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【絵画-57】「民衆を導く自由の女神」ドラクロワ1798-1863 生前中はほぼ展示されることはなかった

2024年04月03日 | 絵画 音楽 映画

1789 フランス革命後第一共和制
1804 第一帝政:   ナポレオン1世
1814 王政復古:     ルイ18世1755-1824  
1815 第一帝政再興: ナポレオン1世
1815 王政復古:     ルイ18世
1824 王政復古:   シャルル10世1754-1836
             ⇒言論弾圧 選挙権削減 
             (下院解散、選挙法改正の勅令)
1830 7月王政:ルイ・フィリップ1世1773-1850 オルレアン朝
1830 7-25   
1830 7月革命 
    7‐27 激怒した政治家、市民は武装蜂起して3日間市街戦(栄光の三日間) 
    7‐28 最激戦 
    7‐29 市民側が優勢 
    革命後のエピソード 
     ⇒仏理系の最高学府エコール・ポリテクニック学生40人が参加 
     ⇒そのうちの一人アルコール君が三色旗を持って群衆を扇動 
       結果命を落とすことになるが、シテ島から右岸に通じる橋はアルコール橋として今も残る 
     ⇒ピストルを持った少年が王立衛兵隊に突進発砲 
     ⇒7-28午後、パリ市庁舎の上で三色旗がはためき、鐘が鳴らされた 
1848 第二共和政: ナポレオン3世   
1852 第二帝政 : ナポレオン3世   
1870 国防政府 : パリコミューン   
1871 元首制       

ロマン派:リベラル、現実 
 
ウジェーヌ・ドラクロワ1798-1863 
 
文語:ラテン語  口語:ロマンス語 → ロマン主義 
 
「民衆を導く自由の女神@1830」 自由を擬人化(アレゴリー)したもの @ルーブル美術館

当時は批判の的

                   右の少年         :手に1816年製騎兵隊用リボルバー 
                                 カルチェラタンの学生帽 
                                 ビクトルユーゴーはこの少年を「レ・ミゼラブル」に登場 
                   足元の女性        :一般市民 
                   シルクハットの男性    :狩猟用の銃を持つ 
                                 幅広のズボンをはいた職人 
                   ベレー帽をかぶる男性   :防護エプロンをつけた工場労働者 
                                 1816年製歩兵隊サーベルを持つ 
                   国民衛兵の帽子をかぶる少年:フルーレを持つ 
                   前景の中央死体      :軍服を着たスイス人守備隊---襟の赤い紋章  
                   前景の右側死体      :胸甲騎兵 
                   後景には群衆、王立衛兵隊、ノートルダム大聖堂  
                   
                   1831 発表 大批判の後 政治的として非展示  
                   1855 第一回万博で展示(アングル、ドラクロワ大回顧展) 
                       因みに出品拒否されたクールベは万博会場に勝手に出品 
                        ⇒このゲリラ個展が世界最初の個展 
                        ⇒第一回印象派展開催に繋がる 
                   1874 ルーブルでの常設展示 
                   1999 東京国立博物館に一か月展示「民衆を導く自由の女神」⇒日本のマスコミが命名
                   

・Saint-Denys-du-Saint-Sacrement Church 
     シャルル10世の時代の教会 
    「ピエタ」Byドラクロワ@1844 

・18世紀のフランス革命で多くの壁画破壊
    19世紀に修復活動
    ロマン派のドラクロワが修復担当
・ドラクロワ1798-1863
    独身 家政婦と暮らす
    Rue de Furstembergに移住(「フェルスタンベール街6番地にアトリエ」)
    現在はドラクロワ美術館:2階が住居 
      ⇒有名なカフェ ドゥ•マゴ、カフェ・ド・フロールは近く---知識人のたまり場
      ⇒この建物の上の階にバジールがいた
    サルトル  1905-1980
    ボーボワール1908-1986
    ランボー  1854-1891
    ヴェルレーヌ1844-1896
    ピカソ   1881-1973---ここで写真家ドラ・マールと出会う
  ・カフェ・ド・フロール---同様 

 

アカデミー画家アメディ・ブルジョワ1797-1837が描いた7月革命

 

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