連日30℃を越えている。 「秋探し」も真剣になってきた。「朝・夕のどこかに涼風(すずかぜ)を感じてきたぞ!! ウム…秋?」だなんてぐあいだ。
今朝のテレビニュースで「政府は原発0を目指す検討へ」と報じた。ハッと思った。原子力は燃えに燃えた、あの炎天下のような「夏」は終わり、秋風が吹いてきたのではないかと。
当初から、原子力を安全に制御できる技術を確立できないままに、「アトムの平和利用」の旗のもと、開発が同時進行した。しかし、いまだ人間はその技術を持ちあわせていない。一歩引いて、事故炉だけではなく頭も冷やして、進むべきを道を探ってゆきたいものだ。
絶対に福島の惨禍を繰り返さないために。
2012.8.27 秋の代表的な花「白ギク」の光と影。
「原子力利用は光だけだった、秋は影の部分か?」
撮影日不明だが、会期中撮影 《原子力の平和利用キャンペーン》
上とつぎの写真は原子力の『春の時代』の一端だ。
今は錦町公園になっているが、当時の仙台市レジャーセンターで「原子力平和利用博覧会(ATOM FAIR)」が行われた。いよいよ「原子力」一色の時代に入っていった。
メモによると「(S31)1956.10.14 ~ 11.11 河北新報社主催」とあるが、たしか正力松太郎の名のもとに全国で展開したはずだ。
撮影日S34 《商業ベースの活動はじまる》
できたばかりの東京タワー内の企業展示ブースだ。
写真を拡大してみると「原子力発電の原理模型」で、熱サイクルの解説をしている。当時から日立も原子力に注力していたのがわかる。
こんな仕事に就きたかったなぁー と淡い夢を抱いて見てきた記憶がある。
学帽の中には一杯の・・・ 失礼申しました(笑)
原発に関しての考え方、意見は千差万別、現時点でこれといった正解は無さそうです。
私なりの考えは有りますが、ここでの披露は控える事にします。 またの更新を楽しみにしています。
昭和31年秋、私は9歳。田圃に赤とんぼを追いかけていた頃の懐かしさと共に、・・・紅顔の美少年に乾杯・・・
ユリウス カエサルは言っています。「人は全てが見えるわけだはない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」と。又、こうも言っています。「どれほど悪い結果に終わったことでも、それが始められたそもそもの動機は善意によるものであった。」とも。
つまり、善意の動機にも見たいと欲することしか見えていないと言う、危うさが潜んでいるということです。
正に今は、事故の原因究明と共に、心の在り方の再検証が求められている秋ですね。
原子力はそのとおりですね。問題は大きく広範なだけに、技術開発や民意の集約、政策の模索に相当時間掛かりますね。