歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

ユリイカ荒川弘特集感想その3

2010年12月17日 | ◆小ネタとか突っ込みとかつぶやきとか
次は、宗教学の大田俊寛さん。「超人的ユートピアへの抵抗」
これもまた、すっごい、いいの!!!

アニメやコミックの代表的作品のいくつかにおいて、ある同一の主題が反復されているのではないか?とし、その物語の構造を挙げる。
ちょっと長いけどまるまる引用します。

「1)社会にうまく馴染むことができず、疎外感を抱えた主人公が登場する。そして主人公は、その疎外感を解消するために、何らかの「能力」を求める。
2)その過程で主人公は、同じ「能力」の獲得を目指している組織的勢力に出会う。組織は「能力」を完全にわがものとすることによって世界の支配を目論んでいる。
3)主人公は次第に、そうした組織が求めるユートピア的世界観に違和感を抱くようになる。そして主人公は、組織と同種の「能力」を使うことによって、彼らに対抗する。」

あるあるある!
ガンダム・ナディア・エヴァ・アキラなどなどを例にあげてるけど、これはまー、ほんっと「よくある設定」だ。
そして鋼もこの中に入る。
そう。あまりにありふれた設定であるので、鋼がこの枠内に入っていることさえ、意識的に考えないと気付かない。

大田さんはこの構造を「超人的ユートピア」と名付ける。(か、あるいはすでに名付けられているのかな?)
そして大田さんは、この「超人的ユートピア」は、サブカルに自然発生的に生まれた夢想じゃーなく、ナチズムが抱いていたものと同一なんじゃないか、と分析する。

ナチの思想が神秘思想に基づいたものだった、というのは、シャンバラを経てきた鋼ファンにはお馴染みのことであるけれども(と、ちょっと偉そうに語ってみる(笑))、サブカルの手前にナチ思想を置き、鋼とナチの親近性を語る大田さんの考え方には、私は首を捻る。
シャンバラが舞台をワイマール時代に取ったのは、鋼が超人的ユートピア思想サブカルだからではなく、鋼が錬金術というモチーフを用いた結果である、と思うし、また、ナチとの親近性として挙げている4点についても、神人思想は錬金術というモチーフによるもの、民族粛清はナチに限った話ではなく、人体実験はむしろ731部隊、大総統のデザインは分かりやすい記号としてであって具体的にヒトラーを模したものではない…と、私は思う。

批評は批評的視点で読み解かねばならない、とどっかの批評家が言ってたんで(素直に納得してんじゃねえ喧嘩を売る気で読み解け!か。わかるぞ~(笑)。けど独り善がりでない喧嘩って、実に難しいよね・・・)、ちょっと反論してみた(笑)

逆に、「ここで簡単に、ハガレンの物語を要約してみよう」から始まる、ホーエンハイムとホムンクルス(黒マリモ)の物語はとても的確で、むしろこの要約を正とすることで荒川弘作品の「ゆらぎ」が見えてくる程だ。
うーん、上手いなあ!面白いなあ~♪

さて、そのように展開されてきた文の、最後の2ページが実に素晴らしい!!

「アニメやコミックの物語においてしばしば描かれる、主人公が疎外感を解消するために「母なるもの」の回復を求める」というモチーフに鋼も当てはまるとし、
「ハガレンにおいて錬金術とは、幼児的な全能感を再び獲得したいという欲望を象徴」していると分析する。
びっくりした。エドの象徴、特別な能力である「錬金術」を、このように一刀両断したテキストを私は読んだことが無かったので。
幼兄弟における錬金術に限定して?と読み返したんだけども、この記述は幼兄弟を前提としてるけどそこに留まっていなかった。うわー!

そして「真理の扉の向こう側」についても「神的な全能状態が実は自閉的な無能状態と等価であること、あるいは、絶対的に充溢した永遠の生が死と等価である」と語る。うおおお!
友達と、真理の扉の向こう側って何?という会話をしたことがあって、私はうまく答えられなかったんだけど、あれは「全にして無」なんだよ!
全てはそこにある。でもあるだけで、何にもならない。
そこから何かを引っ張り出す、何かを作り出すのは常に「人間」の「意思」であり、扉をの開き方を無意識的に知る人は錬金術を使うし、開き方を知らない人はその手を使う。そしてエドは扉を無くしたから、開き方を知らない人と同じに、その手を使っていくんだ。…と、私は理解したけど。
でも、彼女はきっと、彼女の思考回路を通って彼女の結論にたどり着くんだろう。がんばれ!

さて、こっから先は丸々引用になってしまうのだけども。
「両者の対立は二人の父、すなわち、全能の原父たらんとする「お父様」=ホムンクルスと、一人の人間としての限界を受け入れようとする「クソ親父」=ホーエンハイムの対立を意味している。そして、主人公のエドとアルはこの対立に介入し、かつて自分たちを捨てた父親との和解を遂げ、最後には自身の力でホムンクルスを打倒することになる。この点でハガレンの物語は、古今東西の諸神話に見られる『原父殺害』のモチーフを反復していると見ることができる」
「多くの平凡な作品であれば、主人公が敵対者以上の全能の力を獲得することによって勝利する、という展開が描かれるのだが、ハガレンの物語が卓越していると思われるのは、むしろ主人公が、全能性への希求を断念することによって敵に打ち勝つとされている点である」
全能性への希求を断念する、に、傍点がついています。

