戦国武将には男色家が多いけどさ
1 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:09:01
幕末の志士とかには男色家っていなかったのかな?
参照:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1208268541/l50
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【戦国武将には男色家が多いけどさの続きを閉じる】
3 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:14:57
近藤武清はガチだけどちょっと面白みがないな
4 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:17:11
一口に男色つっても、男オンリーのゲイと両刀のバイとで話しは変わってくるんじゃね?
5 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:26:41
>>4
なるほど
近藤武精ってどっちだっけ?
7 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:30:21
悪い
近藤武清だ
9 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:41:12
>>7
男オンリーのガチホモ
8 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:38:56
織田信長も足利将軍家を追放した訳で、、。
徳川家康も豊臣家を滅ぼした訳で、、。
薩長も松平家を滅ぼした訳で、、。
11 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/16(水) 00:26:35
坂本龍馬とかはフリーメーソンの愛玩だったんじゃないのかなあ
貧しい浪人武士が国を変えるほど力を持つってのは普通はありえないよな
スポンサー(パパ)がいてこずかいもらってたんだと思うな
19 日本@名無史さん 投稿日:2008/08/31(日) 06:02:40
西郷どん
新撰組隊士には多かったんじゃないか?
近藤が「ホモが流行って困る」みたいな手紙出してたよな。
21 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/04(土) 07:18:58
新撰組って現代で言えば男子校みたいなモンだろ
22 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/09(木) 13:57:36
昔はホモ武士が多かったのですね
23 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/09(木) 14:39:34
後藤又兵衛と裸で抱き合う長曽我部盛親
33 日本@名無史さん 投稿日:2008/11/19(水) 01:21:17
今川義元が織田信長によって討ち取られてから、
今川を見限って松平元康の元に去っていく家臣
どもの人質に酷い串刺しの刑を使ったのは有名
な話である。太い丸太棒を奥方様や姫君様の小
さな尻の穴から無理やりギリギリに押し広げて
直腸の中に突っ込ませたのだ。
これは衆道の道に長けた氏真自らの指図で、人
質の女性達は次々と肛門を引き裂かれて血を噴
き出しながら、長い時間地獄の苦しみに責め苛
まれて尻から口まで串刺しにされていったので
ある。
処刑を任された吉田城主は氏真に勝る男色家で、
只一人の男子の人質である美童の松平家広の子
右近十四歳に懸想していた。
「余に仕えよ、されば助命してくれよう」
ともちかけたが、敵の情けを受けがたい右近は
きっぱりと断った。その夜、右近は数人の家臣
達に押さえつけられて吉田城主小原肥後守鎮実
に尻を犯されてしまった。数日後、嬲り尽した
鎮実は右近を生まれ故郷の形原まで引き出し、
大の字磔に縛りつけて真下から大人の手首ほど
もある太さの竹槍で肛門から口に突き抜ける様
に串刺しにしてしまった。この様な話は戦国時
代には幾らでもあったのだ。それほど男色家が
幅を利かせていた時代でもあった。
37 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/03(水) 06:04:32
男とやっていたと記録される戦国武将なんて、
大内義隆と武田信玄と伊達政宗以外にない。
流行っていたんじゃなくて、許容されていただけ。
信長、謙信、家康は俗説のみで信憑性なしだし。
41 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/04(木) 07:32:50
>>37
流行ってたというか常識だっただけ。
男色はわざわざ記録に残す必要もないほど当たり前のことだった。
39 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/04(木) 07:29:00
∧_∧ ∧_∧
( ´∀`) ( )
三 (, つ ノ ( >>1 ) ホモスレは・・
/ ) ) | | |
. 〈_)\_) (__(___)
∧_∧ .∧_∧
( ´∀) ( )
( つ ( >>1 .) 立てんなって
≡≡三 三ニ⌒).| | |
〈__)__) ̄(__(___)
∧_∧∧
( ´) ) ←>>1
/  ̄,ヽつ 言ったろうが
C /~/~
> > くっ
\__)し'
∧_∧ オラ、気持ちいいだろ
( ´∀`)
/ ヽ、 ∧∧
(( C( ヽ__( ´Д) アッー!!
/ ( 、__ Y、
〈__∠__,)) ヽ_'っっ
43 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/05(金) 08:50:40
いかにも。
37番は底抜けのド白痴だナッ!
47 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/05(金) 18:33:47
当時の日本人は近代以降の如くに無様な西洋かぶれの植民地根性に成り下がっちゃ居なかったから
男色のほうが女色より崇高にして立派な営みだという真理を、しかと会得していたのだナッ!!
それに引き替え当節の日本男児たるや、軟弱下劣なヘテロ風情に成り果ててしまいやがって。
呆れ返るゼッ!!!!!
まったく。
O TEMPORA O MORES !
55 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/05(金) 22:12:44
利家と信長の件については信憑性高いだろう。普通に。
あと毛利家でも大内義隆と小早川隆景の関係を自慢する史料があるな。
57 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/06(土) 13:50:49
伊達政宗に掘られたい
58 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/06(土) 17:20:27
合戦で敵と組み合ってゴロゴロしてるうちに変な気起こしてやっちゃったやつとかいたんじゃないの?
