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2009年02月13日 | PHOTOGRAPH 夜 寺 滝

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京都・長楽寺

2009年02月13日 | 陵 古墳 墓 遺跡

 長楽寺は、京都市東山区にある時宗の寺院である。 この寺は、一説によれば805年勅命により最澄が延暦寺の別院として創建したのに始まるという。 1185年(文治元年)には高倉天皇の中宮で安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後、この寺で出家したと伝えられる。 平家物語では女院は文治元年に御ぐしをおろした。そのときの御戒師が長楽寺の上人印誓で御布施の安徳天皇の直衣は仏具として長楽寺の仏前にかけたということである。 長楽寺には女院のお髪を埋めたという十三重の石塔がある。  1385年時宗の僧国阿がこの寺に入り、時宗の寺に改められた。 1908年には、時宗の道場が置かれ七条道場と称された金光寺がこの寺に統合されている。 2008年、文化財を納めた収蔵庫が火災によりほぼ全焼した。この際、一遍木像(重要文化財)を始めとする複数の文化財は住職らによって火災直後に運び出されたため災を免れた。  国阿(1314年- 1405年)は、南北朝時代から室町時代中期にかけての時宗の僧である。 「双林寺縁起」によれば、出身は播磨国で、1355年に出家して国阿弥陀仏と称したという。 熊野などの山岳における修行につとめ、「伊勢・熊野参詣の道者不浄を嫌わず参詣すべし」との神託を受け、その主張を広めて人気を博した。 京都東山霊山に正法寺を建立して霊山派の本寺となり、また双林寺を再興して国阿派の本寺となった。

 

 

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