民家を呑み込むこの花の正体は、何と
アサガオです。
ここは城南区弓の馬場という商店街のはずれの
家ですが、普通アサガオは垣根とか花壇で見る
ものですが、
ここまで来るとツタかと思うほどです。
写真では左の方切れていますが、左の方へも伸びています。
しかもこの紺色の一種類だけです。
もしかしたら??アサガオじゃないかも・・・
朝顔(あさがお) Pharbitis nil Choisy
ヒルガオ科アサガオ(ファルビティス)属
英名は、morning gloryです。
俳諧では、秋の季語です。
朝顔全体の花言葉は、愛情・はかない恋・平静・固い約束・愛着・愛着の絆・仮装
所縁の日は、6/25・8/1・8/6
朝顔(白)の花言葉は、喜びあふれ
所縁の日は、4/14(誕生花としてOK)
朝顔(白)のもうひとつ花言葉は、固い絆
こちらの所縁の日は、4/12(誕生花としての記述なし)
朝顔(紫)の花言葉は、冷静
所縁の日は、7/27(誕生花としての記述なし)
朝顔(淡紫)の花言葉は、愛情・平静
江戸朝顔の花言葉は、はかない恋
朝顔(あさがお)
中国の昔話「牽牛花」(中国民間文学集成遼寧巻沈陽市巻中)。
昔、金牛山の麓に薪拾いで暮している姉妹がいました。ある日、姉妹は山の洞窟の中から現れた老人に銀のラッパをもらいました。老人は姉妹に言いました。
「これは心の優しいお前達への贈り物ですよ。真夜中にこの洞窟に向かって一度だけ吹くと、洞窟の岩が開くので、中にある100頭の金でできた牛の像を持ってお行きなさい。ただし、ラッパを二度吹いてしまうと、金の牛は命のある普通の牛になってしまうので、ラッパを吹くのは一度だけにしなさい。それと、夜が開けると洞窟の岩が閉じてしまうので、夜が明ける前に洞窟から出るように。」
姉妹は役にたたない金の牛の像ではなく、田畑を耕す牛を村人達に分けてあげたいと考えました。姉妹は村人達に真夜中になったら牛の鼻輪を持って山の洞窟まで来るように伝え、自分達は先に山に登って夜を待ちました。
真夜中になって妹がラッパを吹くと、洞窟の岩が開きました。中には金の牛の像が並んでいました。妹が二度目のラッパを吹くと、金の牛は生きている牛に変わりました。洞窟の岩の隙間は牛一頭がやっと通れるくらいの幅しかなかったので、姉妹は一頭ずつ牛を押し出し、村人達は鼻輪をつけて牛を引っ張りました。ところが、最後の100頭目の牛を押し出し終えたところで夜が明けてしまい、姉妹は洞窟の中に閉じ込められてしまいました。
やがて、洞窟の中の銀のラッパは、ラッパの形をした鮮やかな色の花に変わりました。そして、そのラッパの形をした花は毎朝、陽の光を受けて開くようになりました。村人達は姉妹を偲んでこの花を「牛を牽く花」と呼びました。
千利休の「朝顔の茶会」。
当時、日本ではまだ珍しかった朝顔を手に入れた千利休は、庭に植えて大切に育てていました。ある時、秀吉が利休の朝顔の噂を耳にして、是非見たいと望みました。そこで利休は、秀吉を朝の茶会に招きました。
当日秀吉は、利休の庭を見て不思議に思いました。庭のどこにも朝顔の花がなく、地面にはきれいな小石が敷かれていたからです。
秀吉は茶室に入って初めてその理由がわかりました。そこには、たった一輪の朝顔が見事に活けてあったのです。秀吉は、他の朝顔を全て取り払って、一輪の朝顔に凝集した、利休の茶の湯に対する美意識にとても感心しました。
加賀千代女の「朝顔に 釣瓶(つるべ)取られて もらひ水」という句は有名です。朝顔のつるが一日でそんなに伸びるはずはないという批判もありましたが、女性らしい優しさということで認められました。千代女が男だったら違っていたかもしれませんね。
日本の民話「朝顔と朝寝坊」。
昔、あるところにとても朝寝坊の男がいました。男は、朝顔の花が咲くところを一度見てみたいものだと思っていましたが、起きてみると朝顔はいつも咲いたあとでした。でも、ある日、早起きすることができ、朝顔のつぼみが開くところを見ることができました。ところが、朝顔は開いた途端にしぼんでいきました。男が朝顔に、どうしてすぐにしぼむのか尋ねると、朝顔は答えました。
「あなたが起きているので、もう昼でしょうから。」
中国では、種子を薬用(下剤)にして牛車に引かせて売っていたので「牽牛花(けんぎゅうか)」、花の開くのが瞬間なので「蕣(しゅん)」と書きます。ちなみに「蕣」の文字は「あさがお」で変換できます。
英名モーニング・グローリーは朝の栄光を表します。
属名ファルビティスはギリシャ語のファルベ(色)に由来し、種名ニルは藍色を意味します。
ところで、朝顔って「ヒルガオ科」なんですよね。何か不思議な感じがします。
「花物語」の茶(信陽毛尖)にも朝顔が少しだけ登場するお話があります。
