【アルザス・ロレーヌ地方の争奪戦】 ドイツとフランスの境界に位置するアルザス・ロレーヌ地方は有数の石炭・鉄鋼の産出地である。がゆえに昔から係争地となってきた。元々はドイツの領土(神聖ローマ帝国)であったが1618-1648の30年戦争では一部が仏へ割譲、ルイ14世の自然国境説により領土拡大、普仏戦争で仏独が対立してアルザス・ロレーヌ地方がドイツに割譲される。第一次世界大戦のパリ講和条約では仏に移り、第二次世界大戦では一時ナチス独に落ちるが再び仏へ戻るといった争奪戦が繰り広げられた。
ところでアルザス地方で風光明媚な町といえばコルマール。オレンジ、黄色、茶色、緑で塗られた壁の珍しい建築物(コロンバージュ)がいっぱいで、15世紀に建てられた旧税関を中心に、当時は経済の中心であったという。アルザス地方のシンボルはコウノトリ、兵庫県豊岡と同じく湿地帯にも恵まれているようで街のあちこちでコウノトリの像が見られる。コルマールに生まれたバルトルディは自由の女神の作者である。彼がアメリカ独立100年記念の銅像に取り掛かったのは1874年。あのニューヨークの女神像はここコルマールから始まった。この地方は長い間仏独による領土の奪い合いが続き、1871年、普仏戦争で仏は敗れてコルマールは独の領土となった。故郷を占領されたバルトルディは、その思いを募らせて完成したのが自由の女神なのである。またプティット・ヴニーズというロシュ河・運河(農作物の運搬に使われていた)沿いの景観は絶景である。アルザスのお菓子ケーキはクグロフ、タルトフランベは定番のピザ、ベックオフは伝統的な煮込み料理、これらが人気のメニューだそうです。ドミニカン広場は市民の憩いの場、ここで飲むホットワインは絶品。白ワインは600年の歴史があるらしい。また今では少なくなったがアルザス語の伝統が残っている。これは19世紀にドイツに併合されていた頃、色々と制限を受け公用語のドイツ語に抵抗してアルザス語を残したという。
アルザス・コルマールの運河沿いに並ぶコロンバージュ
【1993年、欧州連合EUによる各種共同管理】 これではいけないということでECSC・ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体をつくって共同管理することとなった。やがてRURATOM・ヨーロッパ原子力共同体、EEC・ヨーロッパ経済共同体ができて、1967年にECヨーロッパ共同体になる。一方英はEFTA・欧州自由貿易連合をつくって活動をしていたが、1973年にデンマーク、アイルランドとともにECに加入する。後にギリシャ、スペイン、ポルトガルが入り1993年にはEUヨーロッパ連合@マーストリヒト条約 になる。1995年にはオーストリア、フンランド、スウエーデンが加入して、1999年には共通の通貨・ユーロが誕生。2004年にはバルト3国、東欧の国々が加入した。元々ナチスドイツを生まないという発想で作ったEU:欧州連合であったが、2015年にはギリシャが経済破綻(デフォルト)し2016年には英は離脱(ブレグジット:British Exit)した。
トルコはイスラム教が原因?でEUには加入はできないことを逆手にとったエルドラン大統領は支持を集める。因みにEU諸国は全てキリスト教。またEUには国境がなく、難民の受け入れに寛容である。特にドイツはナチスドイツの反省もあって難民に寛容であったため、経済的な危機を招き難民反対勢力が力を持ち始めている。
【神聖ローマ帝国の首都はプラハだった】 神聖ローマ帝国の誕生は800年カール1世742-814、滅亡は1806年フランツ2世1804-1835(オーストリアハプスブルグ家)の時である。首都はプラハ、アールヌーボーが流行った世界遺産の街である。15世紀に建てられた城壁の門・火薬塔を入ると旧市街。ここではルネッサンス、バロックなどあらゆる様式の建物が見られる。ブルタバ河に架けられたプラハのシンボルカレル橋は神聖ローマ帝国のカレル4世により1400年頃に建造された。対岸にはプラハ城、そこへ行くまでにジョン・レノンの壁がある。ソ連の共産主義体制への反発の証。