仁徳天皇陵の北に隣接する反正天皇百舌鳥耳原北陵
右は陵の隣の方違神社方向から撮影
(撮影:クロウ)
北三国ヶ丘町にある前方部を南に向けた前方後円墳です。百舌鳥古墳群の中では北端にあり、現在は百舌鳥耳原三陵の北陵・反正天皇陵として宮内庁が管理しています。墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約14m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。墳丘は3段に築かれ、そのかたちや出土した埴輪から、5世紀後半頃に造られたと考えられています。現在、一重の盾型周濠がめぐっていますが、前方部外周で行われた発掘調査で、かつて二重濠があったことが確認されています。陪塚と推定される古墳の存在や二重濠など、大型前方後円墳として不足のないすがたの古墳ですが、仁徳陵古墳(大仙古墳)や履中陵古墳(石津ヶ丘古墳)あるいはニサンザイ古墳に比べ、その規模がかなり小さいことから反正天皇陵とすることに疑問とする意見も少なくありません。
御廟山(ごびょうやま)古墳 どちらも百舌鳥古墳群を代表するもの いたすけ古墳