ちょっとびっくりした。
ニーナの回について。
「『死んでも簡単に生き返る』『アニメだから何でもアリ』とかいう概念を覆した名シーン」として挙げてた方がいらして。
それは、03年版鋼についての語りでね。
そして、このようにおっしゃってた。
「リメイク版「ハガレン」では生ぬるく修正されていましたが」
だから03年版を評価する、と。
私は、詰まった。
だって、ここで、「いや、09年版のが原作に添ってるんだよ」とか、「そもそも『死んでも簡単に生き返る』を覆したのは原作者荒川弘なんだ」とか反論したって。
それには何の意味も無い。
なぜならこれは、アニメについて、語っているから。
そして、「『死んでも簡単に生き返る』を覆した」のは、確かに、水島監督と脚本會川氏の功績でも、あるのだ。
鋼を語るブロガーは、原作も読んでいる。
アニメブロガーも、原作を読んではいなくとも、03年版はオリジナル結末で、09年版は原作沿いらしいという情報は知っている。
でも。
そうでない人にとって、今、放映しているアニメは、「水島鋼のリメイク」なんだ。
それが、ちょっと、びっくりだった。ありていに言えばショックだった。
「無かったことにする」のではなく、最初から「無い」のだ。原作は。原作を読まない人にとっては。
私は、鋼FAが好きだ。
でもその気持ちの根幹は、水島版以外の鋼もあるということを世に知らしめてくれた感謝、だ。
つまり私は鋼FAを、荒川鋼のリメイクとしてしか、見ていないんだ。今はまだ。
そっか。
それがちょっとショックだった原因なんだ。
こんな簡単な結論に、すごい考え込んじゃったよ…。
うまく、形になってないんだけど。
作品は、結局は、読む人個々人の中にしか、無いんだ、とか。
知られる、ことでしか「存在」できないのなら、確かに作り手より送り手こそが、作品を生かす力を持っているのかもしれない、とか。
けれど、どんな背景や歴史があろうと、メディアミックスやら何やら送り手の技術が進歩しようと、それでも、作品は、どれも独立した一個の作品であるべきなんだ、とか。
鋼FAは独立した一個の作品として、どこまで誰かの心の中へ、届いていくのだろう、だとか。
私の中にはもう、荒川弘の漫画がどうしようもなく存在している。
また、ほかの人の中には水島鋼がどうしようもなく存在している。
でも、だからこそ、まだ鋼が何も無い人たちに(それはきっと小学6年生の男の子だったり、最近ジャパニメーションに目覚めたどこかの国の女の子だったり、するんだ)、どうか鋼FAが、まっすぐにまっすぐに、届いてゆきますように。
ニーナの回について。
「『死んでも簡単に生き返る』『アニメだから何でもアリ』とかいう概念を覆した名シーン」として挙げてた方がいらして。
それは、03年版鋼についての語りでね。
そして、このようにおっしゃってた。
「リメイク版「ハガレン」では生ぬるく修正されていましたが」
だから03年版を評価する、と。
私は、詰まった。
だって、ここで、「いや、09年版のが原作に添ってるんだよ」とか、「そもそも『死んでも簡単に生き返る』を覆したのは原作者荒川弘なんだ」とか反論したって。
それには何の意味も無い。
なぜならこれは、アニメについて、語っているから。
そして、「『死んでも簡単に生き返る』を覆した」のは、確かに、水島監督と脚本會川氏の功績でも、あるのだ。
鋼を語るブロガーは、原作も読んでいる。
アニメブロガーも、原作を読んではいなくとも、03年版はオリジナル結末で、09年版は原作沿いらしいという情報は知っている。
でも。
そうでない人にとって、今、放映しているアニメは、「水島鋼のリメイク」なんだ。
それが、ちょっと、びっくりだった。ありていに言えばショックだった。
「無かったことにする」のではなく、最初から「無い」のだ。原作は。原作を読まない人にとっては。
私は、鋼FAが好きだ。
でもその気持ちの根幹は、水島版以外の鋼もあるということを世に知らしめてくれた感謝、だ。
つまり私は鋼FAを、荒川鋼のリメイクとしてしか、見ていないんだ。今はまだ。
そっか。
それがちょっとショックだった原因なんだ。
こんな簡単な結論に、すごい考え込んじゃったよ…。
うまく、形になってないんだけど。
作品は、結局は、読む人個々人の中にしか、無いんだ、とか。
