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草薙神剣とゆかり深い熱田神宮

2018年07月17日 | 記紀創世紀

 熱田神宮は、三種の神器・草薙神剣の御鎮座に始まる。景行天皇の御代に、息子の日本武尊は神剣を火上山に留め置かれたまま能褒野でなくなられた。尊の妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田にお祀りになられた。それ以来、伊勢神宮につぐ格別に尊い宮として篤い崇敬をあつめ、親しまれてきた。ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣を御霊代としてよらせられる天照大神のことである。

 熱田神宮といえば、源頼朝の正妻・由良姫が熱田神宮の宮司・藤原季範の娘であったことでも知られる。藤原季範の子・範忠や祐範は熱田神宮の神官となっており、熱田神宮の大宮司家であった。当時の熱田大宮司家は、男子は後に後白河院の北面武士となるものが多く、女子には後白河院母の待賢門院や姉の統子内親王(上西門院)に仕える女房がいるため待賢門院や後白河院・上西門院に近い立場にあった。1156年に起きた保元の乱においては、由良御前の実家・熱田大宮司家は義朝の軍勢に兵を送って援護したという。また、由良御前の子である源頼朝は1158年、熱田大宮司家と縁の深い統子内親王の立后にあたり皇后に仕える「皇后宮少進」に任命され、1159年2月に統子内親王が女院号宣下されると頼朝はその蔵人に任命されている。そして間もなく由良御前は死去する。

 ちょうどこの頃前後して、源義朝は 常盤御前という雑仕女と出会う。いわずと知れた源義経の母である。近衛天皇の中宮九条院(藤原呈子)の雑仕女、つまり呈子の身の回りの雑用係り。都の美女千人の中から選ばれた美女ではあったが素性は不明で、身分は極めて低い。源義朝の妾となり、今若、乙若、そして牛若(後の源義経)を産んでいる。1160年に始まった平治の乱では、源義朝が平清盛と戦って敗北し、子供たちをつれて清盛の元に出頭して、母と子供たちの助命を乞うことで有名である。常盤の美しさに心を動かされた清盛は今若、乙若、牛若を助命するということになっているが、これは疑わしい。平治の乱に参加した頼朝でさえ助命されている。比較にならないほどの、なんの血統もない常盤御前の子なら、ましてである。殺されるはずはない。 常盤御前は、清盛に請われて妾となり一女(廊御方)を産んだ後、一条長成という中流貴族に嫁し、一条能成の他何人かの子を産んでいる。その一人は牛若丸とともに、鞍馬寺で一緒に過ごしており、後に義経とともに都落ちをしている。このとき常盤御前は、鎌倉方によって逮捕され、保身のため追討使に義経の情報を漏らしている。 その後、義経の弟と一緒に平穏な晩年を過ごしたようであるが、はっきりした事は不明。

為義1096-1156    伊藤祐親・娘                    
 ┣義朝1123-1160  ┣息子  ┗行宗
 ┃   ┃          ┃     ┗養女(姉の娘) 
 ┃   ┃        ┃      ┣
 ┃   ┣源義平     ┃     左金吾(刀禰弾正介の嫡子)
 ┃   ┣源頼朝1147-1199(乳母比企の局)   
 ┃   ┣義賢      ┃      ┣比企能員 畠山重忠・娘
 ┃   ┣範頼      ┃      ┣丹後局   ┣
 ┃季範┣範頼      ┃      ┗長女┗島津忠久 1180-1227
 ┃┣由良御前      ┃       ┣
 ┃┗祐範        ┃      藤九郎盛長
 ┃           ┣大姫1178-1197       
 ┣頼賢         ┣頼家1182-1204(乳母は比企一族 北条氏により暗殺)       
 ┣頼仲        ┃  ┣一幡(藤原氏に敗れる)    
 ┣為宗         ┃  ┣公暁(乳母は三浦一族)     
 ┣為成         ┃  ┃   (三浦義村は実朝・義時暗殺を計画)   
 ┣為朝1139-1170   ┃比企能員(よしかず)娘・若狭局     
 ┗為仲         ┃      
             ┣実朝1192-1219(乳母は北条・阿波局 三浦氏に暗殺される)      
             ┣三幡      
             ┃        
      ┏北条政子1157-1225尼御台     
      ┣北条宗時          足利家時(報国寺開基)    
    北条時政          ┣
      ┣阿波局      ┏娘      
      ┣鏡子     ┏常葉時茂      
      ┣百合子 ┏重時1198-1261
      ┣江馬四郎義時1163-1224     
    牧の方    

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