61 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/07(日) 13:06:32
乱丸と信長の関係も長い間盲信されていたが、
利家と信長のホモウソウもまだまだ続きそうだな。
64 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/08(月) 20:10:22
>>61
存念ながらそういう事にはならないんだよな。
信長と蘭丸も関係はあったかもしれんが「絶対的証拠がない」というだけのことだ。
司法とか裁判の世界の場合は
「絶対的証拠がない限り事実とは認められない」だが
史学の場合はそういう事にはならないんだよね。
司法の場合は「99%こいつはクロだろう」という時でも
「100%そうとは言えない」という理由で無罪の判決を出さなくてはいかん時もあるが、
史学の場合、それだとなんにもできないんだよな。
「100%そうだという確証がないとダメ」だったら史学という学問自体が破綻してしまう。
「信長と森蘭丸は間違いなく男色関係だったという証拠を出せ」というのは無理だが。
「信長と森蘭丸が間違いなく男色関係ではなかった証拠を出せ」というのも無理なんだよね。
だから信長が小姓の乱丸と一回くらいは関係持ってたかもしれない。
信長と利家についてはある程度の証拠もあり「可能性はかなり高い」
と言わざるやおえず、それを否定するのはちょっと無理なんだよね。
て言うか永遠に無理だ。
69 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/14(日) 06:08:36
>>64-65
悪魔の証明キター!
前にもどこかで同じ主張して散々にやられたのに繰り返すのかよ。
君も受験生時代はお母さんにフェラしてもらっていないと証明できないでしょ?
証明できない仮定の物語を持ち出してそれを事実として扱うのを捏造というんだよ。
74 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/14(日) 21:35:14
>>69
そうだよ。「悪魔の証明」だよ。
でも、史学の世界ってのは化学とか司法の世界のように
「100%事実と証明できなければ絶対に認められない」
というわけではない。
そんなこと言ってたら史学という学問そのものが存在しない。
89 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/19(金) 19:07:04
>>74
いやいや、あんたのは学問でもなんでもなくて、
ただのゴネでしょ。
根拠が微塵もないことを主張して「百パーセントないことではない」なんて、
司法なら名誉毀損にあたるんだよ。
歴史学では根拠となる史料もそれを暗示する傍証材料もなければ、
「総合的に考えてない」と考えるんだよ。
あんたの主張だと、織田信長と秀吉には性的関係があったとか、
真田幸村は十勇士を駆使していたみたいな、
そんな愚説もまかり通ることになるぞw
96 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/19(金) 21:34:34
>>89
いや、そうではなく利家と信長の関係なんかは帽章があるからな。
それまで「妄想」とかいって否定しようとする奴がいるからな。
信長と乱丸に関しては「小姓」という立場上と「火のないとこに煙は立たず」理論で
やってるかどうかはわからないけど、やってる可能性はそこそこあるって事だ。
97 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/19(金) 21:49:22
>>89
歴史人物には訴える権利がないから名誉毀損してもやる側は平気
>96
あれは微妙だよね。
傍証ではあるけど、いかにも江戸時代の人が好きそうな逸話で、
直江兼続の閻魔裁きレベルなんだよなー。
武功夜話や名将言行録みたいな。
可能性はそこそこと言うまでには至らないキガス。
65 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/08(月) 20:13:54
>>61は
「妄想」とか言い切っているが
「信長が乱丸や利家と一度たりとも男色をしていない」
という証拠を出せるのかな?
そういう証拠をきっちりと出せるのなら認めてもいいぞ。
66 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/09(火) 08:19:44
当時は男色は普通だったからな
秀吉が女性にしか興味を沸かなかったのを珍しがられているぐらいだし
70 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/14(日) 06:22:41
66にしたって出典は江戸時代の俗書でしょう。
今はSMプレイをするのは不健全じゃないとか、
女性誌でも書かれているけど、
実際問題として市民はそう見ていない。
江戸時代も同性に興味のない男が大半だったから、こんな逸話が生まれたのではないかねー。
「あー、さすが人間くさい秀吉は俺たちと一緒だ」と。
99 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/19(金) 22:10:37
戦国時代にはそれほどなかったのに、
江戸時代になると途端に男色が増えたね。
主従の権力関係がそれだけ強化されて、
民衆に財とゆとりが生じたがため、
開放感から増殖したのかも。
100 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/20(土) 08:08:47
衆道は戦国時代から武士の間には浸透していました。
江戸時代になり庶民生活が豊かになると、武士の文化も流入してきて、それで流行ったのです。
119 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/11(日) 19:36:05
信長の男の好みってゴツい感じの様だけどなあ
なんか荒武者ばっかりじゃないか?
