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【絵画-35】政府の事件もみ消しに異を唱えたテオドール・ジェリコー

2022年08月02日 | 絵画 音楽 映画

テオドール・ジェリコー1791-1824

1793年 ルイ16世処刑後ジャコバン派の恐怖政治、テルミドールを経てナポレオン登場、失脚。

1815年 王政復古。亡命していたルイ16世の弟プロヴァンス伯がルイ18世となる。
      
ルイ18世は各地に亡命していた貴族を呼び寄せる。海軍大尉で亡命していたショマレー伯爵は海軍中佐となり、

1816年 ロッシュウオール港から仏領セネガルに向けて戦艦の一種フリーゲート船に兵士、移住者を乗せて出航。
      
しかし無能な亡命貴族である船長は部下の反対を押し切って浅瀬の近道を航行。
      やがてアフリカ沿岸で座礁する。
      
重たい荷物を放棄しようという部下の意見は却下されて、20x7mの巨大な筏に荷物を積むこととなった。
      数日後嵐に見舞われ、メデューズ号が危険にさらされ、救命ボートで逃げることになった。
      しかし乗組員全員の席はなく船長と主要な乗組員250人は6艘のボートで逃げる
      残る兵士・乗客150人は筏に乗り移る。
      筏は13日間漂流し他の船に発見される。救助されたのは15人、生き残ったのは10人。
      救助された生き残り二人が当時の様子を本にして出版
       ⇒食料は1日分しかない
       ⇒飲み物は樽のワインしかない 
       ⇒150人が15人になった理由(狂気、殺害、人食)
      本を読んだジェリコは創作活動を開始する
      生き残りに会って筏や乗組員を制作
      かくして乗組員が救助船を発見して助けを乞い叫ぶ様子を絵画にした
      約9か月アトリエに籠って。

    事件はもみ消されようとしたがジャーナリズムの発表によりショマレーは軍法会議にかけられる。
    
しかしその罰の軽さに庶民は怒る。その一人がテオドール・ジェリコーである。

1819年 サロンにて発表
      一般はこの絵を絶賛 ----驚愕、艦長に憤慨、政府に激怒   
      美術批評家は酷評  ----絵画は古来より美しくあるべきもの
      古典的な美以外のものにも芸術美があることを証明した ----ロマン主義
       ⇒フランス革命以前のアカデミーの美の基準
       ⇒フランス革命は国王を頂点とする身分制度を破壊した
       ⇒ロマン主義はアカデミーの美の基準を破壊した
       ⇒美術史の大革命から生まれた美は「芸術家の個性を発揮する美」
          ⇒バルビゾン派:ミレーの落穂拾い
          ⇒写実派   :クールベ
          ⇒印象派   :ゴッホ
          ⇒?     :マルセル・デュシャンの便器@ポンピドゥーセンター
          ⇒ここまで来れば矛盾? 美の共通認識が破壊される
          ⇒この矛盾を避けてきたのがアカデミー
      

      
この絵は葬りさられようとしたが、ジェリコーに手を差し伸べたのはイギリスの興行師。
      
かくしてこの絵がイギリスでばずった。
      
版画まで政策されて世界中に広まった。
      
しかし以降7年間は大きな題材は見つけることができず、32歳で落馬して死んだ。
      
ジェリコーの弟弟子がドラクロワ

メデューズ号の筏@ルーブル美術館

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