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平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

古代史から現代史に至る迄(日本史/世界史)の歴史散策紹介とポートレイト

ユダヤ-7 イギリスでのユダヤ人

2019年02月06日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 1642年イギリスで始まったピューリタン革命では1653年に大きな軍事的功績をおさめたオリバー・クロムウェル(クリスチャン)が担ぎ上げられる形で護国卿となり独裁体制が敷かれた。彼はユダヤ人がイエスをメシアとして受け入れ、キリストが戻ってきて1000年王国が始まると信じ、1655年オランダのアムステルダムからユダヤ教指導者マナセ・ベン・イスラエルを呼んだ。これを契機にユダヤ人がイギリスにどんどん移住してきた。ユダヤ人のイギリス移住はイギリスが1290年にユダヤ人を追放してから365年目のことである。ところでオランダはスペインのハプスブルク家から独立運動を、1568年から1648年まで80年間つづけていた。そして独立後間もなく1645年に第一次英蘭戦争が始まった。その後オランダはイギリスとの3度の戦争(1784年に終わる)で敗北を繰り返し国力が逆転される過程でイギリスで起こったのが1688年の名誉革命である。

 1688年、イングランドのジェームズ2世の娘メアリー2世とその夫でオランダ総督ウィリアム3世(ウィレム3世在職:1672年 – 1702年)がイングランド王位に即位した。イングランドとオランダの貿易が増加しオランダのユダヤ人がロンドンに投資を始めた。ユダヤ人のロペス・ソアッソ一族はウィレム3世に英国出兵の経費として200万グルデンを前貸しした。大勢のユダヤ人金融業者がロンドンに移り住みウィリアム3世の時代に金融市場が発達した。名誉革命を通じて、国際金融の中心は、アムステルダムからロンドンに移った。1810年にはオランダはナポレオンのフランスに併合されイギリスに海外植民地の大部分を奪われた。1815年のウイーン会議でオランダは復活するが保有する海外領土は、オランダ領東インド(現インドネシア)、オランダ領ギアナ(現スリナム。西側にイギリス領ギアナが出来て縮小した)と、商館である日本の出島だけとなった。

 19世紀になるとイギリスは黄金時代を迎える。イギリス国民はユダヤ人であるベンジャミン・ディズレーリを1804年、首相に迎えた。かつて自然科学、医学、経済ではユダヤ人の台頭はあったが、政治の世界での台頭は初めてのことである。第二次内閣では「トーリー・デモクラシー」と呼ばれる一連の社会政策の内政と帝国主義の外交を行って活躍した。エリザベス女王を初代インド帝国の皇帝にし、ロシア南下政策を止め、スエズ運河株式を買収したことで、インド洋航路への侵入権を獲得した。

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ユダヤ-6 オランダでのユダヤ人

2019年02月01日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 ポルトガルで迫害されたユダヤ人はスペイン・ハプスブルクの領地オランダへ逃げることとなる。1500年頃のことである。やがて17世紀のオランダではユダヤ人の商才はいかんなく発揮される。1602年にはオランダでオランダ東インド会社が設立される。世界初の株式会社といわれているが、株の4分の1をユダヤ人が所有しアムステルダムは当時新エルサレムと呼ばれていたくらいである。最大の株主はIsaac le Maireでユダヤ人と言われている。 

 1626年頃にはハドソン川下流のマンハッタン島南端にオランダの植民拠点が建設され、ニューアムステルダムと命名された。ニューネーデルラント植民地となったニューアムステルダムは1653年に正式に市の資格を与えられている。当時は運河がはりめぐらされた土地であり、また侵入者に備えて防壁が随所に築かれました(ウォール街)。ニューアムステルダムの建設には改宗したユダヤ系のオランダ人も含まれていた。二人の大統領を出したルーズヴェルト家は ニューアムステルダム植民地以来のオランダ系の名門であり、名前を見れば改宗ユダヤ人の家系である可能性が高い。ニューアムステルダムにはブラジルからもユダヤ人が入植している。これはポルトガル領のブラジルがユダヤ人を弾圧をしたため1630年当時、ブラジル北西部のオランダ領に逃げこみ、1652年に英蘭戦争でオランダがイギリスに敗北し北西部ブラジルが再びポルトガル領になった後、ユダヤ弾圧が起こったためである。ニューアムステルダムは1664年に英国支配化になり、 後にヨーク公に因んでニューヨークと改称されたのである。

 オランダ商人の利益を代表する政治家たちは、スペインとの戦争よりもオランダの商圏拡大に重きを置いた。スペインとの戦争中に、オランダは経済的躍進を遂げ、世界一の海上帝国を建設したが、それはオランダが金はかかるが利潤のない地上戦闘は同盟国の援助に頼り、もっぱら海上勢力を充実したからである。自由貿易を信奉するオランダ商人のなかには、敵国スペインに大量の武器弾薬を売って大儲けするものもいた。その一人ペイラントは、逮捕されても「貿易は万人にとって自由でなければならず、戦争によって妨げられてはならない」と主張して、裁判で無罪を勝ち取った。この主張を「ペイラントの自由」と呼ぶ。当時のイギリス人は、何の良心の呵責もなく敵に武器弾薬を供給するオランダ商人に呆れはてたという。

 かくしてオランダは、アフリカ最南端の喜望峰から、セイロ ン、ジャカルタ、広東に植民地や通称拠点を置き、17世紀の世界貿易の中心を担い、長崎の出島はその終点なのである。これだけの勢力圏を築いたオランダが、やがてその勢いを失う。世界貿易の中心を占めた経済大国が急速に衰退したのである。

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ユダヤ-5 ポルトガルで迫害されたユダヤ人

2019年02月01日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 イスラム教の開祖・ムハンマド570-632の死後、イスラム共同体の指導者となった4人のカリフたちがサラセン帝国を構築した。ムハンマドの時代にはアラビア半島の実であったが、わずかに20年の間にシリア、エジプト、ペルシャ、イベリア半島迄勢力を拡大した。ここにはユダヤ人がサラセン帝国では優遇された背景がある。やがて国力がアップし13世紀になると宗教の力が強くなりユダヤ人の迫害が始まった。この時に改宗したユダヤ人はアラノと呼ばれて火あぶりの刑に処され、多くはオスマン帝国(現在のトルコ)やポルトガルに逃げた。当時のオスマン帝国はユダヤ人を差別することはなかった。

