”で逝くハメになった
無念さを考えると、さぞ、悔しかったろうな。と泣けてきた。
そして、お前の”想い”は、俺が引き受けたから。と僕はこの日、
彼のバトンを勝手に受け継ぐ決心をした。

十数年後、事件を担当していた刑事さんが退職に際し、
未解決の事件関係者へ向けて手紙を書いていた。その手紙が
実家に届いていたのを転送してもらい、記載されていた番号に
電話してみた。僕は当時から、彼の勤めていた会社の上司を
容疑者として確信していた。その旨を刑事さんにも告げていた。
しかし、最後までアリバイが崩せず、任意の事情聴取でだけで、
逮捕も起訴もされなかった。汚物まみれで死んでいった彼は、
事の真相を何も語ってくれないが、挫折しそうになる度に、あの
”異臭”が僕の頭を過ぎる。そして、自分が死んだ時に、
あいつに失笑されない様に生きねば。と考えながら常に
行動してきた。しかし、振り返れば、この事件に拘るあまり、
自分の主張ばかりを優先して、多くの人を傷付けてしまった。
多くの岐路で選択肢や手段を誤っていた。それでも、あいつと
同じく、馴れ合うより批判も厭わず、孤立も恐れず、強き
想いだけを必死に守ってきたつもりだった。

先日、上京してきた旧友に再会したら「顔が優しくなった」と
指摘された。彼は褒め言葉で僕に言ったのではなく、
「何、腑抜になっとるんじゃ!」との叱咤の意だった。
”想い”と”記憶”が時間の経過と共に薄れゆく事にまかせ、
最近、忘れてしまっていた。逝ったあいつに初めて食べさせて
もらった”ふぐ”をつつき、36歳、親友に叱られて謝罪する。
正直、すまん。余裕ができると人は怠慢になる。
でも、侮るな、まだ、やれる…と思います。


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