10月15日
今日はオヤジの命日です。
何年前になるのか・・数えてないのでわかりませんが。
オヤジの田舎は福島県のいわき市なので地震の事をきっと悲しんでいることでしょう。
毎夏、勿来のおばさんの家に泊まって海で遊びました。
私はきまって兄とけんかして砂浜で追いかけっこをしている姿を
オヤジが8ミリに収めていました。
その時の母の姿は麦わら帽子と水着は来ているもののバスタオルとシャツで
埋め尽くされて、、、今の私より若い時の母です。
それから船橋のヘルスセンターに1か月の間に何度も何度も行きました。
昼寝をしていると姉たちだけで行ってしまうのでおちおち寝てもいられず
でも寝てしまって、起きると母しかいなくて悔しい思いを随分しました。
そこの大滝すべりが大好きだったんです。
滑っては登り、また滑っては登り、水着のお尻が熱くなるほどの勢いで滑ったのを覚えています。
冬の思い出はないのですが、夏は必ず出かけていました。
高速のない時代でしたからガタガタと水戸街道を延々いわきまで走って
途中の牛久?だったと思いますがうなぎが美味しいといつも其処に寄ってお昼を食べていたのを覚えていますが、私はうなぎが嫌いなので食べませんでした。
その時は何を食べさせてもらったのかしら・・・
「おまえは不幸だ」
そう言われました。
私にとっては食べる方が不幸だったので何を言われようとたべれず。
食べれない子にじゃあ、こっちにするか?などど言うオヤジではないので
たぶん何ももらえなかったかも。
そのガタガタ道で必ず車酔いして止まるや否やブホー・・・と。
それも途中で気持ち悪い・・・とかいっても聞く耳持たず。
「窓から吐け」でおしまい。
怖くて強くて、頑固で、話し好きで、
酔うと話が長くなるので姉たちは上手くすり抜けて2階に上がっていましたが
そんなオヤジが一人ではかわいそうでいつも聞いていたのは私だけで。
2階に上がると姉たちにご機嫌取りとけなされたのを覚えています。
オヤジとは一番私がけんかもしましたが一番似ているとも言われました。
(そう言われるのが嫌だったんですが・・)
高校生の頃、兄とけんかをしていたら私が悪いといきなり殴られ
兄がびっくりしてオヤジを止めたことも有りました。
その後、オヤジとは一年以上口をききませんでした。
何度かオヤジが話を私にふってきたことも有りましたがそれも無視。
とうとうオヤジがおれて
私の大好物のエビを「ほら、これうまいぞ」とお皿に入れてくれて
素直に食べた時に久しぶりにオヤジの顔を見ました。
本当はオヤジの笑った顔が大好きなのに
つまらない意地で無駄な時間を過ごしてしまいました。
思い出がつきないです。
嫌いで喧嘩していた時間の方が長かったようなオヤジとの間ですが
今は全部わかります。
小学校の図工の授業で絵を描きに土手にいった時
段ボールに捨てられていた子犬を見つけ、そのまま家に連れて帰って
むくむくしていたのでムクと名付けようとわくわくしていたら
「野良犬だからノラだな」と、勝手にノラと付けてしまい
その時も嫌で嫌で、でもオヤジの言ったことを覆せるのは誰もいないし。
後から知ったのは、ノラは野良ではなくて
外国の小説かドラマの中でかっこいいオヤジが好きだった探偵の名前だったんだって。
そう言ってくれたらよかったのに・・・。
ノラが死んじゃった後、オヤジが連れて来たジローは
オヤジにとって最後の犬になったネ。
私は途中でお嫁に行っちゃったからジローを最後まで面倒見なかったし
娘たちがどんどん嫁いでオヤジはジローだけになっちゃったからかな。
何匹も犬のいない時がなかったくらい飼っていたのに
ジローの死はオヤジにとって堪えたんだと母から聞いた事を覚えています。
今、オヤジの写真とジローの写真を並べて
その前でこれを書いています。
ベレー帽に菊花石のネクタイピン。
土手に座っているジロー。
ふわーとカーテンが風で膨らんでまるで何かが入ってきたかのような夜。
いい夜です。
ゆっくりオヤジと話が出来るそんなお年頃の私になりました。