花言葉は、愛情・はかない恋・平静
アサガオです。
ここは城南区弓の馬場という商店街のはずれの
家ですが、普通アサガオは垣根とか花壇で見る
ものですが、
ここまで来るとツタかと思うほどです。
写真では左の方切れていますが、左の方へも伸びています。
しかもこの紺色の一種類だけです。
もしかしたら??アサガオじゃないかも・・・
朝顔(あさがお) Pharbitis nil Choisy
ヒルガオ科アサガオ(ファルビティス)属
英名は、morning gloryです。
俳諧では、秋の季語です。
朝顔全体の花言葉は、愛情・はかない恋・平静・固い約束・愛着・愛着の絆・仮装
所縁の日は、6/25・8/1・8/6
朝顔(白)の花言葉は、喜びあふれ
所縁の日は、4/14(誕生花としてOK)
朝顔(白)のもうひとつ花言葉は、固い絆
こちらの所縁の日は、4/12(誕生花としての記述なし)
朝顔(紫)の花言葉は、冷静
所縁の日は、7/27(誕生花としての記述なし)
朝顔(淡紫)の花言葉は、愛情・平静
江戸朝顔の花言葉は、はかない恋
朝顔(あさがお)
中国の昔話「牽牛花」(中国民間文学集成遼寧巻沈陽市巻中)。
昔、金牛山の麓に薪拾いで暮している姉妹がいました。ある日、姉妹は山の洞窟の中から現れた老人に銀のラッパをもらいました。老人は姉妹に言いました。
「これは心の優しいお前達への贈り物ですよ。真夜中にこの洞窟に向かって一度だけ吹くと、洞窟の岩が開くので、中にある100頭の金でできた牛の像を持ってお行きなさい。ただし、ラッパを二度吹いてしまうと、金の牛は命のある普通の牛になってしまうので、ラッパを吹くのは一度だけにしなさい。それと、夜が開けると洞窟の岩が閉じてしまうので、夜が明ける前に洞窟から出るように。」
姉妹は役にたたない金の牛の像ではなく、田畑を耕す牛を村人達に分けてあげたいと考えました。姉妹は村人達に真夜中になったら牛の鼻輪を持って山の洞窟まで来るように伝え、自分達は先に山に登って夜を待ちました。
真夜中になって妹がラッパを吹くと、洞窟の岩が開きました。中には金の牛の像が並んでいました。妹が二度目のラッパを吹くと、金の牛は生きている牛に変わりました。洞窟の岩の隙間は牛一頭がやっと通れるくらいの幅しかなかったので、姉妹は一頭ずつ牛を押し出し、村人達は鼻輪をつけて牛を引っ張りました。ところが、最後の100頭目の牛を押し出し終えたところで夜が明けてしまい、姉妹は洞窟の中に閉じ込められてしまいました。
やがて、洞窟の中の銀のラッパは、ラッパの形をした鮮やかな色の花に変わりました。そして、そのラッパの形をした花は毎朝、陽の光を受けて開くようになりました。村人達は姉妹を偲んでこの花を「牛を牽く花」と呼びました。
千利休の「朝顔の茶会」。
当時、日本ではまだ珍しかった朝顔を手に入れた千利休は、庭に植えて大切に育てていました。ある時、秀吉が利休の朝顔の噂を耳にして、是非見たいと望みました。そこで利休は、秀吉を朝の茶会に招きました。
当日秀吉は、利休の庭を見て不思議に思いました。庭のどこにも朝顔の花がなく、地面にはきれいな小石が敷かれていたからです。
秀吉は茶室に入って初めてその理由がわかりました。そこには、たった一輪の朝顔が見事に活けてあったのです。秀吉は、他の朝顔を全て取り払って、一輪の朝顔に凝集した、利休の茶の湯に対する美意識にとても感心しました。
加賀千代女の「朝顔に 釣瓶(つるべ)取られて もらひ水」という句は有名です。朝顔のつるが一日でそんなに伸びるはずはないという批判もありましたが、女性らしい優しさということで認められました。千代女が男だったら違っていたかもしれませんね。
日本の民話「朝顔と朝寝坊」。
昔、あるところにとても朝寝坊の男がいました。男は、朝顔の花が咲くところを一度見てみたいものだと思っていましたが、起きてみると朝顔はいつも咲いたあとでした。でも、ある日、早起きすることができ、朝顔のつぼみが開くところを見ることができました。ところが、朝顔は開いた途端にしぼんでいきました。男が朝顔に、どうしてすぐにしぼむのか尋ねると、朝顔は答えました。
「あなたが起きているので、もう昼でしょうから。」
中国では、種子を薬用(下剤)にして牛車に引かせて売っていたので「牽牛花(けんぎゅうか)」、花の開くのが瞬間なので「蕣(しゅん)」と書きます。ちなみに「蕣」の文字は「あさがお」で変換できます。
英名モーニング・グローリーは朝の栄光を表します。
属名ファルビティスはギリシャ語のファルベ(色)に由来し、種名ニルは藍色を意味します。
ところで、朝顔って「ヒルガオ科」なんですよね。何か不思議な感じがします。
「花物語」の茶(信陽毛尖)にも朝顔が少しだけ登場するお話があります。
花言葉は、愛情・はかない恋・平静