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法隆寺・大宝蔵院 戊子年銘釈迦如来

2012年05月09日 | 奈良・飛鳥時代

 鞍作止利により造られた像に、法隆寺戊子年銘の釈迦如来及び脇侍像がある。本像は光背の裏に刻まれた戊子年の銘により推古三十六年、628年に蘇我馬子三回忌に造られた像と考えられている。本像は印相や衣文のつけ方など、金堂釈迦三尊像に非常に近いものをもっており、一光三尊形式の光背も線彫であるが、ほぼ同様の文様を示している。止利派の仏像は、この他法隆寺宝蔵殿の金銅菩薩像や、四十八体仏中のいくつかに見ることができる。止利派の造立と考えられる金銅仏の技法的な特徴は、像底から頭部まで空洞になっており、銅の厚みも薄手で均一に仕上がっていること、また鋳造の際に中型を固定するのに使用した鉄心を鋳造後に取り去ってあることなど、卓越した技法が見られる。止利は、これらの多様化した様式を、卓越した造型感覚によって統一的に完成させ、法隆寺釈迦三尊像に至ってこれを極めた。しかし、日本の仏教文化の中に優れた造型感覚で一時代を築いた止利の造仏は、大化の改新の前後を境としてその遺品をみいだせなくなる。止利一族が朝廷から重んぜられていた裏には、仏教を擁護し政界に大きな影響がを持っていた蘇我氏との深いつながりがあり、その蘇我氏が大化の改新で失脚したことにより、止利様式が歴史の舞台から姿を消したのである。大化の改新は、政治史上だけでなく文化史上も大きな改新をもたらした。

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