 当時のポルトガル国王はマヌエル1世1469-1521は、インド航路の開設等の吉事に恵まれてポルトガル王国の黄金期を築いたことから海外交易による莫大な利益を背景に、ポルトガルの絶対王権を確立した。と同時に隣国の衰退したスペインは1492年にユダヤ人追放令が出されてことにより約10万人のユダヤ人が陸路でポルトガルに逃れてきた。先王ジョアン2世は、8ヶ月の滞在しか許さず、それを超えて滞在する者は奴隷の身分に落としたが、マヌエルは、これらのユダヤ人を奴隷身分から解放した。しかし、カトリック両王のフェルナンデルの娘・イサベルを妃として迎えるに当たって、スペイン側はポルトガル領内でのユダヤ教徒追放を求めたため、1496年にマヌエルもこれに応じた。つまりマヌエルはユダヤ人を犠牲にしてイベリア半島を選んだのである。かくしてポルトガルでもユダヤ人は追放されたのである。

 しかし、商業、金融業で主要な役割を果たし、また医師などの知的専門職や職人となっている者も多いユダヤ人を追放することは、ポルトガルの経済上大損失であることを認識していたマヌエルは、彼らを国内に引き留めるために、形式的な強制改宗を断行する。1497年3月19日をもってポルトガル国内に在住する全ユダヤ教徒はキリスト教に改宗したことにして、内心での信仰の調査は20年間猶予するというものである。この期間はさらに延長され、マヌエルの治世下では結局行われなかった。しかし、表面的にキリスト教徒となったユダヤ教徒たちは、「新キリスト教徒」(マラーノ)と呼ばれ、さまざまな場面で差別を受けた。14歳未満の子は親許から引き離され、キリスト教徒の家庭に里子に出すことが義務づけられ、そこでキリスト教の価値観や習慣を身につけさせようとした。かくしてポルトガルのユダヤ人はオランダへ逃げることとなる。

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ユダヤ-4 三大宗教のひとつイスラム教

2019年02月01日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 世界三大宗教のユダヤ教、キリスト教については記した。残りはイスラム教。7世紀の初めにムハンマドという予言者の前にガブリエルというアラー神の言葉を伝える天使が現れ、啓示を受けた。そしてムハンマドの弟子が20年に渡って啓示を内容をまとめたのが正典・コーランである。また、ガブリエルは「ムハンマドの率いるムスリム軍と共に反イスラームの戦士たちと戦い、勝利をもたらした。」というようなことを啓示しているが、この言行録のことをハディースという。旧約聖書に於いてはイサクはアブラハムと正妻サラの子、イシュマエルは奴隷・ハガルの子となっているが、イスラム教に於いてはこれが逆である。また、あとからの記載の方が正しいとし、複数の解釈ができる場合にはいずれもが正しいとしている。そしてイエスは神ではなく預言者であり十字架にはかかっていないとする。

 ジハードとはイスラムに於いては信徒の義務とされている行為のひとつである。ジハードには大ジハード(内への)と小ジハード(外への)があり、前者は努力、後者は自爆という意味がある。ジハードによる戦死者は、この世の終わりに最後の審判がなされたあと天国に行けるとされている。天国では72人の処女と性交することができ、親族70人に天国への招待状が送ることができるという。

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ユダヤ-3 キリスト教とイエス

2019年02月01日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 イエスが誕生したのは紀元前4年、ユダヤの町ベツレヘムで(ダビデの町)生まれた。その時、星が流れたのを見て東方の三博士が訪ねてきたという。そして紀元後30年頃にゴルゴダの丘で十字架刑に処された。律法学者によって旧約聖書の預言内容がゆがめられていくのを強く批判したイエスは、自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称し、エルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判した罪により、ユダヤの裁判にかけられた後、ローマ政府に引き渡され磔刑に処せられた。その後、十字架からおろされ墓(聖墳墓協会)に埋葬されたが、3日目に復活し、大勢の弟子たちの前に現れたのである。

 キリスト教の正典は旧約聖書(預言書)と新約聖書(予言の証明書)である。旧約聖書はヘブライ語でかかれ、新約聖書はギリシャ語で書かれている。4世紀になると、ヒエローニュムス 347-420は、聖書をラテン語に翻訳する。この聖書こそが中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書であった。ローマ教皇ダマスス1世に重用されるようになり、ローマ滞在中にラテン語訳聖書の決定版を生み出すべく、全聖書の翻訳事業にとりかかったという。ところが、当時の人民は識字率は低く聖書を読むことができないからウルガータの内容が真実なのかどうかは確認できない。かくしてこの教えはラテン語を読める人、特別な人の独占物になっていった。

 

東方の三博士が訪ねた : 新約聖書・マタイ福音書二章

どこから来た?    : バビロニア

何故来た?      : ベツレヘムの星を見たから--クリスマスツリーの上に飾られる星

何故3人?      : 黄金、乳香、没薬の3種を持ってきたから

三博士の名前は?   : カスパール、バルタザール、メルキオール

所以ある日は?    : 1月6日

この題材が絵にされた : 伊フィレンツェではエピファニア祭・公現祭

             メディチ家の人達が三博士に扮した行列があった 現在でもある

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ユダヤ-2-2 ハザール王国のユダヤ改宗とユダヤ人迫害の起源 