知られる、ことでしか「存在」できないのなら、確かに作り手より送り手こそが、作品を生かす力を持っているのかもしれない、とか。
けれど、どんな背景や歴史があろうと、メディアミックスやら何やら送り手の技術が進歩しようと、それでも、作品は、どれも独立した一個の作品であるべきなんだ、とか。
鋼FAは独立した一個の作品として、どこまで誰かの心の中へ、届いていくのだろう、だとか。
私の中にはもう、荒川弘の漫画がどうしようもなく存在している。
また、ほかの人の中には水島鋼がどうしようもなく存在している。
でも、だからこそ、まだ鋼が何も無い人たちに(それはきっと小学6年生の男の子だったり、最近ジャパニメーションに目覚めたどこかの国の女の子だったり、するんだ)、どうか鋼FAが、まっすぐにまっすぐに、届いてゆきますように。
どうしようもないですけど。
うーん。そういうのはさ、もう「わかってる」ことじゃない?(気にしないのが一番よー)
私の場合は、知らないところからボールが飛んできてびっくりした、って感じです。
そんで、何でびっくりしたのか、その理由がわかるまで、結構時間かかっちゃったのが、アホだなあ、と。
でも次からは、この人はあそこに立つ人だからこういう捉え方で、私はここに立つからこうなんだ、って分かると思う。視野が広がって良かった!
(良い子ちゃんな言い方するとね(笑) 腹黒な言い方をすると、今度は固まらずにケンカできるぜ!みたいな(笑))
前作のリメイクと言われると猛烈に「違うって!」と意見したくなるぅ~!(苦笑)
私は違う部分や凝縮があっても原作沿いとして認識してるからでしょうね。
子供はもちろん大人も素直にFAを愛してくれたら嬉しいな(^-^)v
あともう一つ、子供も大人もアニメ見て興味がわいたら原作買ってねvでしょうか(笑)
原作大好きなんで誘導を(笑)
元々「新シリーズ決定」というネットニュースがきっかけで「鋼の錬金術師」を知り、水島版を見ました。
鋼が大好きになりましたが、それはアニメ好きの自分が、アニメ鋼を好きになっただけのことで原作には興味がなかったんです。
多くのアニメ好きは、原作付きアニメは作品の内容が変わることを知っています。鋼はそれが顕著だという事も一応知っていました。
だからこそアニメ好きの私は、あえて原作を読まないようにしていました。
私の中にはもう、水島版鋼がどうしようもなく存在しています。
でも歌猫さんのブログを読ませていただいて、私の中の鋼の世界に一気に深みと広がりが生まれました。
原作にすごく興味がわきました。
これはもう、原作を買うしかないって!
今でも私の家には鋼以外の漫画は無いくらいです。(いや、読みたい作品は沢山あるんですけど)
歌猫さんのおかげで原作も大好きになりました。
そして原作の魅力を忌憚なく語る歌猫さんが大好きです。
私にとって歌猫さんは原作鋼の送り手です。
きっとこれから鋼FAを観た多くの人が、このブログに出会うことで、原作を手に取るきっかけになるんじゃないかと思います。
このブログに出会った私のように。
長文・駄文失礼をば。
ええ、「違うって!」って言いたくなりますよね~。でも、言えない。
ってことで、なんかまた発見をしてしまいました(笑)
筆頭スポンサースクエニは「原作買ってね」なんだけど、アニメとマンガはどうしたって別物なんだよな、アニメ視聴者とマンガ読者って近いけど重なってはいないんだよな、と改めて思った次第です。
ひろ様こんにちは!
わー、ひろ様を原作に誘ったきっかけって、私のブログだったんですね?嬉しいです。光栄です。ありがとう!
水島版については微妙に辛口でごめんなさいなんですけれども…こ、こんなブログでも読んでくださる、ひろ様がお優しいのですよ~;
>歌猫さんは原作鋼の送り手です
最高の誉め言葉…や、照れちゃう。てか、そんな、うん。たまたま幸運な出会いだったんですよ!
何よりも、荒川弘のマンガが面白いから。
いろいろなきっかけで、たくさんの人が、鋼を好きになる。そのきっかけのひとつになれた…の、かな。えへへ。嬉しいです。
うまく、言えないんだけど、すごく嬉しいコメントで。ほんと平凡な言葉しか無いんだけども、ありがとうございます。
コメントありがとう。原作好きになってくれてありがとう!