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第30代敏達天皇陵

2007年04月26日 | 天皇・皇后陵

第30代敏達天皇河内磯長中尾陵

 敏達天皇陵は羽曳野市太子町、南阪奈道路の太子インターを降りてすぐ南にあります。 この地域一帯には奈良時代初期の天皇陵(推古天皇磯長山田陵、用明天皇河内磯長陵、孝徳天皇大阪磯長陵など)がひしめきあっています。 敏達天皇は欽明天皇と石姫皇后(宣化天皇の皇女)との間に生まれ、用明天皇(聖徳太子の父)とは異母兄弟にあたります。  敏達天皇には4人もしくわ6人の皇后がいたとされているが、古事記、日本書紀で一致するのは炊屋姫(後の33代推古天皇)、息長真手王(継体天皇にも娘か妹の麻組郎女を入れているらしい)の娘・広姫、伊勢大鹿首小熊の娘で采女・菟名子夫人である。 

 炊屋姫との間には、竹田皇子(推古天皇磯長山田陵に眠る)や菟道貝鮹皇女(厩戸皇子の妃)をもうけ、広姫(最初の皇后とみられるが立后後すぐに死亡)との間には押坂彦人皇子(糠手姫皇女との間に舒明天皇がうまれる)が、小熊子女との間には糠手姫皇女をもうけています。 敏達天皇の叔父・用明と叔母・穴穂部間人皇女が結婚し、異母兄弟の押坂彦人皇子と糠手姫皇女が結婚するなど、権威の分散を防ぐために多くの近親結婚が行われていた時期がこの頃なのです。

 敏達天皇の時代は物部氏が勢力を広げていましたが、崩御16年後の587年に物部氏【大連大伴守屋】と蘇我氏【蘇我馬子を総帥とし、東漢直駒(やまとのあやあたいごま)を長とする東漢氏、膳臣加多夫古(かしわでのおみかたぶこ) 、大伴連囓(くい) 、阿倍臣人、葛城臣烏那羅(かうらぎのおみおなら)、巨勢臣比良夫(こせのおみひらぶ)、紀男麻呂(きのおみのおまろ)などの豪族出身者の連合軍】が竜田川の西南の大和川で戦い、敗れた物部は衰退していったのです。

 緩やかな坂道参道を登ると御陵はあります。また欽明天皇皇后の石姫(宣化天皇の皇女)皇女磯長原陵もここにあります。 (撮影:クロウ)

 

 

                                  阿部倉梯麻呂
仏教賛成派             ┏ 吉備姫王  ┗ 小足媛624-
蘇我稲目-579            ┃   ┣ 軽大郎女 ┣ 有間皇子639-   ┓
 ┣ 蘇我堅塩媛?-?        ┃   ┣ 36孝徳天皇(軽皇子)594-654 ┓┛
 ┃ ┃     ┏━━━━━━━━━┛  ┃  飛鳥宮 ┏漢皇子     ┃
 ┃ ┣ 桜井皇子            ┣ 35皇極天皇(宝皇女)594-661 ┃
 ┃  ┣ 炊屋姫(33推古天皇) -628   ┃  ┃板葺宮 (37斉明)       ┃
 ┃  ┃       ┃      大俣女王┃  ┣ 間人ハシヒト皇女628-665  ┛  ┓
 ┃ ┃      ┣ 田眼皇女  ┣ 茅渟王   ┣ 40天武(大海人皇子)630-686┃
 ┃ ┃       ┣ 竹田皇子 ┃     ┃   ┣ 十市皇女648-678     ┃┓ 
 ┃ ┃           ┣ 尾張皇子  ┃          ┃ 額田王631-689       ┃┃
 ┃ ┃       ┃      ┃     ┣ 38天智(中大兄皇子)626-671┛┃
 ┃ ┃       ┃息長真手王 ┃     ┃乳母は蘇我,葛城で育つ ┃┃  ┃
 ┃ ┃       ┃  ┗広姫 ┃     ┃   ┣ 大友皇子648-    ┃┃  ┛  
 ┃ ┃       ┃    ┣押坂彦人皇子  ┃ 宅子娘┣葛野王669-705┃┃
 ┃ ┃       ┃┏━━┛  ┃     ┃      十市皇女648-678 ┃┃
 
