米沢城は、戦国時代後期には伊達氏の本拠地が置かれ、伊達政宗の出生した城でもある。江戸時代には米沢藩・上杉氏の藩庁および、米沢新田藩の藩庁が置かれて上杉景勝・上杉鷹山などの歴代藩主が居住した。上杉謙信が1578年、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に祭られたが、上杉景勝が会津を経て1601年に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。明治に入ると神仏分離令、廃城令により、謙信の遺骸が城内から上杉家廟所に移され、その守護のために法音寺も廟所前に移転した。
伊達政宗生誕の碑
上杉謙信公の像