あと一個、評論系を書くつもり~とか言ってたんですが、書いているうちに焦点がずれて収拾つかなくなったので、ボツになりました!
あれえ~?あんなに自信満々に書き始めたのに~(苦笑)
ちょっと寝かしてから、また書くかもです。
それから、下に11/23付記事「大人と大人未満」の、焼き直し記事を。
シナリオの優劣、を語るのは、おこがましかったなあ、と。
私個人のきっかけはそれだったけど、語りたいことは別だったんだわ。<今ごろ気付くな!
で、シナリオうんぬんを削ったらあらスッキリ。
うん、こうやって1記事ワンテーマで書かないとねえ。
でもヘタクソな記事をぐちゃこら書いたから、ツッコミどころ満載で(笑)、皆様の「お前ほんとーは分かってねえだろ、ちょっとオレに語らせろやオラ!」に触れたっぽくて、話題が盛り上がって嬉しかったり(笑)
とつ様んちとか。
それから、白き焔ブログの真朱様からメールをいただきましたv
真朱様ご了解のもと、ブログでお返事~v
>アニメエドは、「今の若者」に見える。現実に翻弄されて、少しは
>成長したように見えても本当は世間と折り合えていない。
>あれが、見かけがショボクて、声も感情の起伏がなくて
>描かれたら、人気でないよ。(笑)
>だからこそ會川は、
>そういうキャラを魅力的に書きたかったんじゃないかな。
うん。
會川さんは「鋼」を描きたかったんじゃなくて、鋼という道具を使って、自分の物語を描きたかったんだもんね。
鋼は人気作だった。だからこそ自分の主張を存分に盛り込めた。
(その意味で、もーちょっと會川さんは荒川センセありがとーの気持ちを持ってくれてもいいと思うんだけどなあ。のっけから人気作になったのは、原作鋼に対するスタッフの愛があってこそ!)
>アニメがあったから、今のコミックがあるとは思う。
>もともとの荒川先生の嗜好もあるとは思うけれど
>會川さんと相互で「アンチテーゼ」的なアプローチに
>荒川先生は「痛ましさはもうアニメでやってるからいい」と。
うん。私もそう思う。
タッカーとかね(笑)。ここにもちょろっと書いたけど、原作で錬金術師の業とかそうゆーのが薄味になったのは、會川さんが暗いほうへ湿っぽいほうへ膨らませるのがあんまり得意だから(てかしつこいよねタッカー(笑))、もういいや私の方は、って気持ちになるんじゃないのかな・・・。
でも、ニーナは大切だから、彼女については、最後にちゃんと、きっと、答えを描いてくれると思ってる。
>お涙頂戴は勘弁みたいなさ。
>緊張するシーンではギャグが入っちゃうとか
うんうん。
荒川先生は「照れ屋」なんですよ。
それが上品さとか、ギャグとかで表れて、そこが私は大好きv
けど、そういうのを理解できない人もいるのよね、たまに。
ボイン好きだろ!にね、シリアスな場面で何書いてんだもっと盛り上げるべきだろ、って言うヒトもいて(男性でした。多分若い)。
ああいうのを「計算」ではなく「逃げ」と感じるらしいのよ。
私は同じ読者だから、そういう感想持つ人に「あほじゃん?」とか思えるんだけど(笑)、作者対読者の場合は、そういう受け取られ方もある、とただ認めるしか無いのよね。
そういう意味で、作者は読者よりずっと弱くて不自由だ、と・・・
えーっと、話が逸れた(苦笑)
>ヒロイックに仕立て上げて悲劇に酔わせながらも
>生き続けざるを得ない少年は、會川さんのナルシシズムだと思う。
うんうん。と頷いて。
>つまり筋肉的なナルシシズムに引かれる荒川先生VS精神的なナルシシズムに酔う會川さん
爆笑!いや、実に的確!
上手いなあ!會川ナル論は定番だけど、その対比として荒川の筋肉萌えを持ってくる、そのセンスさすがだ!