2019年02月01日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【ハザール人はユダヤ人ではなくトルコ人】
   ・ハザール系ユダヤ人@カフカス地方のトルコ人少数がユダヤ改宗@9c :
      キエフ正教徒とイスラム教に挟まれ敵対
      ヨーロッパのユダヤ人が亡命
      ハザール人はトルコ人 :元々突厥・遊牧民族@7-10c
      ハザール人は日本人と同じモンゴロイド
      言語はアルタイ語
      ハザール人がアシュケナージというのは誤り:ケストラ著書の誤解
      0965:キエフと戦い敗戦、
      1016:ロシアの一部となり一部は正教徒に改宗、一部はハザール系ユダヤ人

【ユダヤ人迫害の起源】

1096     十字軍遠征 : ローマ教皇は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の援軍要請に従う :聖地エルサレムを異教徒から奪還
              キリスト教徒は内戦を止めて、イスラム教徒からの聖地エルサレム奪還を目的として遠征する
              キリスト教徒は自国内に居る異教徒(ユダヤ人)の存在に気付く
              ユダヤ人も巻き込まれて迫害される(ユダヤ人虐殺の始まり) : ユダヤ教徒はイエスを殺害
              ユダヤ人の職業はキリスト教が禁止していた金融業 → 都市の発展に貢献
              迫害された大量のユダヤ人が難民となり、行った先は
               ①イベリア半島(イスラム世界)----スファラディ 
                 14世紀に移動
                 1492レコンキスタ完成するとベネチア、オランダ、イギリスへ移動
                    これらの国は商業、金融で大発展する
                    ユダヤ人を迫害、退去させたスペイン、ポルトガルは衰退する
               ②ポーランド(モンゴルによる虐殺で人口激減)----アシュケナージ
                 14世紀 :カジミェシュ3世1310-1370がユダヤ人を受け入れ経済発展
                 アシュケナージの起源はハザール王国のユダヤ人(第13支族)と主張
                   By アーサー・ケストラー1905-1983
                 したが、これは全くの間違い(最近のDNA、言語研究による)
               ③北アフリカ ----オリエント・ユダヤ人   

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ユダヤ-2-1 ユダヤ教とユダヤ人 詳細解説 

2019年02月01日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 まずはユダヤ教について述べることとする。正典は旧約聖書であるが、ユダヤ人はこれを旧約聖書とは言わない。タナハー(ヘブライ語でTNK)と言って、T:トーラーという律法、N:ネビームという予言者、K:ケトビームという諸書のことを言う。これらは人類を救うプランについて記述いている。それと同時に口伝律法が発達することとなる。それは旧約聖書の解釈(ミシュナー)と注釈(ゲマラー)を示すもので、ユダヤ教指導者・タナイームなどが解説した。やがて時代とともに口伝律法の方が旧約聖書よりも権威を持つようになる。権威を持つのはいいが、本来の預言書である旧約聖書の記載内容から外れているのは如何なものか!!として批判したのがキリストである。この口伝律法はやがて2世紀頃からユダヤ人の間で議論され文章化されたものがタルムードである。

 ではユダヤ人は全世界にどれくらい居るのかというと約1600万人。因みにユダヤ人の定義であるが、母親がユダヤ人であること、ユダヤ教を信仰していることである。世界人口は約75億人であるから0.2%に過ぎない。ところがその才能は極めて高く、一般相対性理論のアインシュタイン、資本論のマルクス、コンピュータ動作原理を発明したノイマン、精神分析学のフロイト、経営学のドラッガー、マンハッタン計画の主導者オッペンハイマー、映画監督のスピルバーグ、オリバー・ストーン、芸術家シャガール、音楽家ではボブディラン、KISSのジーン・シモンズ、Facebookのザッカーバーグ、俳優のハリソンフォード、報道のジョセフ・ピュリッツァーなど。そしてノーベル賞受賞者の22%がユダヤ人である。

 では何故ユダヤ人には優秀な人物が多いのか。これは旧約聖書にも記載があるらしいが、BC70年エルサレムには約120万人のユダヤ人がいた。当時ローマ帝国の所轄であったエルサレムを統治していたのはヘロデ大王であったが、ユダヤ人のローマへの反感は高まる。こうしたときにあるユダヤ人が殺害された。当時のユダヤ属州総督がエルサレムのインフラ整備のための資金として神殿の宝物を持ち出したことにあったといわれている。これをきっかけにエルサレムで過激派による暴動が起こった。ローマ側は暴動の首謀者の逮捕・処刑によって事態を収拾しようとするが、逆に反ローマの機運を全土に飛び火させる。つまり意思統一ができていなかったユダヤ人たちは反ローマで結束した。当時のローマ帝国を統治していたネロ皇帝は、ユダヤの周辺都市を撃破。ユダヤ軍を撃破しながらエルサレムを孤立させることに成功した。かくしてエルサレムは陥落。残った10万人のユダヤ人は全世界へ散らばったのであるが、生きるためには人の嫌がる仕事をすることで認められ、実力をつけて行った。当時人の嫌がる仕事と言えば金融業であり、ユダヤ人はこの金融業によって巨万の富を得るようになった。またその資金であらゆる分野での研究開発の援助をするのである。

ユダヤ人
 ・アシュケナージ
   ・ヘブライ語でドイツを意味する :イリッシュ語≒ドイツ語
   ・ドイツ・中東・ロシア系  
   ・米移住
   ・シオニズム運動 
   ・労働党の中心(1948-1977)
 ・スファラディ   
   ・ヘブライ語でスペインを意味する
   ・コーカソイド  
   ・1492年にスペインを追放された 
   ・トルコ、蘭、仏、伊、英に移住  
 ・ミズラヒム  
   ・オリエントユダヤ 
   ・南アジア、北アフリカ、中近東  
   ・サッスーン財閥 
   ・中国ユダヤ人:習近平から迫害受けてイスラエル移住  
   ・エチオピアユダヤ人:イスラエル移動@1985頃 
 ・失われた10部族   
   ・ビルマ、インド、インドネシア:イスラエル政府により認定有り  

 