蘭丸も現在思われてるのとだいぶイメージが違うと思う
122 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 19:20:40
>>119
衆道の相手にされたのは10代の少年が主体だったのを見ると
本物のゲイがおっさん同士で抱き合っているのとは随分相違がある
まだ華奢な少年の体は女性の化身であり
髭面で胸板の厚い成人男子は好まれなかった
前田利家なども10代のころは主君信長の衆道の相手だったが
20代になるとこのお役を免ぜられたようだ
ちなみに利家は当時としては晩婚でまつと結婚したとき23歳だったといわれる
(当のまつは12歳で早婚なのだが)
123 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 19:41:19
>>122
男色ばかりでなく女色の方も現代みたいに
中年女を抱いたりしないのが普通だったんだがな。
庶民はまだしも武家とか貴族は30すぎくらいには
もう「おしとねお断り」が行われるのが普通だったんだが。
125 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 20:59:28
>>123
江戸時代の大奥の「おしとねお断り」は大奥女中側から申し入れたもの。
現実には武家や公家でも30以降の女性の出産例は多いため、
ほぼ少年愛好に限られていた男色とは根本的に異なる。
逆に短命だったこの時代、男の側も中年になるとセックスしない者もいたしな。
120 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/11(日) 21:07:47
,、-‐‐- 、 _,、-‐ー‐-、._
\ ,、-''"´::::::::::::::::::::::::::::`‐、
い ボ `、/.. ::::::::::ィ::::::::::::::::::::::::::ヽ
う .ク ',:::::::::::.....,.../ |';......::..........:..::. ',
ん に ',:::::::イ:/.;/ |.';ト:::|l:l';::::::::::::::::i
で 何 i::::::;'lヘ/ | l リ_レi::::::::::::l
す を |::::;'.「ト:iヽ -‐7'iフ‐、 l::::::::::l
か. す |';l:l L;! l::::::ノ l::::',ヽ
? る .| ', 、 `‐ ノ|l 丿 ,、-‐ー、
っ l ヽ r-‐ー、 ニ-く / ヽ
て l >、`‐--' .,、 ' 7 ',
', / i `‐- '´ 、 ノ _,、'´ ',
..ヽ、__.,ノ ', ヽ ,' ´ ヽ, ',
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', ', `、. `、
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ヽ ヽ ::::..... lヽ i
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ノ、 丶 __lニ/
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131 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/15(木) 00:24:15
ゴムも無い時代だから生チンを穴に入れてたわけだろ
尿道炎にならなかったかね?
今は生で入れる場合は先に浣腸してウンコ出して綺麗にするわけだが
この時代はどうしてたんだろな
132 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/19(月) 01:58:27
>>131
まあ、アナルセクロスはそんなに多くなかったんじゃない?
フェラか手コキがメインだったんだろう。
昔の人でも、生アナルセクロスは不衛生だと知ってただろうし。
頻繁にケツ掘ってたら、痔になったり、肛門が拡張して戦ができなくなるしな。
あくまでもスキンシップだから、一般化してたんじゃないの?
136 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/19(月) 21:03:46
それはないな。
高い身分の武士が掘られていたなんてのは確認できないし、
戦国時代の侍は江戸時代と違って身分が固定化されておらず、
下剋上が横行したからあまり高い身分の侍同士で交わるのは色々な意味で危険。
145 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/22(木) 00:53:58
137からここまでの投稿はスルーで。
165 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 14:09:43
米沢藩のなんかの記録に謙信の小姓たちの名前が書いてあったと思う。
確か筆頭は有名な中条だったと思う。彼については研究者の言及も多い。
景勝も謙信の供養を清浄心院にたのんだ時、同伴させて中条に口上を
述べさせているね。謙信も喜ぶと思ったのかな。
新発田重家が小姓だったって推定したやつ、すごい。
確かに五十公野源太(新発田の前名)の名前があった。
後、よく知らない河村とか飯田とか川隅、北村なんて名前も
あったが、直江兼続の名前はもちろんなかったよ。
166 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 21:44:11
重臣の子息が若いうちから近習をするのは政治的な理由からであって、
なんでも>>165みたいに性的関係に結びつけるのは週刊誌ライター以下。
167 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 22:12:11
>>166
普通はそうだね…普通は。
奥はあっても奥方や妾のいなかった長尾(上杉)家
は当時としては普通じゃないから…寝ずの番もし
ていたから近かったし、別に毎日相手していたワ
ケでもないと思うし…
170 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 22:41:53
>>167=>>169
側室のいない大名なんか山ほどあるぞ。
若くして前室をなくした氏政だって後室も男色相手も形跡がない。
理屈じゃなくてあんたにとって都合のいい解釈でしょ、それは。
女犯していない雪国の僧はみんな男色していたというならそれでもいいけどさ。
171 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 23:14:08
>>170
氏政って、北条氏政?
この人は17歳で結婚して最低でも男子4人を儲けた正室の黄梅院を
里の武田と不仲になったので31歳の時に送り返している。
でも、この人は正室腹と分かっている4人の子以外にも子供が多い。
それ以降にも女性がいたとしか考えられないんだが。
氏政の最低3人いたと言われる娘たちは生母が分からないのだが、
勝千代という息子の母親は鳳翔院という女性であったと伝えられる。
168 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 22:19:11
上杉謙信には同母兄があり当初跡取りではなかったことから
寺に入れられている。
当時、僧侶は邪推な奴を除けば生涯童貞を貫いていたが
「自分は仏の化身、業の深い女と交わると極楽浄土へ行けない」
として女断ちをしていた(こっそり男と交わるのは可)。
戦国大名といういでたちで見ると謙信は異常なのかもしれないが、
僧侶の出であることを考えれば、
自分を毘沙門天の生まれ変わりと信じ、
業の深い女とまじわってはならないと信じていても全く異常ではない。
いくら僧侶になるつもりだったと言っても、せっかく戦国大名になれたのだから、
女と一杯やるのが当たり前、妻を持っていいならもちろん持つ、
側室ももっていいというなら尚更持つ、というのはあまりに現代的な解釈。
小さいころから男だけの世界に放り込まれ、
女は業が深いと毎日坊主たちから頭に刷り込まれていれば考えが変わるのかも。
169 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 22:36:22
当時の越後は格別の寒さだったから…(特に冬)
温酒だけではなかなか…行火がないと辛かったと
思う…まして謙信は魚鳥類は口にしないから動物
性脂肪で温む事もない…人肌で…といっても不犯
だから女性は近づかない…必然的に相手は…