それからこの切り口にも感心。
「1(個人):多」
>1(個人):多という図式は常にあるけれど
>自分も多のほうに回ることがあるというのがコミック。
>あらゆるキャラが、1にも多にもなる。
>そして凡百のキャラクターでも、スポットを当てられうる。
>「普通に生きてる」ことの大変さ、素晴らしさ
>誰でも自分の人生においては
>ヒーロー・ヒロインになりえるよ(=自分だけがヒーローではない)
>そして誰しもが世界の一部であると言う荒川先生
>アニメではエドが多に回ることはない。
>ロイは最後に私怨を晴らすために1に立ってしまうが
>周りが1であることを許さないし、本人もそれを受け入れる。
>つまりエドしか1ではない。
>エドに読者が感情移入する主人公の目線と、
>そこからの世界のつながりを書いた會川さん。
私は「関係性の中にいる主人公」という切り口で記事を書いたけど(これ)、
「アニメではエドが多に回ることはない」。だから「主人公の目線からの」
これには気付いてなかったなあ!
筋肉ナル(外からの視線)と、精神ナル(内からの視線)にも通じるよね。
原作の「ヤツは大丈夫」と、アニメの「オレは大丈夫」も。
>結局、私も荒川マンセーだなぁ(笑)
「ツッコミどころ」という点において、會川は荒川を遥かに凌ぐということで(笑)
真朱様、メールどうもありがとー!
色々示唆を受けました。ネタにさせてもらったぜ!(笑)
これからも、どうぞよろしくお願いいたしますーv
あれえ~?あんなに自信満々に書き始めたのに~(苦笑)
ちょっと寝かしてから、また書くかもです。
それから、下に11/23付記事「大人と大人未満」の、焼き直し記事を。
シナリオの優劣、を語るのは、おこがましかったなあ、と。
私個人のきっかけはそれだったけど、語りたいことは別だったんだわ。<今ごろ気付くな!
で、シナリオうんぬんを削ったらあらスッキリ。
うん、こうやって1記事ワンテーマで書かないとねえ。
でもヘタクソな記事をぐちゃこら書いたから、ツッコミどころ満載で(笑)、皆様の「お前ほんとーは分かってねえだろ、ちょっとオレに語らせろやオラ!」に触れたっぽくて、話題が盛り上がって嬉しかったり(笑)
とつ様んちとか。
それから、白き焔ブログの真朱様からメールをいただきましたv
真朱様ご了解のもと、ブログでお返事~v
>アニメエドは、「今の若者」に見える。現実に翻弄されて、少しは
>成長したように見えても本当は世間と折り合えていない。
>あれが、見かけがショボクて、声も感情の起伏がなくて
>描かれたら、人気でないよ。(笑)
>だからこそ會川は、
>そういうキャラを魅力的に書きたかったんじゃないかな。
うん。
會川さんは「鋼」を描きたかったんじゃなくて、鋼という道具を使って、自分の物語を描きたかったんだもんね。
鋼は人気作だった。だからこそ自分の主張を存分に盛り込めた。
(その意味で、もーちょっと會川さんは荒川センセありがとーの気持ちを持ってくれてもいいと思うんだけどなあ。のっけから人気作になったのは、原作鋼に対するスタッフの愛があってこそ!)
>アニメがあったから、今のコミックがあるとは思う。
>もともとの荒川先生の嗜好もあるとは思うけれど
>會川さんと相互で「アンチテーゼ」的なアプローチに
>荒川先生は「痛ましさはもうアニメでやってるからいい」と。
うん。私もそう思う。
タッカーとかね(笑)。ここにもちょろっと書いたけど、原作で錬金術師の業とかそうゆーのが薄味になったのは、會川さんが暗いほうへ湿っぽいほうへ膨らませるのがあんまり得意だから(てかしつこいよねタッカー(笑))、もういいや私の方は、って気持ちになるんじゃないのかな・・・。
でも、ニーナは大切だから、彼女については、最後にちゃんと、きっと、答えを描いてくれると思ってる。
>お涙頂戴は勘弁みたいなさ。
>緊張するシーンではギャグが入っちゃうとか
うんうん。
荒川先生は「照れ屋」なんですよ。
それが上品さとか、ギャグとかで表れて、そこが私は大好きv
けど、そういうのを理解できない人もいるのよね、たまに。
ボイン好きだろ!にね、シリアスな場面で何書いてんだもっと盛り上げるべきだろ、って言うヒトもいて(男性でした。多分若い)。
ああいうのを「計算」ではなく「逃げ」と感じるらしいのよ。
私は同じ読者だから、そういう感想持つ人に「あほじゃん?」とか思えるんだけど(笑)、作者対読者の場合は、そういう受け取られ方もある、とただ認めるしか無いのよね。
そういう意味で、作者は読者よりずっと弱くて不自由だ、と・・・
えーっと、話が逸れた(苦笑)
>ヒロイックに仕立て上げて悲劇に酔わせながらも
>生き続けざるを得ない少年は、會川さんのナルシシズムだと思う。
うんうん。と頷いて。
>つまり筋肉的なナルシシズムに引かれる荒川先生VS精神的なナルシシズムに酔う會川さん
爆笑!いや、実に的確!