 ・正統派:20%   
   ・安息日は仕事をしない  
   ・シナゴーク参拝には徒歩 
   ・豚、鰻は食べない 
   ・ラビが認めたアルコールはOK 
   ・女性の礼拝は2階席:トーラ巻物は1階  
   ・ ビジネスは不向き
   ・貧乏人が多い      
 ・保守派:40%   
   ・米に多い  
   ・米キリスト教徒福音派はユダヤ人を歓迎する   
     →イエスが登場するにはユダヤ国家再建が必要だから   
      福音派に関する情報    
       ・福音書:ゴスペル   
       ・主な著者はヨハネ、マタイ、ルカ、マルコ(正統な新約聖書)     
             上記以外は外典、偽書となっているが、外されている理由を知る必要がある 
       ・イエスの一生を記述    
       ・新約聖書となる@AD100頃   
       ・キリスト教の理想書    
      中世ヨーロッパにおける異教徒迫害運動   
       ・十字軍  
       ・レコンキスタ  
       ・100年戦争
       ・薔薇戦争  
       ・ユグノー戦争  
      イエスを神に設定したのはパウロ5-67年頃   
       ・ギリシャ語を話すユダヤ人  
       ・神イエスだから蘇った  
         人々の罪を背負って死んだ、人々を救った 
       ・教会を設立:ここで人々は償いをすべきである   
       ・キリスト教神学に発展  
        
   ・イスラエルを応援する      
   ・中東、欧州には少ない    
   ・女性ラビは認めない     
   ・独の近代改革で発生   
   ・金持ちが多い    
   ・安息日は金曜日夕方から24時間   
   ・イスラエル労働党の中心はアシュケナージであった(1948-1977)が・・・   
    ミズラヒム(オリエントユダヤ)によって労働党ラビン首相1922-1995(暗殺)から    
    保守党(リクード)ベギン首相1913-1992に替わる :キリスト教徒福音派利用の結果     
 ・改革派:40%   
   ・礼拝ではヘブライ語無し   
   ・キリスト教のようにオルガン使用もある    
   ・安息日は日曜日     
   ・女性ラビも居る

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ユダヤ-1 ユダヤ教の祖アブラハム

2019年02月01日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

世界三大宗教はというと
 ・ユダヤ教、
 ・キリスト教、
 ・イスラム教であるが、共通しているのはそれらの祖がアブラハムであるということである。
 ・主は無から有を造った創造神であり、この世には始まりと終わりがあり、人間誰しも死ぬときは最後の審判をうけるということである。
 ・アブラハムはノアの洪水の後、人類救済の祖として選ばれた最初の預言者である。

   

【アブラハムはカナン-エジプト-カナンに放浪】   ノアの息子・セムの直系でテラの子・アブラハムは、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウルにおいて裕福な遊牧民の家に生まれたとされる。テラは、その息子アブラハムと、孫でアブラハムの甥に当たるロト、およびアブラハムの妻でアブラハムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから出発した@75歳。

 アブラハムは、父テラの死後、ヤハウェから啓示を受け、妻サライ、甥ロト、および途中の町ハランで加えた人々とともに約束の地カナン(パレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時のことである。その後、飢饉により、アブラハム一行はエジプトへ避難した。麗しい妻サラが原因で自分が殺害されることを恐れたアブラハムは、妻サラに自分の妹と称させる(実際、サラはアブラムの異母妹であった)。そのサラがエジプト王の宮廷に召し抱えられたため(アブラハムは65歳の妻・サラを献上した)、アブラハムは一大財産を築くことになるが、神は、アブラハムの妻サラがエジプト王の妻とされたことでエジプト王および王家を災害(疫病)で痛めつけるのである。かくしてエジプト王は、アブラハム一行をカナンの地へ送り出した。

【ユダヤ人男子の割礼儀式】   アブラハム一行は、家畜、奴隷、金銀財産も十分持ち過ぎていたので、アブラハムがカナン地方を、ロトがヨルダンの低地全体(ゴモラに隣接していたソドム・・・逸話は多い)を選び取って住み分け、のちに東方ヨルダン川東岸に移動した。アブラハムとロトとが分かれた後、アブラハムに神から預言が下された。

 彼は老齢になっても嫡子に恵まれなかった(ハランを出発したときは75歳)が、妻のサラの勧めで彼女の奴隷であったハガルを妾にして76歳にしてイシュマエルを授かり、後に99歳で割礼を受け、老妻サラとの間に100歳になって嫡子イサクを授かった。アブラハム137歳の時に妻サラは127年の生涯を閉じたが、その後アブラハムはケトラという女性を妻に娶りジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアという子供をもうけ、その後アブラハムはイサク以外の子には生前分与として贈り物を与えて東の地に去らせ、イサクには残りの全財産を継がせたほか自分の故郷から傍系親族のリベカを連れてこさせて彼の妻にさせた。アブラハムは175歳で世を去り、マクペラの洞窟へイシュマエルとイサクによって葬られた。

【イエスと12人の使徒】 

イエス      : 「最後の晩餐:ダヴィンチ」「キリストの磔刑:ベラスケス」

マリア      : 聖母

クロパの妻マリア : 聖母マリアの姉妹

ガブリエル    : 大天使

マグダラのマリア : イエスの磔刑を見守る 「悔悛するマグダラのマリア:ティッツァーノ」

  

ペテロ : 元シモン 聖ピエトロ大聖堂 ローマで殉教

アンデレ: ペテロの弟

大ヤコブ: イエスの又従兄弟

ヨハネ : 大ヤコブの弟 漁師 黙示録 母はエリザベト:天使が受胎告知してヨハネが生まれた

      ヨハネの黙示録:世界が平和になったときエルサレムができたが神殿が無い

      神秘の子羊が現れ、神殿の代わりに拝む

      ヘロデ王、妻はへロディア:この結婚は立法に反すると批判し投獄される

      へロディアの連れ子・サロメが踊りの褒美にヨハネの首を欲した

      By マルコ福音書第六章

ピリポ : 

バルトロマイ: 

トマス : ガリラヤの漁師

マタイ : 元収税人 「聖マタイの召命:カラヴァッジョ」   

小ヤコブ: 

