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湯築城跡と高縄城跡

2007年06月29日 | 平安時代
湯築城跡
 
 中世の伊予国守護河野氏の居城、湯築城の跡は道後公園にあります。 現在では城跡、濠、屋敷等々が整備され観光客が訪れやすいように、ボランティアの方々による解説なども行われていました。  ここは、南北朝期から戦国期まで、250年以上にわたって伊予国の政治・軍事・文化の中心でした。  現在の道後公園全体が湯築城跡であり、中央に丘陵があり、周囲に二重の堀と土塁を巡らせた平山城です。 築城当初は丘陵部を利用した山城でしたが、16世紀前半に外堀と外堀土塁を築き現在の形態になったものと推定されます。  河野氏は、風早郡河野郷(北条市)を本拠として勢力を伸ばした一族で、源平合戦(1180~1185年)では、河野通信が源氏方として功績を挙げると、鎌倉幕府の有力御家人となり、伊予国の統率権を得ます。  承久の乱(1221年)では朝廷側についたために没落するものの、元寇(1281年)で通有が活躍し、確固たる地位を築きます。 南北朝期、通盛の頃には本拠地を河野郷から道後の湯築城へと移します。 その後、足利将軍家と結びつき、近隣の大内氏、大友氏、毛利氏などと同盟を保ちつつ伊予支配を維持します。 庶子家との争いも克服し、通直は湯築城の外堀を築き(1535年頃)、娘婿の海賊衆村上(来島)通康との関係を強化しました。最後の当主通直(牛福丸)は、全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に開城し(1585年)、河野氏の伊予支配に終止符が打たれす。
 
河野通信の孫・通盛が高縄城から湯築城に拠点を移した。(撮影:クロウ)
 
 
 
 
 
 
高縄城跡
 
 高縄寺は、伊予の海を見渡す高縄山の山頂にあり、標高986メートルの山頂からは遠く瀬戸内海を一望することができますが生憎訪れたときには雨足が激しく、そそくさと高縄寺の隣にある高縄茶屋に入ってぜんざいで休憩をとりました。  高縄寺は、河野氏の祈願所、菩提寺として建立された寺で、河野氏が湯築城に移るまでは、高縄城があったところでもあります。  河野氏の祖は、伊予の越智氏とされ、饒速日命から出て越智国造となった小致命の子孫とされています。 藤原純友の乱の時には、純友討伐軍に加わり、その功あって越智郡の押領使となり、武士団として成長することになります。 越智氏が伊予地方における初期の土着勢力であったのに対して、河野氏は北条高縄地方にその発祥のルーツがあります。 河野氏が急成長することになるのは、頼朝による平家討伐に源氏軍として参加してからです。 義経の壇ノ浦合戦での勝敗を決定する要因になったのが義経の軍として壇ノ浦で活躍した河野氏配下の河野水軍です。 来島海峡など瀬戸内海有数の瀬戸での船の扱いに長けた河野水軍は、壇ノ浦での潮の流れをうまく活用し功績を挙げることとなります。 こうして北条地方を根拠にして、河野氏は伊予の豪族として発展していきますが、承久の乱では宮方についたため、一族は没落離散する悲運に見舞われます。 この一族悲運に出会い、一族の菩提を弔うために全国を行脚した人物こそ、鎌倉時代の新しい宗派を作り出した一遍上人そのひとで、河野通信の孫にあたります。 鎌倉幕府から足利幕府へとかけて、再び動乱の中に巻き込まれた河野通盛(通信の孫)は終始宮方と戦い、この頃に河野氏の本拠地を高縄城から平地の湯築城に移したと見られます。  湯築城に移った河野氏を待ち受けていたのは、戦国時代末期に四国統一を果たした土佐の長曽我部元親の攻撃と秀吉による四国征伐軍でした。 1585年豊臣秀吉による四国上陸作戦が敢行されると、伊予方面から小早川隆景の軍が上陸。ときの河野氏の当主は河野通直、22歳。毛利元就の厳島合戦に支援したことから河野氏と毛利氏とは深い関係になり、小早川隆景とは親戚関係に当たっていました。隆景は通直に書面で降伏を勧め、通直は家臣との合議の上即刻開城します。 小早川隆景は伊予平定の功として伊予国35万国を、安国寺恵瓊は和気郡の2万3千石を秀吉より宛がわれます。河野通直は、隆景がそのまま湯築城に留まったため、湯築城に留まりますが、隆景が筑前に配置換えになると、河野氏の行く末を心配した毛利氏は、河野通直を小早川氏と縁が深い竹原に移します。かくして河野通直は譜代の家臣50余名を引き連れて竹原に移り住みます。 竹原市にある長生寺は、河野通直が竹原に移り住んで2年後に死亡したため、その菩提を弔うために小早川隆景が建てたものです。
 
河野通信の父・通清は高縄城にて平家方の総攻撃に敗れる
 
 
 
 
 
 
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