日承王
日承王の御墓があるのは本能寺境内です。 日承王は後伏見天皇六世の皇孫伏見宮邦高親王の皇子で、幼少にして本能寺にはいり、1543年の43歳の時に寺主となった。在任すること37年、その間に天文法難で焼失した当寺を四条西洞院に再建し寺内僧侶の法度を定め、また数学の研鑽に努めて多くの書物を著し、遠くは種子島、下関、越前などに殉教して各地に芳蹟寺院を残している。 こうした日承王の活躍により本能寺派は戦国末期に西日本で雄飛し、その功績は誠に偉大であったので本能寺には中興の称号を贈り遺徳を讃えている。
庭田盈子┏日承王
庭田幸子┣邦高親王(伏見宮5代目)
三条治子(西御方)┣貞常親王(伏見宮4代目)
足利尊氏 ┣治仁王(伏見宮2代目)
┣足利頼子 源資子┣貞成親王(伏見宮3代目)
赤橋登子┃ ┣栄仁親王(伏見宮)
三条秀子┃ ┣興信法親王 藤原資子
藤原公子1232-1304 ┣興仁親王( 3崇光天皇 ) 三条厳子┣101称光天皇
┣貴子内親王 西園寺寧子 ┣弥仁親王( 4後光厳天皇 ) ┣6後小松天皇
┣姈子内親王 ┣量仁親王(1光厳天皇)1313-1364 ┣緒仁親王(5後円融天皇)
┃ 藤原経子┣豊仁親王(2光明天皇)1321-1380 ┣熈永親王
89後深草天皇 ┣胤仁親王(93後伏見天皇)1288-1336 ┣尭仁法親王
┣熈仁親王(92伏見天皇)1265-1317 藤原仲子
藤原愔子1246-1329 ┣富仁親王(95花園天皇)1297-1348
藤原(洞院)季子 ┣直仁親王1335-1398
藤原(正親町)実子