那覇市街を出て国道58号線(軍用道路1号線と呼ばれていた)を北上すると南北3kmに及ぶ巨大な倉庫群がある。この牧港補給基地はベトナム戦争中にはあらゆる軍需物資を前線部隊に補給していた。戦後はここ牧港基地を管理していた米陸軍第二兵站部隊は解散し現在は海兵隊支援軍が駐留し、那覇軍港に陸揚げされる海兵隊の装備類の整備点検を行っているという。
牧港を過ぎると宜野湾市である。その中心を占めているのが普天間飛行場である。この近くには沖縄戦最大の激戦地となった嘉数高地がある。米軍は沖縄占領と同時に、本土攻略のための滑走路を建設し飛行場として整備した。現在は海兵隊第一海兵航空団36海兵航空軍の基地となっており、100機以上の軍用機が配備されている。当初はB29、B32重爆撃機用の滑走路が建設され、その後何度か拡張されていった。そして長さは2800mとなり、ジェット戦闘機やC5ギャラクシー大型輸送機の離着陸も可能となっている。主に離発着するのは第36海兵航空軍のCH53大型ヘリ、CH46中型ヘリ、UH1多目的輸送ヘリ、AH1攻撃ヘリなどで、全体の80%を占める。これらのヘリは同基地と沖縄本島内の演習場で上陸作戦支援の対地支援攻撃、偵察、などの訓練を日常的に行っている。一方本土の海兵隊の航空基地である岩国基地にはスカイホーク観測攻撃機、ハリアー垂直離着陸攻撃機が駐留しているが、普天間へ飛来するジェット戦闘機部隊は、普天間を航空母艦に見立てて着陸訓練も行っている。
アメリカは沖縄を、ハワイからアフリカまでカバーする太平洋の要石として位置づけ、あらゆる戦闘能力を保有していると強調しているが、普天間のある宜野湾市街は飛行場を取り囲むようにして文教施設や病院などが密集し、日常騒音に悩まされ産業振興の妨げになっており、事故の際には惨事に結びつくことは間違いない。日米両政府は基地問題解決へ努力する姿勢を見せないわけにはいかなくなり、普天間移設を検討しているのである。