1789 フランス革命後第一共和制
1804 第一帝政: ナポレオン1世
1814 王政復古: ルイ18世1755-1824
1815 第一帝政再興: ナポレオン1世
1815 王政復古: ルイ18世
1824 王政復古: シャルル10世1754-1836
⇒言論弾圧 選挙権削減
(下院解散、選挙法改正の勅令)
1830 7月王政:ルイ・フィリップ1世1773-1850 オルレアン朝
1830 7-25
1830 7月革命
7‐27 激怒した政治家、市民は武装蜂起して3日間市街戦(栄光の三日間)
7‐28 最激戦
7‐29 市民側が優勢
革命後のエピソード
⇒仏理系の最高学府エコール・ポリテクニック学生40人が参加
⇒そのうちの一人アルコール君が三色旗を持って群衆を扇動
結果命を落とすことになるが、シテ島から右岸に通じる橋はアルコール橋として今も残る
⇒ピストルを持った少年が王立衛兵隊に突進発砲
⇒7-28午後、パリ市庁舎の上で三色旗がはためき、鐘が鳴らされた
1848 第二共和政: ナポレオン3世
1852 第二帝政 : ナポレオン3世
1870 国防政府 : パリコミューン
1871 元首制
ロマン派:リベラル、現実
ウジェーヌ・ドラクロワ1798-1863
文語:ラテン語 口語:ロマンス語 → ロマン主義
「民衆を導く自由の女神@1830」 自由を擬人化(アレゴリー)したもの @ルーブル美術館
当時は批判の的
右の少年 :手に1816年製騎兵隊用リボルバー
カルチェラタンの学生帽
ビクトルユーゴーはこの少年を「レ・ミゼラブル」に登場
足元の女性 :一般市民
シルクハットの男性 :狩猟用の銃を持つ
幅広のズボンをはいた職人
ベレー帽をかぶる男性 :防護エプロンをつけた工場労働者
1816年製歩兵隊サーベルを持つ
国民衛兵の帽子をかぶる少年:フルーレを持つ
前景の中央死体 :軍服を着たスイス人守備隊---襟の赤い紋章
前景の右側死体 :胸甲騎兵
後景には群衆、王立衛兵隊、ノートルダム大聖堂
1831 発表 大批判の後 政治的として非展示
1855 第一回万博で展示(アングル、ドラクロワ大回顧展)
因みに出品拒否されたクールベは万博会場に勝手に出品
⇒このゲリラ個展が世界最初の個展
⇒第一回印象派展開催に繋がる
1874 ルーブルでの常設展示
1999 東京国立博物館に一か月展示「民衆を導く自由の女神」⇒日本のマスコミが命名
・Saint-Denys-du-Saint-Sacrement Church
シャルル10世の時代の教会
「ピエタ」Byドラクロワ@1844
・18世紀のフランス革命で多くの壁画破壊
19世紀に修復活動
ロマン派のドラクロワが修復担当
・ドラクロワ1798-1863
独身 家政婦と暮らす
Rue de Furstembergに移住(「フェルスタンベール街6番地にアトリエ」)
現在はドラクロワ美術館:2階が住居
⇒有名なカフェ ドゥ•マゴ、カフェ・ド・フロールは近く---知識人のたまり場
⇒この建物の上の階にバジールがいた
サルトル 1905-1980
ボーボワール1908-1986
ランボー 1854-1891
ヴェルレーヌ1844-1896
ピカソ 1881-1973---ここで写真家ドラ・マールと出会う
・カフェ・ド・フロール---同様
アカデミー画家アメディ・ブルジョワ1797-1837が描いた7月革命