雪国・北国の方ならわかるへ…理屈だと思います
200 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/19(日) 17:28:27
信長と利家とか。
202 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 09:31:50
前田家に伝わる亜相公御夜話に書いてあるよ。
205 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 18:02:24
あと、上杉景勝は54歳の時に出した「男色禁止令」も
「当時は男色はあったろう」という逆説的証拠にはなる。
別に男色が流行ってなかったのならそんなもの出す必要もないしな。
江戸時代に入って家臣が横のつながりではなく主君への忠誠が求められるようになると
男色はトラブルの元になったので禁止されたのだと言われてる。
あと、これは景勝が男色家でなかったという証拠にすらならない。
愛煙家が老齢になって禁煙するようなもんだし。
206 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 18:07:30
あと、伊達政宗が男色相手の小姓に対して出したお詫びの手紙なんてものもある。
ttp://shigezane.fc2web.com/masamune/tadano.html
これが一級史料でなくてなんなんだろう。
207 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 18:36:22
ぶっちゃけ、男色があろうが無かろうが、どうでもいい
そんなの気にしているのは、アホな女の歴史ファンくらいだろw
209 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 19:04:04
>>207
「どうでもいい」とか言ってたら歴史学自体がそうなんだが。
210 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 19:39:54
男色・衆道は明治維新までは日本では一般的だったし、
歴史上の人間について、それを取り上げて罪悪視するのは間違っている。
213 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/21(火) 02:26:28
>>210
男色も斬首も磔も当時で見たら普通だし現代人はそれを理解している
が、今の世で男色や斬首や磔を肯定したがる奴らはただの異常者
214 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 投稿日:2009/04/21(火) 02:52:51
>>213
同感
だけど俺は斬首(おまけに梟首)や磔は好きなんだよなぁw
清朝末期まであった支那の陵遅刑の写真も素晴らしかった
男色(てーか今じゃただのホモ)だけはいただけないね
230 日本@名無史さん 投稿日:2009/07/06(月) 00:55:39
今で言うと、上司も社長も同僚もホモ
人間関係疲れそうだな…
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3 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:14:57
近藤武清はガチだけどちょっと面白みがないな
4 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:17:11
一口に男色つっても、男オンリーのゲイと両刀のバイとで話しは変わってくるんじゃね?
5 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:26:41
>>4
なるほど
近藤武精ってどっちだっけ?
7 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:30:21
悪い
近藤武清だ
9 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:41:12
>>7
男オンリーのガチホモ
8 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:38:56
織田信長も足利将軍家を追放した訳で、、。
徳川家康も豊臣家を滅ぼした訳で、、。
薩長も松平家を滅ぼした訳で、、。
11 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/16(水) 00:26:35
坂本龍馬とかはフリーメーソンの愛玩だったんじゃないのかなあ
貧しい浪人武士が国を変えるほど力を持つってのは普通はありえないよな
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19 日本@名無史さん 投稿日:2008/08/31(日) 06:02:40
西郷どん
新撰組隊士には多かったんじゃないか?
近藤が「ホモが流行って困る」みたいな手紙出してたよな。
21 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/04(土) 07:18:58
新撰組って現代で言えば男子校みたいなモンだろ
22 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/09(木) 13:57:36
昔はホモ武士が多かったのですね
23 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/09(木) 14:39:34
後藤又兵衛と裸で抱き合う長曽我部盛親
33 日本@名無史さん 投稿日:2008/11/19(水) 01:21:17
今川義元が織田信長によって討ち取られてから、
今川を見限って松平元康の元に去っていく家臣
どもの人質に酷い串刺しの刑を使ったのは有名
な話である。太い丸太棒を奥方様や姫君様の小
さな尻の穴から無理やりギリギリに押し広げて
直腸の中に突っ込ませたのだ。
これは衆道の道に長けた氏真自らの指図で、人
質の女性達は次々と肛門を引き裂かれて血を噴
き出しながら、長い時間地獄の苦しみに責め苛
まれて尻から口まで串刺しにされていったので
ある。
処刑を任された吉田城主は氏真に勝る男色家で、
只一人の男子の人質である美童の松平家広の子
右近十四歳に懸想していた。
「余に仕えよ、されば助命してくれよう」
ともちかけたが、敵の情けを受けがたい右近は
きっぱりと断った。その夜、右近は数人の家臣
達に押さえつけられて吉田城主小原肥後守鎮実
に尻を犯されてしまった。数日後、嬲り尽した
鎮実は右近を生まれ故郷の形原まで引き出し、
大の字磔に縛りつけて真下から大人の手首ほど
もある太さの竹槍で肛門から口に突き抜ける様
に串刺しにしてしまった。この様な話は戦国時
代には幾らでもあったのだ。それほど男色家が
幅を利かせていた時代でもあった。
37 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/03(水) 06:04:32
男とやっていたと記録される戦国武将なんて、
大内義隆と武田信玄と伊達政宗以外にない。
流行っていたんじゃなくて、許容されていただけ。
信長、謙信、家康は俗説のみで信憑性なしだし。
41 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/04(木) 07:32:50
>>37
流行ってたというか常識だっただけ。
男色はわざわざ記録に残す必要もないほど当たり前のことだった。
1 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:09:01
幕末の志士とかには男色家っていなかったのかな?
参照:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1208268541/l50
--------------------------------------------------------------------------------
【戦国武将には男色家が多いけどさの続きを閉じる】
3 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:14:57
近藤武清はガチだけどちょっと面白みがないな
4 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:17:11
一口に男色つっても、男オンリーのゲイと両刀のバイとで話しは変わってくるんじゃね?
