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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ オルハン・パムク「イスタンブール 思い出とこの町」

2022年07月15日 | ◇読んだ本の感想。
ジャンルとしては自伝であろうが……むしろ主役はイスタンブール。
こういう焦点のずらし方は珍しいかもしれない。

オルハン・パムクは「わたしの名は紅」「雪」「白い城」「赤い髪の女」と読んで
これが5冊目。
今となっては総じて印象はいいんだけど、読んでる間は相当に修行感があったらしい。
うーん。読み止めにするつもりだったが。迷うな。
この本に書かれていたイスタンブールを覆う「憂愁」について、
この本を読んだ後ならどう感じるかが気になる。


まずそれはそれとして自伝としてのこの本はね。
たしかに幼少期のことをだいぶ書いているという意味では自伝かもしれないが、
実際に何を書いているのかというと、イスタンブールの町そのものについてですな。
著者にとってイスタンブールは何よりも大きな存在だったのだと思われる。
自分がふるさとの町についてこんなに語れるとは全く思わない。

これは本当の町っ子として育った作者の境遇と、
その時期のイスタンブールが、潮の変わり目の後の複雑な状況であったことによる。

この時期のイスタンブールはオスマン帝国の崩壊後。
トルコの歴史には全く詳しくないが、およそ1900年頃から終わりの始まり、
1922年に帝政の廃止。パムクは1952年生まれ。

これはまさに明治維新と引き比べるような出来事だろうとして読んでいた。
その頃の日本文学史にも詳しくないが、するとオルハン・パムクは
永井荷風的な立ち位置だろうか。しかしトルコの状況は日本とはだいぶ違う。

パムクは幼年時代のイスタンブールに漂っていたものを
「憂愁(ヒュズン)」だといった。
そういわれると想像出来る気がする。
華やかだった大帝国の、絢爛たる歴史の残り香。その抜け殻の都市。

が、そうはいっても生まれる50年前、短く見積もっても30年前に
華やかな時期は終わってしまっているわけで、この人がいうほど憂愁は街を
覆っていたのか?という気もする。この人個人の資質である可能性もある。

翻って明治日本における東京の雰囲気を推しはかる。
我々は明治維新によって国の雰囲気はがらりと一変し、ひたすらな西欧化
やがては富国強兵へと進んでいく、純情な、ある意味軽薄な日本しか知らない。
しかし一般庶民の多くの人がそれほど過去の徳川時代を懐かしんでいたのか。

でもトルコでは、約半世紀ほど後にその時を迎えたトルコでは、
おそらくもっと事態は複雑。

パムクの小説でも西欧化についてたびたび言及される。
気になって仕方ないテーマなのだろう。
我々は明治維新を、少なくとも表面上は国内の争いとして経験した。
が、トルコはそれまでの西洋との深い関わり――明暗双方の――がある上に、
オスマン帝国の終幕には西の暴力も大きかった。
これは西欧化の下で育てられたパムクにとっては、
消化しがたいことではなかったか。

数多く入れられた写真が良かった。
家族写真もあれば、風景写真もあり、イラストもあった。
写真自体も良かったし、そのスペースがけっこうなボリュームのこの本を
埋めてくれたのもありがたかった。



イスタンブールの基調音が「憂愁」なら、日本の基調音はなんだろうと考える。
最初に思いついたのは「侘び寂び」だったが、正直、いわれるほど
日本人が全体的に「侘び寂び」の感覚を身につけている気がしていない。
「侘び寂び」は日本美術の基調音とはいえるかもしれないけれど、
日本の、日本人の基調音ではないと思う。

……「懐かしさ」かなあ。ちと座りが悪いが。
実はわたしは「エモい」がけっこうそのものずばりだと思っていて。
ただ、わたしが理解している「エモい」と、実際に流通している「エモい」は
だいぶ乖離しているかもしれず、全てのいわくいいがたい感情を全て同じ言葉で
表そうとする怠惰な言葉かもしれないんだよね。
「ヤバイ」と同じように。

もう全てのことを「ヤバイ」で済ませている世の中である気がするので、
それを考えるとほんとにヤバイと思いますよ。
赤も白も黒も青も黄も全て「ヤバイ」。
エモいも同類の言葉であるのか。

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