ダダイのユダ

シモン : ゼロテ党:反ローマ闘争

ユダ  : イエスを裏切った 「ユダの接吻:ジョット」

 

聖クリスト・フォロス(クリストファー):川の渡し

 

アダム@エデン:追放-原罪 930歳
 ┣カイン:農耕 アベルを殺す ユダ 
 ┃ ┗エノク
 ┃
 ┣アベル:牧畜 
 ┣セツ 
 ┃ ┗□-□-□-□-□-□
イヴ          ┗ノア-□-□-□-*バベルの塔@バビロニア⇔ペルシャ
             ┗セム
              ┗□-□-テラ

┗テラ (205歳のときハランで死亡)
 ┃
 ┃エジプト人奴隷のハガル(サラの奴隷) 
 ┃ ┣イシュマエル :サラの子となり137歳で死んだ
 ┃ ┃        母・ハガルとともに邪魔者扱いされて砂漠に追いやられたByアブラハム
 ┃ ┃        しかし天使に救われている
 ┃ ┃        
 ┃ ┃        ユダヤ人とイスラームは、イシュマエルこそアラブ人の先祖とみなしている
 ┃ ┃
 ┗アブラハム :テラの死後、エホバ神啓示を受け、サライ、ロト、らとパレスチナへ旅立つ。75歳の時 
   ┃     ユダヤ教義 (教典は旧約聖書)ではユダヤ人の祖
   ┃     キリスト教 (教典は新約聖書 
   ┃     イスラム教義(教典はコーラン)ではユダヤ人とアラブ人の祖
   ┃     5大預言者の一人(他の4人はノア、イエス、モーゼ、ムハンマド)
   ┃
   ┣イサク :サラ90歳のときの子で180歳で死去 
  サラ ┃   神のお告げでアブラハムはイサクを生贄にするが、
     ┃   神は、神を信じて疑わぬアブラハムを試していた
     ┃
     ┃   これを描いたのが「イサクの犠牲」Byレンブラント、カラヴァッジョ
     ┃                    1606-1669   1571-1610 
     ┃
     ┣ヤコブ:家にこもって思索
     ┃ ┃  
     ┃ ┃  別名はイスラエルといい、イスラエルの民すなわちユダヤ人はみなヤコブの子孫を称する
     ┃ ┃  神の勝者を意味する「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」「エル(神)」 
     ┃ ┃  旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長
     ┃ ┃  4人の妻に12人の息子を設けさせ、これがイスラエル12部族の祖となった
     ┃ ┃  イスラム教の聖典・コーランでは、預言者のひとりとして登場
     ┃ ┃ 
     ┃ ┣ヨセフ コーランでは第12章「ユースフ」に詳しい
     ┃ ┣他11人
     ┃ ┣娘 
     ┃ラケル、レア(ラケルの姉:)、ソバメ二人
     ┣エサウ:勇猛な狩人 あっさりした性格 怯えるヤコブを優しく迎える
     ┃    この時、ヤコブと天使が戦う 「ヤコブと天使の戦い」Byドラクロワ
     ┃
     ┃
    リベカ(パレスチナ出身)

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7-ユダヤ、アラブそしてもうひとつの勢力

2014年08月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 1945年からの3年間でユダヤ人がイスラエルに戻り、アラブ人が排除されたことで、現在のイスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ(今ではアラブ人をいう)の間で戦闘が繰り返されるという中東戦争が現在まで続いている。中東戦争、湾岸戦争、同時多発テロ・・・最近50年の歴史はイスラム原理主義を掲げたテロリストによる過激状態へと進化している。この辺の話は別途するとして、ここではユダヤ、アラブに次ぐもうひとつの勢力について記載する。それはもちろんキリスト教である。キリスト教といえばその教典は聖書であるが、正確には新約聖書といいたい。ユダヤ人の教典は先に記載したように旧約聖書であるが、彼らは新約聖書を認めていないから、自分の教典を旧約聖書とは言わずに「聖書」という。旧約聖書は紀元前1000年頃?に書かれたのに対して新約聖書は紀元後100年頃?に書かれた。ユダヤ戦争の記載があることから紀元後70年以降に書かれている。ユダヤ人はイエス・キリストの神格は認めていないが、新約聖書を教典とするキリスト教徒はイエス・キリストを神格とし、ユダヤ教から脱して、世界宗教への道を辿ることになる。新約聖書はすべてイエス・キリストの弟子(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)によって記されたが、それぞれ内容において時期は場所などは異なっていることが多い。ところで、この新約聖書が日本に伝わったのはというと1949年のフランシスコ・ザビエルの来日が最初である。当時の聖書と注釈書はキリスト教弾圧の歴史もあって存在していない。

 

   【ヨハネ】 洗礼者、イエスの洗礼も行っている@ヨルダン川。そして荒れ野で40日間の修業を行い12人の弟子を集める Byマタイ伝。11人は北部ガリラヤ地方、ユダのみが南部ユダヤ地方カリオテ村出身。どのように弟子を集めたのかは定かではないが、ペテロだけは詳しい。ペテロは漁師で筆頭弟子、ヤコブとヨハネも漁師、マタイは収税人くらいのことしかわからない。

 ヨハネはガリラヤ領主・ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の子 兄を王座からおろし、兄嫁ヘロディアスを奪ったことでヨハネから糾弾される)によって斬首。義理の娘・サロメの母・ヘロディアスが首を欲しがったため。またヘロデはヨハネの影響力を恐れた。ところが首を欲しがったのはいつの間にかサロメとなり、ワイルドは戯曲サロメを書いた@1893。 因みにサロメを題材にした絵は数多く残っている。オスカー・ワイルド1854-1900の戯曲サロメ@パリ1891? 挿絵:オーブリー・ビアズリー1872-1898 女優:サラ・ベルナール1844-1923が演じる予定であったが中止:ヨハネを演じることが禁止(1931迄@イギリス)