5 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:26:41
>>4
なるほど
近藤武精ってどっちだっけ?
7 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:30:21
悪い
近藤武清だ
9 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:41:12
>>7
男オンリーのガチホモ
8 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:38:56
織田信長も足利将軍家を追放した訳で、、。
徳川家康も豊臣家を滅ぼした訳で、、。
薩長も松平家を滅ぼした訳で、、。
11 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/16(水) 00:26:35
坂本龍馬とかはフリーメーソンの愛玩だったんじゃないのかなあ
貧しい浪人武士が国を変えるほど力を持つってのは普通はありえないよな
スポンサー(パパ)がいてこずかいもらってたんだと思うな
19 日本@名無史さん 投稿日:2008/08/31(日) 06:02:40
西郷どん
新撰組隊士には多かったんじゃないか?
近藤が「ホモが流行って困る」みたいな手紙出してたよな。
21 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/04(土) 07:18:58
新撰組って現代で言えば男子校みたいなモンだろ
22 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/09(木) 13:57:36
昔はホモ武士が多かったのですね
23 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/09(木) 14:39:34
後藤又兵衛と裸で抱き合う長曽我部盛親
33 日本@名無史さん 投稿日:2008/11/19(水) 01:21:17
今川義元が織田信長によって討ち取られてから、
今川を見限って松平元康の元に去っていく家臣
どもの人質に酷い串刺しの刑を使ったのは有名
な話である。太い丸太棒を奥方様や姫君様の小
さな尻の穴から無理やりギリギリに押し広げて
直腸の中に突っ込ませたのだ。
これは衆道の道に長けた氏真自らの指図で、人
質の女性達は次々と肛門を引き裂かれて血を噴
き出しながら、長い時間地獄の苦しみに責め苛
まれて尻から口まで串刺しにされていったので
ある。
処刑を任された吉田城主は氏真に勝る男色家で、
只一人の男子の人質である美童の松平家広の子
右近十四歳に懸想していた。
「余に仕えよ、されば助命してくれよう」
ともちかけたが、敵の情けを受けがたい右近は
きっぱりと断った。その夜、右近は数人の家臣
達に押さえつけられて吉田城主小原肥後守鎮実
に尻を犯されてしまった。数日後、嬲り尽した
鎮実は右近を生まれ故郷の形原まで引き出し、
大の字磔に縛りつけて真下から大人の手首ほど
もある太さの竹槍で肛門から口に突き抜ける様
に串刺しにしてしまった。この様な話は戦国時
代には幾らでもあったのだ。それほど男色家が
幅を利かせていた時代でもあった。
37 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/03(水) 06:04:32
男とやっていたと記録される戦国武将なんて、
大内義隆と武田信玄と伊達政宗以外にない。
流行っていたんじゃなくて、許容されていただけ。
信長、謙信、家康は俗説のみで信憑性なしだし。
41 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/04(木) 07:32:50
>>37
流行ってたというか常識だっただけ。
男色はわざわざ記録に残す必要もないほど当たり前のことだった。
39 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/04(木) 07:29:00
∧_∧ ∧_∧
( ´∀`) ( )
三 (, つ ノ ( >>1 ) ホモスレは・・
/ ) ) | | |
. 〈_)\_) (__(___)
∧_∧ .∧_∧
( ´∀) ( )
( つ ( >>1 .) 立てんなって
≡≡三 三ニ⌒).| | |
〈__)__) ̄(__(___)
∧_∧∧
( ´) ) ←>>1
/  ̄,ヽつ 言ったろうが
C /~/~
> > くっ
\__)し'
∧_∧ オラ、気持ちいいだろ
( ´∀`)
/ ヽ、 ∧∧
(( C( ヽ__( ´Д) アッー!!
/ ( 、__ Y、
〈__∠__,)) ヽ_'っっ
43 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/05(金) 08:50:40
いかにも。
37番は底抜けのド白痴だナッ!
47 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/05(金) 18:33:47
当時の日本人は近代以降の如くに無様な西洋かぶれの植民地根性に成り下がっちゃ居なかったから
男色のほうが女色より崇高にして立派な営みだという真理を、しかと会得していたのだナッ!!
それに引き替え当節の日本男児たるや、軟弱下劣なヘテロ風情に成り果ててしまいやがって。
呆れ返るゼッ!!!!!
まったく。
O TEMPORA O MORES !
55 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/05(金) 22:12:44
利家と信長の件については信憑性高いだろう。普通に。
あと毛利家でも大内義隆と小早川隆景の関係を自慢する史料があるな。
57 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/06(土) 13:50:49
伊達政宗に掘られたい
58 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/06(土) 17:20:27
合戦で敵と組み合ってゴロゴロしてるうちに変な気起こしてやっちゃったやつとかいたんじゃないの?
