数珠を使用する前に
数珠に加持を込める事が重要とされているのは
ヒンドゥー教と密教に共通しており、
チベット仏教における簡易な作法として
数珠を取って 7遍
「オン・ルチナ・マニ・プラヴァルタヤ・ウン。」と誦し、
そして数珠に息吹をふきかける方法があります。
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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2年程前だと思うけど、プライベートで色々あって、
ものすごく疲れたりして軽い鬱状態 のようになっていたことがあった。
もっとも独身、独り暮らしなので生活のため仕事は淡々とこなしてはいたのだけど、
家に帰って独りになるとなんのやる気もおきなくって、
た だソファに寝転がってるだけ。トイレと食事の時にしか立たない様な状態。
自分でもどう にかしたいと思ってたけどどうもそうもいかなく、
そういう日が続いた。
寝ても見る嫌な 夢を見るばかりで、汗びっしょりで夜中に叫び声と一緒に起きたりしてた。
そんな時、ふと気づいたことがあったんだけど、
道ばたで歩いてる時に目をつむっても目 の前が見えるようになってた。
目をあけている状態とちがって、モノクロな感じ。
残像とかではなくって、ちゃんと視界の動きや変化もわかる。
なので目と閉じながら歩いても前から来る人もわかったし、道がどうなってるかわかったので、
10分くらい試してみたこともあった。
日中にやるとさすがに変なので、あまり人目につかない夜などに。
この時は全然変だと思わなくって、そういうものなんだなって自然と思えた。
夜にベッドで目をつむっても目の前見えたり、机にすわっても同じだった。
それからしばらくたってそれがいつのまにかできないことに気づいたんだよね。
あれはなんだったんだろうか。
今となってはそれが変だってことにもさすがにわかってるんだけど
当時はそれが普通だったんだよね。
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車飛ばして10分ぐらいの所に
「安い、だからあまり文句言うな」という感じの蕎麦屋があったんだが、そこがある日
「今日は本気で蕎麦を打ちます」
という貼り紙を玄関に貼っていた。
それを人伝にメールで聞きつけた俺は、
そのメール送ってきた奴ともう一人の計3人でその本気の蕎麦を食いに行く事にした。
そして店に入り注文、出てきた蕎麦を食ったんだが
それがどういうわけか冗談抜きで本当に旨い。
今まで地味に色んな蕎麦の名店とやらに出入りしたりしたけど、そこの蕎麦すらも凌駕するほどに旨い。
「ぼくのかんがえたさいこうのおそば」をそのままリアルに抜き出したような、
そんな人知を超えた旨さだった。
あまりの旨さに蕎麦湯を持ってきた店の人をつかまえて
「こりゃ一体どういうことなんだ?」
と聞いたら店長登場。
言うには
「上手く言えないけど今日はなんかいつもと違う感じがした、今日は旨い蕎麦が作れると思った」
との事。
これからは食いたいときに最高の蕎麦が食えるな、との喜びと満足感を胸にその日は帰途についた。
が、その日の夜のうちにその店主は脳内出血で入院、そのまま退院する事なく死亡してしまい、
結局その店もその日を最後に閉店。今では月極駐車場に。
その破壊的な旨さのお蕎麦は、
「〇〇〇(店名)の奇跡」という一部ローカルな伝説で終わってしまった。