上手いなあ!會川ナル論は定番だけど、その対比として荒川の筋肉萌えを持ってくる、そのセンスさすがだ!
それからこの切り口にも感心。
「1(個人):多」
>1(個人):多という図式は常にあるけれど
>自分も多のほうに回ることがあるというのがコミック。
>あらゆるキャラが、1にも多にもなる。
>そして凡百のキャラクターでも、スポットを当てられうる。
>「普通に生きてる」ことの大変さ、素晴らしさ
>誰でも自分の人生においては
>ヒーロー・ヒロインになりえるよ(=自分だけがヒーローではない)
>そして誰しもが世界の一部であると言う荒川先生
>アニメではエドが多に回ることはない。
>ロイは最後に私怨を晴らすために1に立ってしまうが
>周りが1であることを許さないし、本人もそれを受け入れる。
>つまりエドしか1ではない。
>エドに読者が感情移入する主人公の目線と、
>そこからの世界のつながりを書いた會川さん。
私は「関係性の中にいる主人公」という切り口で記事を書いたけど(これ)、
「アニメではエドが多に回ることはない」。だから「主人公の目線からの」
これには気付いてなかったなあ!
筋肉ナル(外からの視線)と、精神ナル(内からの視線)にも通じるよね。
原作の「ヤツは大丈夫」と、アニメの「オレは大丈夫」も。
>結局、私も荒川マンセーだなぁ(笑)
「ツッコミどころ」という点において、會川は荒川を遥かに凌ぐということで(笑)
真朱様、メールどうもありがとー!
色々示唆を受けました。ネタにさせてもらったぜ!(笑)
これからも、どうぞよろしくお願いいたしますーv
私も記事とはまったく関係がないのですが、鋼の錬金術師「新シリーズ」の公式サイトが今日から”始動”していました!
来年4月のようですよ*
それでは、いきなり失礼しました。
みみみ見ました!録画したままのガンダム00をすっ飛ばしてCMだけ!!!
明らかにロイの顔が違いますね。(ちょい変?)本当に原作版なんだー。
すみません。興奮しました。
>會川さんは「鋼」を描きたかったんじゃなくて、鋼という道具を使って、自分の物語を描きたかった
本当にそれは感じますね。
いまガンダム00も書かれていると思うんですけれど、あれも本当に救いが無い。ここまでやるか!!という位全員の希望をことごとく潰している気がする。
誤解を恐れず言い放ってしまえば、會川さんって視聴者に愛や勇気を伝えたいとかそういうのじゃなくって、単にテレビという媒体を使って表現するのが好きなサディスティック趣向の持ち主な気がしてしまいます。
いや、それももちろん會川さんほどの才能の持ち主なら立派に芸術の域だとは思いますが。
でもやっぱり、救いと希望のある荒川先生の話のほうが断然好きですね。
監督こそ同じ水島精二さんですけど、脚本は黒田洋介さんです。
公式HPリプレイして見ちゃいましたよ(笑)
いやあ、ついに来ましたね!次は単行本CMがもしかして今日あたり?!
ワクワクです~♪
nono様こんにちは!
お知らせ下さってありがとうv
あれ様(でいいのかな?)ご指摘通り(ありがと!)、ガンダムは會川さんじゃないですが、そのあたりは竹田プロデューサーのポリシーとかもありそうですよね…。
新アニメもちょっと心配だけど、でもきっと大丈夫!
皆様、コメントありがとうございました~!
すみませんー!
私は水島監督はインタビューなどからソフトな方という印象を受けています。
監督脚本に関わらず、この枠の作品群には一定の傾向があるように思うんですが… さて、新アニ鋼はどうなるか?!
コメントありがとうございました~v