61 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/07(日) 13:06:32
乱丸と信長の関係も長い間盲信されていたが、
利家と信長のホモウソウもまだまだ続きそうだな。
64 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/08(月) 20:10:22
>>61
存念ながらそういう事にはならないんだよな。
信長と蘭丸も関係はあったかもしれんが「絶対的証拠がない」というだけのことだ。
司法とか裁判の世界の場合は
「絶対的証拠がない限り事実とは認められない」だが
史学の場合はそういう事にはならないんだよね。
司法の場合は「99%こいつはクロだろう」という時でも
「100%そうとは言えない」という理由で無罪の判決を出さなくてはいかん時もあるが、
史学の場合、それだとなんにもできないんだよな。
「100%そうだという確証がないとダメ」だったら史学という学問自体が破綻してしまう。
「信長と森蘭丸は間違いなく男色関係だったという証拠を出せ」というのは無理だが。
「信長と森蘭丸が間違いなく男色関係ではなかった証拠を出せ」というのも無理なんだよね。
だから信長が小姓の乱丸と一回くらいは関係持ってたかもしれない。
信長と利家についてはある程度の証拠もあり「可能性はかなり高い」
と言わざるやおえず、それを否定するのはちょっと無理なんだよね。
て言うか永遠に無理だ。
69 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/14(日) 06:08:36
>>64-65
悪魔の証明キター!
前にもどこかで同じ主張して散々にやられたのに繰り返すのかよ。
君も受験生時代はお母さんにフェラしてもらっていないと証明できないでしょ?
証明できない仮定の物語を持ち出してそれを事実として扱うのを捏造というんだよ。
74 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/14(日) 21:35:14
>>69
そうだよ。「悪魔の証明」だよ。
でも、史学の世界ってのは化学とか司法の世界のように
「100%事実と証明できなければ絶対に認められない」
というわけではない。
そんなこと言ってたら史学という学問そのものが存在しない。
89 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/19(金) 19:07:04
>>74
いやいや、あんたのは学問でもなんでもなくて、
ただのゴネでしょ。
根拠が微塵もないことを主張して「百パーセントないことではない」なんて、
司法なら名誉毀損にあたるんだよ。
歴史学では根拠となる史料もそれを暗示する傍証材料もなければ、
「総合的に考えてない」と考えるんだよ。
あんたの主張だと、織田信長と秀吉には性的関係があったとか、
真田幸村は十勇士を駆使していたみたいな、
そんな愚説もまかり通ることになるぞw
96 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/19(金) 21:34:34
>>89
いや、そうではなく利家と信長の関係なんかは帽章があるからな。
それまで「妄想」とかいって否定しようとする奴がいるからな。
信長と乱丸に関しては「小姓」という立場上と「火のないとこに煙は立たず」理論で
やってるかどうかはわからないけど、やってる可能性はそこそこあるって事だ。
97 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/19(金) 21:49:22
>>89
歴史人物には訴える権利がないから名誉毀損してもやる側は平気
>96
あれは微妙だよね。
傍証ではあるけど、いかにも江戸時代の人が好きそうな逸話で、
直江兼続の閻魔裁きレベルなんだよなー。
武功夜話や名将言行録みたいな。
可能性はそこそこと言うまでには至らないキガス。
65 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/08(月) 20:13:54
>>61は
「妄想」とか言い切っているが
「信長が乱丸や利家と一度たりとも男色をしていない」
という証拠を出せるのかな?
そういう証拠をきっちりと出せるのなら認めてもいいぞ。
66 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/09(火) 08:19:44
当時は男色は普通だったからな
秀吉が女性にしか興味を沸かなかったのを珍しがられているぐらいだし
70 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/14(日) 06:22:41
66にしたって出典は江戸時代の俗書でしょう。
今はSMプレイをするのは不健全じゃないとか、
女性誌でも書かれているけど、
実際問題として市民はそう見ていない。
江戸時代も同性に興味のない男が大半だったから、こんな逸話が生まれたのではないかねー。
「あー、さすが人間くさい秀吉は俺たちと一緒だ」と。
99 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/19(金) 22:10:37
戦国時代にはそれほどなかったのに、
江戸時代になると途端に男色が増えたね。
主従の権力関係がそれだけ強化されて、
民衆に財とゆとりが生じたがため、
開放感から増殖したのかも。
100 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/20(土) 08:08:47
衆道は戦国時代から武士の間には浸透していました。
江戸時代になり庶民生活が豊かになると、武士の文化も流入してきて、それで流行ったのです。
119 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/11(日) 19:36:05
信長の男の好みってゴツい感じの様だけどなあ
なんか荒武者ばっかりじゃないか?
蘭丸も現在思われてるのとだいぶイメージが違うと思う
122 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 19:20:40
>>119
衆道の相手にされたのは10代の少年が主体だったのを見ると
本物のゲイがおっさん同士で抱き合っているのとは随分相違がある
まだ華奢な少年の体は女性の化身であり
髭面で胸板の厚い成人男子は好まれなかった
前田利家なども10代のころは主君信長の衆道の相手だったが
20代になるとこのお役を免ぜられたようだ
ちなみに利家は当時としては晩婚でまつと結婚したとき23歳だったといわれる
(当のまつは12歳で早婚なのだが)
123 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 19:41:19
>>122
男色ばかりでなく女色の方も現代みたいに
中年女を抱いたりしないのが普通だったんだがな。
庶民はまだしも武家とか貴族は30すぎくらいには
もう「おしとねお断り」が行われるのが普通だったんだが。
125 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/12(月) 20:59:28
>>123
江戸時代の大奥の「おしとねお断り」は大奥女中側から申し入れたもの。
現実には武家や公家でも30以降の女性の出産例は多いため、
ほぼ少年愛好に限られていた男色とは根本的に異なる。
逆に短命だったこの時代、男の側も中年になるとセックスしない者もいたしな。
120 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/11(日) 21:07:47
,、-‐‐- 、 _,、-‐ー‐-、._
\ ,、-''"´::::::::::::::::::::::::::::`‐、
い ボ `、/.. ::::::::::ィ::::::::::::::::::::::::::ヽ
う .ク ',:::::::::::.....,.../ |';......::..........:..::. ',
ん に ',:::::::イ:/.;/ |.';ト:::|l:l';::::::::::::::::i
で 何 i::::::;'lヘ/ | l リ_レi::::::::::::l
す を |::::;'.「ト:iヽ -‐7'iフ‐、 l::::::::::l
か. す |';l:l L;! l::::::ノ l::::',ヽ
? る .| ', 、 `‐ ノ|l 丿 ,、-‐ー、
っ l ヽ r-‐ー、 ニ-く / ヽ
て l >、`‐--' .,、 ' 7 ',
', / i `‐- '´ 、 ノ _,、'´ ',
..ヽ、__.,ノ ', ヽ ,' ´ ヽ, ',
', ヽ ', '、
', ', `、. `、
`、. `、 , `、 `、
`、. `、‐ .. `` 'i、 ',
ヽ ヽ ::::..... lヽ i
', ヽ l'´ ノ
ヽ. ヽ l /
`‐、.i l_,、ァ'´
ノ、 丶 __lニ/
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131 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/15(木) 00:24:15
ゴムも無い時代だから生チンを穴に入れてたわけだろ
尿道炎にならなかったかね?