そして、全能性=ナチ的幻想(一つの原理のなかに身も心も溶かし合う強固で緊密な共同体を形成したいという幻想、さらに、生命を人工的に操作することによってそれを実現したいという幻想)は、今もなおリアルだ、とし
「戦後において、日本のアニメやコミックの物語が繰り返し主題化してきたのは、こうした現代的な全能欲求の幻想を昇華し、一人の人間として生きるための方途を指し示すことであった (中略) このような主題をうまく物語のなかに定着させ、納得のゆく結論を描き出すことは、実際にはきわめて難しい。ハガレンという作品は、本論の最初に示した主題を反復しつつ、全能欲求の昇華や父と子の和解、世代間の継承の問題などを、洗練された物語形式の中に描ききったという点で、高く評価することができるのではないだろうか」
と、結論付けます。

あー!気持ちいい!気持ち良いぞー!
誉められたのが嬉しいのはもちろんだけども(笑)、それ以上に。
父との和解と錬金術の放棄(=幼児的全能性の断念)、が最終回にまとめて描かれていることの意味、エドが最後に「素手で」マリモを打ち倒すことの意味。それらを明確化してくれたのが、すっげー嬉しい!

ハガレンは、幼児的なアニメ的なサブカルちっくな、「特別なオレ」幻想から生まれた物語だが、その幻想に一つの納得ゆく結論を示した。
ここはね。私が、鋼は少年が一人きりの少年漫画で、ラノベではなくジュブナイルだ、と語ったのと同じことを、語ってくれてるんだ。あと真朱様が鋼は王道だ、と語ってくれた記事とも通じる。
「敵対者以上の能力を獲得することによってではなく、その能力の断念によって勝つ」ここは、トップバッターの藤本さんが語った、「強さのインフレが無い」の、結果とも言える。
ユリイカ、ほんっと面白い。読めば読むほど、それぞれの論考の論点が交錯してゆくのです。

さて!
ユリイカ感想、まだまだ先が長いけど、行けるとこまでがりがり行くよ!がんばって書くぞー!

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3 コメント

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コメントありがとうございます。 (歌猫)
2010-12-31 15:13:30
バブル世代組様こんにちは!
お返事遅くなって申し訳ありません。ユリイカはご覧になりましたでしょうか?深い考察やユニークな視点は、刺激的ですよね!じゃあ、こういうことなのかな?ああいうことなのかな?とどんどん考えが深まります・・・が、思う端から忘れていくので(笑)、せめてブログに残そうと思ってたのですが、年末の慌しさで全く更新が進まず、申し訳ありません。
友愛グループ組と絶対者組、という対比は、その語句が的確で面白いですね!鋼は少年漫画なので当然のこととして友愛グループ組が勝利を収めましたが、その裏側にはもしかしたら、新しく生まれた希少な生命体が既存の価値観によって淘汰された物語、があるのかも・・・?!妄想の域ではありますが(笑)、そういう風にぐるんとひっくり返して考えるの、私も大好きです!
セリムについても、私はてっきり、ホムと人間との友愛の希望として彼を残したのだと思っていたのですけれど、作者はセリムがどのような大人になるかは分からない、なにしろあのセリムだし、と言っていて、うーん、怖いなあ!と思いました。でも私はセリムが大好きなので(エドの親戚は全員大好き!黒マリモも好きだし、スロウスももっと好きになりたかったなあ)、彼の未来はきっと幸せなものに違いない、と祈るような気持ちです。作品論とか放り出して、思いっきりファン心理なんですけど(笑)

セイ様こんにちは!
更新が滞ってしまって申し訳ありません。コメントありがとうございます!
感想の続きは、もうちょっと記事を簡潔にして、きちんと書きたいと思ってます。
ご訪問ありがとうございました!
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拝読しました (セイ)
2010-12-22 16:54:00
ユリイカの感想がちゃんと書かれているブログを探していてたどり着きました。
読ませていただけてうれしかったです。
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Unknown (バブル世代組)
2010-12-19 11:35:17
おすすめいただいたユリイカ、田舎の書店には打っていないのでいずれネットでお取り寄せしようと思います。
今回紹介された大田さんの見解、アメストリスとナチス・ドイツの類似性について、歌猫様は賛同はされていませんが、私はユリイカを未読ですので詳しくは判らないのですが、前回紹介されていた「イスラエルとアメストリスの共通点」と並べてみますと、興味深いですね。
何故なら、イスラエルはユダヤ国家で、ナチスは反ユダヤだからです。対立する思想から生まれた国家同志なのに、突き詰めればやる事は似ているのでしょうかね?
ということは、エドたちがホムンクルスを封印した事はホムンクルス側にしてみれば「迫害」という禍根に。善悪は立場によって反転し、相対的なものになってしまうのだろうか。
誰かの感想ブログでは、エドたちクーデター組も黒いところがあると言っていたし…
勿論黒さの比率が違うけどね。

御友人ブログの「鋼は王道」という記事は私も拝読し、とても納得させてもらいましたが、セレムを生かすことで彼らの仲間が完全にこの世から消えたわけではないという事を示唆されていました。(それも物語のセオリーなのだそうですね)
なので、鋼もエドたち「友愛グループ組」が勝利して終わり!なのでなく、友愛以外の力で世界秩序を作る「『神に近い力を持った独裁者が統治する世界』に賛同グループ」がセリムを持ち上げてまたクーデターを起こす可能性が…アレアレ(笑)
ホムたちは、戦争を起こしてばかりいる人類を、見下していたけど、確かに世界に一人だけの絶対君主がいたら、大がかりな戦争は起きないはずだし。
オーウェルの「1948」みたいな世界です。
でも、自由と平和が両立する世界が理想ですよね。
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