1896 公演@パリ

1901 公演@ドイツByマックス・ラインハルト

1905 オペラ版サロメBy リヒャルト・シュトラウス オペラ歌手:アイノ・アクテ1876-1944 

1908 バレー化@ロシア 踊り子;イダ・ルビンシュタイン1885-1960

1913 上演@日本 女優:松井須磨子

     牢に閉じ込められたヨハネを愛した魔性の女サロメであったが、ヨハネに拒否されたため、首を落としてキスをする---この戯曲@1891が世界的にヒットした。さしずめ阿部定事件@1936のよう。

 

 紀元前4年(6年という説もある)にイエスは生まれて預言者となったが若くして政治犯として十字架刑に処された。イエスの父はヨセフ、母はマリア、パレスチナのヨルダン川西岸地区中央に位置するベツレヘムで生まれた。ここベツレヘムは今から4000年前にアブラハムの孫・ヤコブが12人の息子とともに開拓した地のひとつである。ヤコブの子・ユダはユダ族を率いてユダ王国を造ったが、このユダ王国にベツレヘムがあり、実は聖地エルサレムとは隣接している。従ってイエス・キリストはユダヤ人なのである。現在のユダヤ人のほとんどは、ユダヤ教のなかでもファリサイ派に属するらしいが、ナザレ派に属するイエスは弟子とともにユダヤ教ファリサイ派を強烈に批判した。そして神殿から商人を追い出すなどの批判をする。ここで神殿貴族のサドカイ派はイエスの批判を脅威に思ってローマ帝国に政治犯として訴えるのである。訴えられたイエスはエルサレムそばのゴルゴタの丘で十字架刑に処せられた。やがて紀元後70年にに起こったユダヤ戦争によりエルサレム宮殿は破壊し、宮殿貴族のユダヤ・サドカイ派やヘブライ派は没落していった。このときにナザレ派イエスの教えが地中海全域にキリスト教として広がっていったのである。

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6-世界大戦後のユダヤ人

2014年08月27日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 約2000年に渡って世界各地で迫害され続けたユダヤ人の運命は世界大戦後に大きく変わる。1945年ナチス・ドイツが第二次世界大戦で敗退し、ヒトラーが4月に自殺、ヒトラー政権が5月に崩壊したことで、ユダヤ人は我が祖国の地・パレスチナを目指した。しかしその時パレスチナの地はアラブ人で占められている。後押しをしたのが、アメリカ、イギリス、フランスである。というよりも以前からこれらの大国に亡命していたユダヤ系アメリカ人、ユダヤ系イギリス人が大規模な後押しを行ったのである。では何故アメリカ系ユダヤ人がそのような後押しができたのだろうか。そこにはユダヤ人という民族性を知れば理解できる。ユダヤ人は4000年の昔、遊牧民であった。遊牧民として生き抜くのに必要不可欠なことは、環境への適用性である。そして環境に最適なシステムを創造していく力である。彼らはDNAレベルでこれらの資質を受け継いだと私は考えている。わかりやすく言うと、彼らは言われたことだけをするのではなく、自分であるべき姿を考えて実行した。遊牧民らしく多くの人たちと出逢ってネットワークを築き、その頂点の立場で商売、技術を磨くことによって知らず知らずの間に大富豪へと成長した。もちろん全員ではないが、大富豪になった人たちの多くがユダヤ系なのである。

 例えば第二次世界大戦中に、アメリカはマンハッタン計画を立ち上げ原子爆弾の計画を成功させた。この計画を率いたのは ロバート・オッペンハイマーという物理学者であるが、かれはユダヤ系アメリカ人である。そしてこの計画に投じられた資金は当時のレートで20億ドルと云われている。因みに戦艦大和の建設費用が当時のレートで1億5千万円程度であるから、マンハッタン計画に投じられた資金のすごさが伺える。この資金はどこからでているのかといえば、もちろんユダヤ系アメリカ人によるところが大きい。そして原爆は元々ナチス・ドイツを殲滅するために開発が始まったことも付け加えておく。莫大な資材を使って各国のユダヤ系大富豪が、ユダヤ人のパレスチナへの侵入をバックアップし、今までいたアラブ人は排除された。これが1945年からの3年間の歴史である。そしてそれ以降中東はどうなっていったかというと、現在のイスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ(今ではアラブ人をいう)の間で戦闘が繰り返し行われていることでもわかるように、いわゆる中東戦争へと泥沼状態に突入するのである。

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5-ドイツ帝国におけるユダヤ人 ニュルンベルク法法的にも迫害

2014年08月26日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

1453年ローマ帝国が滅亡したあとは神聖ローマ帝国が治めた
  ・神聖ローマ帝国の正式名称が「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」ということからもわかるように、まさにドイツなのである。
  ・やがて、ヴェルサイユ宮殿でプロイセン王ヴィルヘルム1世の即位式が行われて 「ドイツ帝国」が誕生
  ・1914年に勃発した第一次世界大戦でドイツ帝国が敗退し、ヴィルヘルム2世がオランダに亡命した。
  ・これによりドイツ帝国は崩壊し、1918年にワイマール共和政が敷かれたことからドイツ共和国といわれる。
  ・そしてドイツ労働者党(ナチ党)が政権を掌握していた1933年からは例のヒトラー政権となる。


  ・ローマ帝国崩壊後も祖国パレスチナに戻れず、世界各地でユダヤ人は迫害され続ける
  ・最も有名な話はナチス・ドイツによる迫害
  ・なお、同性愛者や障害者も迫害された。
  ・迫害が法的に定められたのが 「ドイツ人の血と尊厳の保護のための法律」 
  ・で、ニュルンベルク法が1935年に公布されると、ユダヤ人迫害が民間レベルで一気に増していったのである。
  ・結果、1000万人以上のユダヤ人が犠牲になった。
  ・さて、1945年ナチス・ドイツが第二次世界大戦で敗退したことで、ユダヤ人の運命は大きく変化する