今日はオヤジの命日です。
何年前になるのか・・数えてないのでわかりませんが。
オヤジの田舎は福島県のいわき市なので地震の事をきっと悲しんでいることでしょう。
毎夏、勿来のおばさんの家に泊まって海で遊びました。
私はきまって兄とけんかして砂浜で追いかけっこをしている姿を
オヤジが8ミリに収めていました。
その時の母の姿は麦わら帽子と水着は来ているもののバスタオルとシャツで
埋め尽くされて、、、今の私より若い時の母です。
それから船橋のヘルスセンターに1か月の間に何度も何度も行きました。
昼寝をしていると姉たちだけで行ってしまうのでおちおち寝てもいられず
でも寝てしまって、起きると母しかいなくて悔しい思いを随分しました。
そこの大滝すべりが大好きだったんです。
滑っては登り、また滑っては登り、水着のお尻が熱くなるほどの勢いで滑ったのを覚えています。
冬の思い出はないのですが、夏は必ず出かけていました。
高速のない時代でしたからガタガタと水戸街道を延々いわきまで走って
途中の牛久?だったと思いますがうなぎが美味しいといつも其処に寄ってお昼を食べていたのを覚えていますが、私はうなぎが嫌いなので食べませんでした。
その時は何を食べさせてもらったのかしら・・・
「おまえは不幸だ」
そう言われました。
私にとっては食べる方が不幸だったので何を言われようとたべれず。
食べれない子にじゃあ、こっちにするか?などど言うオヤジではないので
たぶん何ももらえなかったかも。
そのガタガタ道で必ず車酔いして止まるや否やブホー・・・と。
それも途中で気持ち悪い・・・とかいっても聞く耳持たず。
「窓から吐け」でおしまい。
怖くて強くて、頑固で、話し好きで、
酔うと話が長くなるので姉たちは上手くすり抜けて2階に上がっていましたが
そんなオヤジが一人ではかわいそうでいつも聞いていたのは私だけで。
2階に上がると姉たちにご機嫌取りとけなされたのを覚えています。
オヤジとは一番私がけんかもしましたが一番似ているとも言われました。
(そう言われるのが嫌だったんですが・・)
高校生の頃、兄とけんかをしていたら私が悪いといきなり殴られ
兄がびっくりしてオヤジを止めたことも有りました。
その後、オヤジとは一年以上口をききませんでした。
何度かオヤジが話を私にふってきたことも有りましたがそれも無視。
とうとうオヤジがおれて
私の大好物のエビを「ほら、これうまいぞ」とお皿に入れてくれて
素直に食べた時に久しぶりにオヤジの顔を見ました。
本当はオヤジの笑った顔が大好きなのに
つまらない意地で無駄な時間を過ごしてしまいました。
思い出がつきないです。
嫌いで喧嘩していた時間の方が長かったようなオヤジとの間ですが
今は全部わかります。
小学校の図工の授業で絵を描きに土手にいった時
段ボールに捨てられていた子犬を見つけ、そのまま家に連れて帰って
むくむくしていたのでムクと名付けようとわくわくしていたら
「野良犬だからノラだな」と、勝手にノラと付けてしまい
その時も嫌で嫌で、でもオヤジの言ったことを覆せるのは誰もいないし。
後から知ったのは、ノラは野良ではなくて
外国の小説かドラマの中でかっこいいオヤジが好きだった探偵の名前だったんだって。
そう言ってくれたらよかったのに・・・。
ノラが死んじゃった後、オヤジが連れて来たジローは
オヤジにとって最後の犬になったネ。
私は途中でお嫁に行っちゃったからジローを最後まで面倒見なかったし
娘たちがどんどん嫁いでオヤジはジローだけになっちゃったからかな。
何匹も犬のいない時がなかったくらい飼っていたのに
ジローの死はオヤジにとって堪えたんだと母から聞いた事を覚えています。
今、オヤジの写真とジローの写真を並べて
その前でこれを書いています。
ベレー帽に菊花石のネクタイピン。
土手に座っているジロー。
ふわーとカーテンが風で膨らんでまるで何かが入ってきたかのような夜。
いい夜です。
ゆっくりオヤジと話が出来るそんなお年頃の私になりました。