第33代推古天皇磯長山田陵
敏達天皇陵のすぐ東に第33代推古天皇磯長山田陵はあります。 推古天皇は最初の女帝として、後の律令国家形成の意味でも重要転換点に位置します。 蘇我馬子により崇峻天皇が殺害された後をうけて敏達天皇の皇后であった豊御食炊屋姫が推古天皇として即位した。 父は欽明天皇、母は堅塩姫(石川渡来系豪族)で豊浦宮で即位し、小墾田宮に移るまでここを正宮とした。小墾田宮一体は蘇我氏、物部氏が開発を進めた地域で王家の小墾田屯倉、蘇我稲目の小墾田家があった。 推古朝の政治は厩戸皇子と蘇我馬子が共同で積極的に進め、個人の登用を目的に創設された冠位十二階は厩戸皇子の功績とされているが、日本書紀には推古天皇の業績と記されている。宗教面では厩戸皇子と蘇我馬子に仏教の興隆を命じて飛鳥寺には鞍作鳥の作の仏像がある。 620年には厩戸皇子・蘇我馬子が日本最古の歴史書・天皇記、国記を残している。
推古天皇は敏達天皇との間に竹田皇子(母の寵愛を受けるが病弱であった)、菟道貝鮹皇女(厩戸皇子の妻)のほか鸕鶿守皇女、小墾田皇女(押坂彦人皇子の妃)、田眼皇女(舒明天皇妃)、尾張皇子(厩戸皇子の妃・橘大郎女の父)をもうけている。
推古天皇と寵愛した竹田皇子が眠る(撮影:クロウ)