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淳和天皇火葬塚

2009年05月09日 | 陵 古墳 墓 遺跡

 桓武天皇の第三皇子である淳和天皇は、840年に55歳で死去し、遺言により火葬され京都市大原野の西山に散骨されました。 皇后は嵯峨天皇皇女・正子内親王(810-879)で次期天皇である 恒貞親王(825-884 仁明天皇)をもうけています。  この火葬塚は、天皇を火葬した場所とされています。 第53代淳和天皇(大伴皇子)は、桓武天皇と藤原旅子の子で、786年誕生し、840年に崩御した。 在位中は、諸処の政治改革を行うとともに「日本後紀」の編纂、「令義解」の作成を行っている。 『日本紀略』によると、840年 淳和天皇は淳和院において、火葬が「山城国乙訓郡物集村」で行われたとある。 天皇は死に臨んで、葬儀を簡 略にすること、また、自分が死後鬼となって災いを招かぬよう骨を砕き、粉々にして山中に撒くよう遺言した。 遺詔に従って骨は 砕かれ、大原野西嶺上(大原野西嶺上御陵)に散骨された。 近くの物集女車塚古墳は、淳和天皇の柩車を納めたところであるという伝承があり、古くは、物集女車塚古墳と この火葬塚が淳和天皇陵の比定地であった。

 

 

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