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4-ローマ帝国滅亡前後のアラブ人とユダヤ人

2014年08月25日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

現在のイスラエル国は旧約聖書ではカナンの地であり、やがてパレスチナの地としてヤコブとその子孫がこの地を繁栄させた
  ・が、ローマ帝国の侵略によってパレスチナの住民・ユダヤ人が全世界に散らばり、各地で迫害を受けることとなる。
  ・第一次世界大戦後のナチス・ドイツによるものがあまりにも有名であるが、実は2000年も前から迫害され続けてきた歴史がある。
  ・1453年にローマ帝国が滅亡(最後のローマ皇帝はコンスタンティノス11世)すると、神聖ローマ帝国が1806年まで引き継ぐこと
  ・この国家の実態は「ドイツ民族による大小の国家連合体」
    神聖ローマ帝国の正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」
  ・やがて1806年に神聖ローマ帝国が滅亡して「ドイツ帝国」が誕生した。 
  ・ドイツ帝国がその昔ローマ軍に追い出されたパレスチナ人つまりユダヤ人を迫害した理由がよくわかる。

ユダヤ戦争によってローマ軍に制圧されたパレスチナ地区、ローマ帝国滅亡後の1500年頃
  ・大多数はアラブ人により占められた。
  ・アラビア半島全域を支配していたアラブ人は、祖はアブラハムの子・イシュラエムであり祖国はカナン
  ・現在のパレスチナ地区だと思っているから、我が祖国へ・・・ということで戻ってきたのである。
  ・このとき全世界に散らばっていたユダヤ人も、当然のことながら祖はアブラハムの子・ヤコブであり祖国はカナンと思っている。
  ・しかもアラブ人はアブラハムの奴隷の子・イシュラエムではないか!
  ・それに比べて我々ユダヤ人は正妻直系のヤコブ一族の子孫であると信じている
  ・から、パレスチナ地区を我が祖国として戻ってくるのであるが、いかんせん遠い。
  ・世界中に散らばりすぎていたためにアラブ人に先を越されてしまったといえる。
  ・かくして現在のイスラエルのほとんどはアラブ人、ごく少数がユダヤ人となった。
  ・そしてこの状態がなんと第二次世界大戦終結まで続くのである。

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3-イスラム教祖・ムハンマドと聖徳太子

2014年08月24日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

ムハンマド(モハメッド)570-632は、イスラム教の開祖
  ・アラビア半島の中心都市メッカの支配部族・ハーシム家出身である
  ・イスラム教では、ノア・モーゼ・イエスに続く最高の預言者
  ・アラビア半島にイスラム国家を打ち立てた
  ・40歳の頃、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想にふけっていた
  ・ムハンマドは、唯一神・アラー(正しくはヤハウエ)の啓示を受けたことから預言者としての自覚に目覚めたという。
  ・613年頃から、ムハンマドは公然とマッカの人々に教えを説き始める
  ・マッカを支配する有力市民たちに激しい迫害を受けることとなる。
  ・保護者であった伯父や妻ハディージャが亡くなったことで、ムハンマドの布教は窮地に追いやられる
  ・周辺のアラブ遊牧民と同盟を結ぶなどして勢力を拡大した。
  ・バドルの戦い(イスラム教徒はこれを記念してこの9月・ラマダーン月に断食をするようになった)などを経て
    ムハンマドはマッカをイスラムの聖地と定めて異教徒を追放した。
  ・以後、アラビアの大半の部族からイスラムへの改宗の使者が訪れアラビア半島はイスラムによって統一された。
  ・ムハンマドの血筋は、現在まで数多くの家系に分かれて存続しており、サイイドやシャリーフの称号などで呼ばれている。
  ・サイイドはイスラム世界において非常に敬意を払われており、イスラム法学者などがその例である。
  ・現代ではイラン革命の指導者・ホメイニ師やイラン大統領・モハンマド・ハータミーがサイイドの家系である。

話はそれるがムハマンドが生まれた頃、日本では厩戸皇子が生まれている。(574年)厩戸皇子の功績はというと日本に仏教を広めたことである。当時物部氏の押す神教に対して蘇我氏は仏教を広めようとしたため、両者は対立して蘇我・物部戦争が587年に勃発し、物部氏は滅亡する。これを丁未の乱といい、蘇我氏を率いたのが蘇我馬子であり、厩戸皇子であったから厩戸皇子は一躍時の人となった。つまり聖徳太子である。ただし厩戸皇子は天皇家に生まれているから天照大御神を祖とする神教と新たに百済から輸入した仏教の両立を目指した。厩戸皇子が十七条憲法において「和を以て尊しとなす」と冒頭に述べているのは、まさに神仏習合の精神を憲法に反映したものと私は思っている。ところがメソポタミアという文明が世界繁栄したアラビアの地に現れたムハンマドは聖書を全面的に改定して「コーラン」を創った。そしてコーランを教典とするイスラム国家をアラビア半島全土に広げていったが、ここにはユダヤ教との習合などは一切無く、イスラム教の根本は 「他の宗教は完全に排除する」 ということなのである。実はこの他宗教は認めない・・・というのが世界標準であって、日本のように神仏が共存していることのほうが特殊なのをご存知だろうか?かくして織田信長などは日本にキリスト教を広めたくらいだから、外人にはとても理解ができない歴史らしい。。。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教ともに1神教であり、他宗教は認めないというものの、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教のアッラーは「ヤハウエ」である。他宗教は認めないが、神は認める・・ところが難しい。ここで我々はアラーの神という言い方をよく聞くが、これは誤り。アッラーというのはラーともいい、「神様」という意味である。「ドラゴンクエスト」 の特殊アイテムとして登場する「ラーの鏡」は聖なる鏡のことであり、日本で言えば八咫鏡に相当する。