┃ ┃       ┃┃小熊子女?┣ 34舒明天皇(田村皇子)593-641      ┃┃
 ┃ ┃       ┃┃┃    ┃    ┃ ┣ 古人大兄皇子  622-   ┃┃
 
┃ ┃       ┃┃┣ 糠手姫皇女-664 ┃法提郎女         ┗ 倭姫王┃
 ┃ ┣ 31用明天皇┃┃┃ ━━┓      ┣ 蚊屋皇子                 ┃
 ┃ ┃宣化     ┃┃┃   ┃     蚊屋采女            ┃
 ┃ ┃ ┗┓    ┃┃┃     ┣ 来目皇子                             ┃
 ┃ ┃石姫皇后   ┃┃┃     ┣ 殖栗皇子 ┏━━━━━━━━━━━━━┛

 ┃ ┃ ┣ 30敏達天皇538-585┣ 茨田皇子 ┣大田皇女644-667 石川郎女
 ┃ ┃ ┃          ┃      ┃  ┣大伯皇女661-701┣-
 ┃29欽明天皇509-571        ┣ 厩戸皇子 ┃ ┣大津皇子 662-686
 
 ┃ ┣穴穂部間人皇女-621  ━┛     ┃  ┃ ┣-     長娥子(不比等娘)
 ┃ ┣穴穂部皇子                   ┃  ┃山辺皇女663-686(天智娘)  ┃
 ┃ ┣宅部皇子             ┃  ┃    御名部皇女(天智娘) ┃
 ┃ ┃                 ┃  ┃          ┣ 長屋王
 ┃ ┃                 ┃  ┃尼子娘(胸形君徳善娘)┣鈴鹿王 
 ┃ ┣泊瀬部皇子(32代崇峻天皇)      ┃  ┃  ┣ 高市皇子654-696  ┓ 
 ┣ 小姉君                     ┃天武天皇631-686        ┃
 ┣ 石寸名郎女                      ┃┃┃┃┗ 刑部皇子665-705(忍壁)┃ 
 ┣ 境部臣摩理勢(蝦夷が滅す)        ┃┃┃┣但馬皇女-708      ┛
 ┃  ┗ 蘇我倉麻呂            孝徳┃┃┃氷上娘-682(鎌足娘)
 ┃     ┣ 蘇我倉山田石川麻呂━━━┓ ┃ ┃┃┣長皇子-715
 
 
┃     ┣ 蘇我日向                ┣乳姫┃┃┣弓削皇子-699
 
  ┃     ┣ 蘇我赤兄623-            ┃  ┃┃大江皇女-699(天智皇女 川島妹)  
  ┃     ┃ ┣常陸娘              ┃  ┃┃         長屋王
 ┃   ┃ ┃  ┣山辺皇女         ┃  ┃┃         ┣膳夫王-729
 ┃   ┃ ┃天智天皇          ┃  ┃┣ 草壁皇子662-689 ┣葛木王
 ┃   ┃ ┗大蕤娘669-724     ┃   ┃┃ ┣ 吉備皇女683-707 
 ┃   ┃    ┣紀皇女       ┃    ┃┃ ┣ 軽皇子683-707(42文武) 
 ┃   ┃    ┣田形皇女      ┃   ┃┃ ┣ 氷高皇女  (44元正) 
 ┃   ┃    ┣穂積親王          ┃   ┃┃ 阿閉皇女661-721(43元明) 
 ┃   ┃    ┃  ┃┗但馬皇女  ┃   ┃┃        聖武天皇
 ┃   ┃  天武天皇┣大嬢 二嬢   ┃   ┣41持統天皇645-703  ┗井上内親王
 ┃   ┗ 蘇我連子  大伴坂上郎女  ┃   ┣健皇子649-658 
 ┗ 蘇我馬子(嶋大臣)551-626        ┣蘇我遠智娘-649 
      ┣ 蘇我蝦夷587-645          ┗姪娘
   ┃  ┣ 蘇我入鹿605?-645豊浦宮

   ┃  ┗ 蘇我畝傍 
   ┣ 河上娘(崇峻天皇妃)
   ┣ 法提郎女
     ┗ 刀自古朗女-623

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