いつの間にか山茶花が咲いていました。
昨日紹介した「冬の匂い」。
それに、この山茶花の香りも含まれるのかもしれませんね。
僕が感じる一番の「冬の匂い」は、
子供の頃の思い出が大きいですね。
雪が降り出す前の雲を見上げて、
鼻がツンとなるほど冷たい空気を吸った時。
その空気は、はるか向こうの山を越えてやってきて、
あーあっつ、冬が始まるんだなと、思わせてくれます。
それは、あきらめにも似た期待感の匂いです。
これから長い冬が始まるんだという、あきらめと、
明日の朝起きるとあたり一面真っ白くなっているだろうという、期待感。
その二つの矛盾した感覚が、雪空の空気を吸った時の、
鼻ツンに集約された、「冬の匂い」です。
北海道出身なので、長い冬と雪に対する思い入れが深いのかもしれません。
山茶花は11月21日 多摩遊歩道で撮影
今日 愛読している漫画、モーニング連載の「とりぱん」に
「冬の匂い」というフレーズがありました。
「冬の匂い」、いいフレーズですね。
「とりぱん」は、野鳥の生態を描いている「とりのなん子」さんの漫画。
庭先に訪れる様々な野鳥を鋭い観察力で描いている、僕の大好きなマンガの一つです。
良くそんなところまで気づくな! と毎回感心させられる鳥の生態。
ヒヨドリ、シジュウカラ、スズメ、オナガ、ムクドリ、など、都会の公園に行くと
見られる様々の鳥達が見事にキャラクタライズされています。
イジメッコ、ドジ、はしっこい、愛くるしいなど、そのキャラクターはまるで人間社会の縮図。
人間臭い鳥達を生き生きと描いています。
今回「とりのなんこ」さんが感じた「冬の匂い」は、
動けなくなったバッタを手のひらに乗せた時、
葉が落ちて裸になった枝にヒヨドリの巣を見つけたとき、
からっぽな空に雲が密度を増す時、
そんな時に「冬の匂い」を感じたのでした。
なんか詩的でいいなー、と思いながら通勤電車の中で、
空を見てみたくなりました。
満員のため空を見るのは無理だったのですが。
今年の「冬の匂い」に僕はまだ出会っていないようです
先日撮影した写真の桜の落ち葉に、
「秋の匂い」を感じました。
僕にとって冬は、もう少し先のようです。
11月21日 多摩粉遊歩道
週末から昨日にかけて、
北関東を散策してまいりました。
キタテハの集合シーンに出会いました。、
一心不乱に蜜を吸っていたキタテハは、
熟したトマト、というよりも、
収穫されないで萎んできたトマトに集まっていました。
水分が抜け落ちてきた分、糖度が増しているようです。
あたりに甘い花が少ないせいもあると思いますが、
とにかくこんなに一箇所に集まったキタテハを見るのは初めて。
数えてみると5頭のキタテハが集まっています。
キタテハはこの姿で越冬するので、
養分補給に余念がないようです。
遠くに見える山はもう冠雪。
スキー場は来週にもオープン。
冬はもうすぐそこまでやってきています。
11月7日 北関東
今年はミツバチの数が少なかったように思います。
先日紹介した小金井公園のコスモス畑にも少なかった。
去年よりも少なかったです。
あくまでも僕の主観なんですが、少なかった。
ミツバチが少なくなることでの、影響はびっくりするほど大きいのです。
実は。
野菜、果物の受粉をしていたのは実はミツバチなどの昆虫。
ミツバチはその受粉の大役を果たしています。
ミツバチがいなくなり、受粉が出来なくなくなると、
キュウリ、ナスなどの野菜が出来ない、
果実が実のらないという弊害が出ています。
ミツバチの大量死を扱ったアメリカの文献には、
アメリカのアーモンド畑でミツバチが足りなくて受粉出来ず、
急遽ミツバチを世界中から取り寄せた、
とか、
中国では果物の受粉できず、何万人という人海戦術で受粉した。
とかネオニコチノイドが農薬として散布される前には考えられないような
事態が起こりました。
フランスは正式にネオニコチノイドの使用を禁止しました。
人間に影響はないとは言っていますが、
人体実験をしたわけではないし、子孫への影響も分かりません。
そんな色々な情報を知ってしまうと、
公園の菜の花に来ていたミツバチをとても愛おしいと思えてきます。
無農薬、無肥料栽培が見直されている昨今、
なんでネオニコチノイド系農薬が日本で許可されているのか。
僕は不思議でたまりません。
この写真は 今年の春に菜の花に来たミツバチを撮ったものです。
かわいいですね。