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赤穂事件・討入表門隊と裏門隊

2009年12月14日 | 池波正太郎 江戸時代

 討ち入りは14日夜。『人々心得之覚書』によれば、47人の赤穂浪士は九つの鐘によって行動を開始し、江戸市中3か所に集合して、本所吉良屋敷へと向かった。  表門隊の大将は大石内蔵助で、以下23士が属した。 そのうち片岡源五右衛門高房【槍 浅野内匠頭から最も寵愛された】、 富森助右衛門正因(槍)、武林唯七隆重【槍 祖父は、文禄・慶長の役で日本軍の捕虜になった明軍所属の孟二寛】、奥田孫大夫重盛(太刀)、矢田五郎右衛門助武(槍)、勝田新左衛門武堯(槍)、吉田沢右衛門兼貞、岡島八十右衛門常樹、小野寺幸右衛門秀富の9士で吉良邸内へ突入している。  庭の見張りについたものは早水藤左衛門満堯(弓)、神崎与五郎則休(弓)、矢頭右衛門七教兼(槍)、大高源五忠雄(太刀)、近松勘六行重、間重次郎光興(槍)の6士。 新門の見張りについた者は、堀部弥兵衛金丸(槍)、村松喜兵衛秀直(槍)、岡野金右衛門包秀(槍)、横川勘平宗利(槍)、貝賀弥左衛門友信の5士。 そして表門には大石内蔵助(槍)、原惣右衛門元辰(槍)、間瀬久大夫正明(半弓)という参謀格の3士が陣取り、表門隊の指揮をとった。

 裏門隊の大将は大石内蔵助の嫡男大石主税。実質的な指揮者は吉田忠左衛門。その下に24士が属した。そのうち堀部安兵衛武庸(太刀)、礒貝十郎左衛門正久(槍)、倉橋伝助武幸、杉野十平次次房、赤埴源蔵重賢、三村次郎左衛門包常、菅谷半之丞政利、大石瀬左衛門信清(槍)、村松三大夫高直(槍)、寺坂吉右衛門信行の10士が吉良邸内へと突入した。 庭内の見張りは大石主税良金(槍)、潮田又之丞高教、中村勘助正辰(槍)、奥田貞右衛門行高(太刀)、間瀬孫九郎正辰(槍)、千馬三郎兵衛光忠(半弓)、茅野和助常成(弓)、間新六光風(弓)、木村岡右衛門貞行(槍)、不破数右衛門正種(槍)、前原伊助宗房(槍)の11士。 裏門には吉田忠左衛門兼亮(槍)、小野寺十内秀和(槍)、間喜兵衛光延(槍)が陣取り、裏門隊の指揮をとった。

  

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