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2-旧約聖書でのパレスチナ 旧約聖書に登場する預言者

2014年08月23日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

現在のイスラエルの地はもともとはパレスチナと呼ばれてヤコブの息子たち12人が部族を作って繁栄していた。つまりユダヤ人である。
 ・ヤコブの祖父・アブラハム(遊牧民の長)がエホバ神の啓示を受けてバビロニアからカナンに移住したのが発端である。
 ・このカナンの地が今のイスラエル
 ・バビロニアというのは現在のイラク
   バビロニアは約4000年前にメソポタミア文明が起こった場所
   チグリス川、ユーフラテス川がトルコを源流にシリアやイラクを通ってペルシャ湾に流れることから繁栄を極めた
   この文明国からカナンにアブラハム率いる遊牧民は移住したのである。
   これが約4000年前の話。それから約2000年後事件は起こった。

第5代皇帝ネロ率いるローマ帝国がカナンの地を侵略(第一次ユダヤ戦争という)した。
 ・マサダ要塞に籠城したユダヤ人も餓死・集団自決によって全滅
 ・ヤコブの子孫・氏族、つまりユダヤ人は追い出されて全世界に散らばってしまった。
 ・紀元後66年のことである。
 ・これによりユダヤ戦争が終結すると、エルサレムにローマの一個軍団(第10軍団)が常駐する。
 ・やがて皇帝ネロが68年に自殺
後のハドリアヌス帝治世下の132年に再び勃発したバル・コクバを指導者とする反乱もローマ帝国により鎮圧
 ・ユダヤ人は死刑と交換条件に改宗を迫られる。
 ・ユダヤ人というとナチスドイツにより第一次世界大戦以降に大量虐殺されたことで、あまりにも知られているが、
   実は2000年以上に渡る迫害の歴史があるのである。
 ・やがて15世紀にローマ帝国が滅亡する。
 ・このときにローマ帝国にかわってパレスチナに侵攻したのがアラブ人である。

アラブ人は、7世紀にムハンマド(5大預言者の一人)によってにイスラム教が開かれ、
 ・中東を中心に拡大した勢力である。
 ・アラブ人のすべてがイスラム教徒との認識があるが、アラブ人の中にもキリスト教徒やユダヤ教徒など他の宗教の信徒がいる。
 ・以来イスラム教の元でイスラム文化は最高潮に達していった
 ・やがて17世紀頃にはヨーロッパで起きた科学革命や産業革命に遅れをとることとなる。
 ・系図でもわかるように、ユダヤがヤコブ系を祖としているのに対して、アラブはイシュマエルを祖としている。
 ・しかし元を辿ればアブラハムなのである。

旧約聖書に登場する預言者とその周辺の人たち
テラ (205歳のときハランで死亡)
 ┃
 ┃エジプト人奴隷のハガル 
 ┃ ┣イシュマエル :サラの子となり137歳で死んだ
 ┃ ┃        ユダヤ人とイスラームは、イシュマエルこそアラブ人の先祖とみなしている
 ┃ ┃
 ┗アブラハム :テラの死後、エホバ神啓示を受け、サライ、ロト、らとパレスチナへ旅立つ。75歳の時 
   ┃     ユダヤ教義 (教典は旧約聖書)ではユダヤ人の祖
   ┃     キリスト教 (教典は新約聖書 
   ┃     イスラム教義(教典はコーラン)ではユダヤ人とアラブ人の祖
   ┃     5大預言者の一人(他の4人はノア、イエス、モーゼ、ムハンマド)
   ┃
   ┣イサク :サラ90歳のときの子で180歳で死去 
  サラ ┃   
     ┃
     ┣ヤコブ:別名はイスラエルといい、イスラエルの民すなわちユダヤ人はみなヤコブの子孫を称する
     ┃ ┃  神の勝者を意味する「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」「エル(神)」 
     ┃ ┃  旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長
     ┃ ┃  4人の妻に12人の息子を設けさせ、これがイスラエル12部族の祖となった
     ┃ ┃  イスラム教の聖典・コーランでは、預言者のひとりとして登場
     ┃ ┃ 
     ┃ ┗ヨセフ コーランでは第12章「ユースフ」に詳しい 
     ┃
     ┣エサウ
    リベカ(パレスチナ出身)

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1-イスラエルとパレスチナの対立 :定義

2014年08月22日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

2014/8/2、わずか一日にしてパレスチナ・ガザ地区で100人が死亡した。
 ・2014年7月以降、ガザ地区では2000人以上が亡くなっている。
 ・イスラエル側とパレスチナ側が72時間停戦をしたにも拘らず、パレスチナ側はこの約束を破った末の結果である。
 ・イスラエルにおける確執が中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争に発展した
イスラエル、パレスチナ、エルサレム、アラブ等々の言葉の定義を知っておかなければならない。
 ・イスラエルは1948年に建国された国
 ・首都はエルサレム
 ・国連はこれを認めていない。
 ・建国前はというと、19世紀末の地区はパレスチナ地区
 ・オスマン帝国領で、アラブ人とユダヤ人、アラブ人キリスト教徒などが住んでいた。
 ・第一次大戦後、オスマン帝国の崩壊でパレスチナ地区はイギリスが支配権を得た。
 ・当初イギリスはアラブ民族支持を表明していたが、一方でユダヤ国家の建設も支持していた
 ・ヨーロッパなどから迫害を受けていたユダヤ人が移民してくる
 ・第二次世界大戦後はヨーロッパやアメリカではホロコースト(ナチスドイツによるユダヤ人殺害)への同情が高まり、
   「ユダヤ人がシオンの地へ向かうことを支持する」 ということになった。
   「シオン」というのは旧約聖書にでてくるパレスチナの地の意味である。
 ・イスラエルというのはユダヤ人が住む地、
 ・パレスチナというのはアラブ人が住む地
 ・イスラエルとパレスチナの対立というのは、ユダヤ人とアラブ人の対立
 ・イスラエルの国内の一部にパレスチナ自治地区があることから両者の対立は続いている。
 ・現在パレスチナ自治地区には二ヶ所あって、「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地区」である。
 ・ガザ地区(もともとはエジプトの領土)をハマス、ヨルダン川西岸地区(もともとヨルダン領土)をファタハが統治
 ・パレスチナ自治政府が二つに分裂している状況にある。
 ・このガザ地区を統治しているハマスというのがイスラム過激派なのである。

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