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京都・八坂神社

2009年02月10日 | 平安時代

 八坂神社は明治元年に神仏分離により改名されたもので、もともと神としては祇園社、仏としては感神院という信仰の聖地であった。 明治以前の祇園社は多宝塔がそびえ、薬師堂があった。 また南の桜門を入った境内には鐘楼があったが大雲院に移された。 大雲院は織田信長、信忠親子の菩提を弔うために正親町天皇によって建立され、現在の地に移されたのである。 四条河原町から東へすすむと正面には左右に翼廊を配した朱塗りの桜門があるが、実はこれは八坂神社の正面ではなく1497年の建立で建立当時に比べると6mほど移動されている。 平安京域からの参詣者が増えるにつれて門が設けられたのである。 鎌倉初期の歌人・藤原俊成は「霧の内もまつ面影にたてるかな西の御門の石のきさわし」 と、桜門を詠んでいる。 ところで、 正面は南側の駐車場側にある門で、桜門に比べるといたって地味な趣である。 境内のほぼ中央には本殿があり、その前に配置された舞殿では季節の行事が行われる。 節分祭で行われる豆撒きも舞殿で行われ、毎年、年男・年女が参詣の人々に豆を振舞う。

 

 

 

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