今は生で入れる場合は先に浣腸してウンコ出して綺麗にするわけだが
この時代はどうしてたんだろな
132 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/19(月) 01:58:27
>>131
まあ、アナルセクロスはそんなに多くなかったんじゃない?
フェラか手コキがメインだったんだろう。
昔の人でも、生アナルセクロスは不衛生だと知ってただろうし。
頻繁にケツ掘ってたら、痔になったり、肛門が拡張して戦ができなくなるしな。
あくまでもスキンシップだから、一般化してたんじゃないの?
136 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/19(月) 21:03:46
それはないな。
高い身分の武士が掘られていたなんてのは確認できないし、
戦国時代の侍は江戸時代と違って身分が固定化されておらず、
下剋上が横行したからあまり高い身分の侍同士で交わるのは色々な意味で危険。
145 日本@名無史さん 投稿日:2009/01/22(木) 00:53:58
137からここまでの投稿はスルーで。
165 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 14:09:43
米沢藩のなんかの記録に謙信の小姓たちの名前が書いてあったと思う。
確か筆頭は有名な中条だったと思う。彼については研究者の言及も多い。
景勝も謙信の供養を清浄心院にたのんだ時、同伴させて中条に口上を
述べさせているね。謙信も喜ぶと思ったのかな。
新発田重家が小姓だったって推定したやつ、すごい。
確かに五十公野源太(新発田の前名)の名前があった。
後、よく知らない河村とか飯田とか川隅、北村なんて名前も
あったが、直江兼続の名前はもちろんなかったよ。
166 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 21:44:11
重臣の子息が若いうちから近習をするのは政治的な理由からであって、
なんでも>>165みたいに性的関係に結びつけるのは週刊誌ライター以下。
167 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 22:12:11
>>166
普通はそうだね…普通は。
奥はあっても奥方や妾のいなかった長尾(上杉)家
は当時としては普通じゃないから…寝ずの番もし
ていたから近かったし、別に毎日相手していたワ
ケでもないと思うし…
170 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 22:41:53
>>167=>>169
側室のいない大名なんか山ほどあるぞ。
若くして前室をなくした氏政だって後室も男色相手も形跡がない。
理屈じゃなくてあんたにとって都合のいい解釈でしょ、それは。
女犯していない雪国の僧はみんな男色していたというならそれでもいいけどさ。
171 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 23:14:08
>>170
氏政って、北条氏政?
この人は17歳で結婚して最低でも男子4人を儲けた正室の黄梅院を
里の武田と不仲になったので31歳の時に送り返している。
でも、この人は正室腹と分かっている4人の子以外にも子供が多い。
それ以降にも女性がいたとしか考えられないんだが。
氏政の最低3人いたと言われる娘たちは生母が分からないのだが、
勝千代という息子の母親は鳳翔院という女性であったと伝えられる。
168 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 22:19:11
上杉謙信には同母兄があり当初跡取りではなかったことから
寺に入れられている。
当時、僧侶は邪推な奴を除けば生涯童貞を貫いていたが
「自分は仏の化身、業の深い女と交わると極楽浄土へ行けない」
として女断ちをしていた(こっそり男と交わるのは可)。
戦国大名といういでたちで見ると謙信は異常なのかもしれないが、
僧侶の出であることを考えれば、
自分を毘沙門天の生まれ変わりと信じ、
業の深い女とまじわってはならないと信じていても全く異常ではない。
いくら僧侶になるつもりだったと言っても、せっかく戦国大名になれたのだから、
女と一杯やるのが当たり前、妻を持っていいならもちろん持つ、
側室ももっていいというなら尚更持つ、というのはあまりに現代的な解釈。
小さいころから男だけの世界に放り込まれ、
女は業が深いと毎日坊主たちから頭に刷り込まれていれば考えが変わるのかも。
169 日本@名無史さん 投稿日:2009/02/05(木) 22:36:22
当時の越後は格別の寒さだったから…(特に冬)
温酒だけではなかなか…行火がないと辛かったと
思う…まして謙信は魚鳥類は口にしないから動物
性脂肪で温む事もない…人肌で…といっても不犯
だから女性は近づかない…必然的に相手は…
雪国・北国の方ならわかるへ…理屈だと思います
200 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/19(日) 17:28:27
信長と利家とか。
202 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 09:31:50
前田家に伝わる亜相公御夜話に書いてあるよ。
205 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 18:02:24
あと、上杉景勝は54歳の時に出した「男色禁止令」も
「当時は男色はあったろう」という逆説的証拠にはなる。
別に男色が流行ってなかったのならそんなもの出す必要もないしな。
江戸時代に入って家臣が横のつながりではなく主君への忠誠が求められるようになると
男色はトラブルの元になったので禁止されたのだと言われてる。
あと、これは景勝が男色家でなかったという証拠にすらならない。
愛煙家が老齢になって禁煙するようなもんだし。
206 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 18:07:30
あと、伊達政宗が男色相手の小姓に対して出したお詫びの手紙なんてものもある。
ttp://shigezane.fc2web.com/masamune/tadano.html
これが一級史料でなくてなんなんだろう。
207 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 18:36:22
ぶっちゃけ、男色があろうが無かろうが、どうでもいい
そんなの気にしているのは、アホな女の歴史ファンくらいだろw
209 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 19:04:04
>>207
「どうでもいい」とか言ってたら歴史学自体がそうなんだが。
210 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 19:39:54
男色・衆道は明治維新までは日本では一般的だったし、
歴史上の人間について、それを取り上げて罪悪視するのは間違っている。
213 日本@名無史さん 投稿日:2009/04/21(火) 02:26:28
>>210
男色も斬首も磔も当時で見たら普通だし現代人はそれを理解している
が、今の世で男色や斬首や磔を肯定したがる奴らはただの異常者
214 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 投稿日:2009/04/21(火) 02:52:51
>>213
同感
だけど俺は斬首(おまけに梟首)や磔は好きなんだよなぁw
清朝末期まであった支那の陵遅刑の写真も素晴らしかった
男色(てーか今じゃただのホモ)だけはいただけないね
230 日本@名無史さん 投稿日:2009/07/06(月) 00:55:39
今で言うと、上司も社長も同僚もホモ
人間関係疲れそうだな…
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3 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:14:57
近藤武清はガチだけどちょっと面白みがないな
4 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:17:11
一口に男色つっても、男オンリーのゲイと両刀のバイとで話しは変わってくるんじゃね?
5 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:26:41
>>4
なるほど
近藤武精ってどっちだっけ?
7 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:30:21
悪い
近藤武清だ
9 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:41:12
>>7
男オンリーのガチホモ
8 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/15(火) 23:38:56
織田信長も足利将軍家を追放した訳で、、。
徳川家康も豊臣家を滅ぼした訳で、、。
薩長も松平家を滅ぼした訳で、、。
11 日本@名無史さん 投稿日:2008/04/16(水) 00:26:35
坂本龍馬とかはフリーメーソンの愛玩だったんじゃないのかなあ
貧しい浪人武士が国を変えるほど力を持つってのは普通はありえないよな
スポンサー(パパ)がいてこずかいもらってたんだと思うな
19 日本@名無史さん 投稿日:2008/08/31(日) 06:02:40
西郷どん
新撰組隊士には多かったんじゃないか?
近藤が「ホモが流行って困る」みたいな手紙出してたよな。
21 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/04(土) 07:18:58
新撰組って現代で言えば男子校みたいなモンだろ
22 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/09(木) 13:57:36
昔はホモ武士が多かったのですね
23 日本@名無史さん 投稿日:2008/10/09(木) 14:39:34
後藤又兵衛と裸で抱き合う長曽我部盛親
33 日本@名無史さん 投稿日:2008/11/19(水) 01:21:17
今川義元が織田信長によって討ち取られてから、
今川を見限って松平元康の元に去っていく家臣
どもの人質に酷い串刺しの刑を使ったのは有名
な話である。太い丸太棒を奥方様や姫君様の小
さな尻の穴から無理やりギリギリに押し広げて
直腸の中に突っ込ませたのだ。
これは衆道の道に長けた氏真自らの指図で、人
質の女性達は次々と肛門を引き裂かれて血を噴
き出しながら、長い時間地獄の苦しみに責め苛
まれて尻から口まで串刺しにされていったので
ある。
処刑を任された吉田城主は氏真に勝る男色家で、
只一人の男子の人質である美童の松平家広の子
右近十四歳に懸想していた。
「余に仕えよ、されば助命してくれよう」
ともちかけたが、敵の情けを受けがたい右近は
きっぱりと断った。その夜、右近は数人の家臣
達に押さえつけられて吉田城主小原肥後守鎮実
に尻を犯されてしまった。数日後、嬲り尽した
鎮実は右近を生まれ故郷の形原まで引き出し、
大の字磔に縛りつけて真下から大人の手首ほど
もある太さの竹槍で肛門から口に突き抜ける様
に串刺しにしてしまった。この様な話は戦国時
代には幾らでもあったのだ。それほど男色家が
幅を利かせていた時代でもあった。
37 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/03(水) 06:04:32
男とやっていたと記録される戦国武将なんて、
大内義隆と武田信玄と伊達政宗以外にない。
流行っていたんじゃなくて、許容されていただけ。
信長、謙信、家康は俗説のみで信憑性なしだし。
41 日本@名無史さん 投稿日:2008/12/04(木) 07:32:50
>>37
流行ってたというか常識だっただけ。
男色はわざわざ記録に残す必要もないほど当たり前のことだった。