つばさ

平和な日々が楽しい

「あのやさしいものは 日々 ひとを愛してゆくための ただの疲労であったと」

2012年11月28日 | Weblog
【産経抄】11月27日
 警視庁の宮本邦彦警部が、線路内に入った女性を救おうとして急行電車にはねられ、53歳の生涯を終えたのは、平成19(2007)年2月だった。冷たい雨のなか、100メートルを超える列ができた通夜に、こんなメッセージが届けられた。
 ▼「警察官としてだけではなく、ひとりの人間として『とにかく助けたい』の一心だったと思う。息子と同じ思いだったのでしょう」。その6年前、JR山手線の新大久保駅で、転落した男性を助けようとして亡くなった韓国人留学生、李秀賢さん(当時26)の父親からだった。
 ▼線路内に人が取り残されているのを見つけたら、誰もが、「助けたい」と思う。とはいえ自らの危険を顧みず、救出のために行動を起こせるかどうかは、別問題だ。
 ▼埼玉県本庄市内の踏切で24日午後、線路上にしゃがみこんでいた70歳の男性を見つけたとき、中村のり子さん(60)に、躊躇(ちゅうちょ)はなかったようだ。すぐに遮断機をくぐり、男性を踏切外に出そうとした。電車の運転士が急ブレーキをかけたかいもなく、2人が亡くなる最悪の結果となってしまった。
 ▼宮本警部の殉職後、伝記やテレビドラマを通じて、その生い立ちと人柄が広く世間に紹介された。いっしょに暮らす90代の母親の世話に明け暮れていたという中村さんは、どんな女性だったのだろう。
 ▼詩人の故茨木のり子さんに、「小さな娘が思ったこと」と題した作品がある。あこがれの奥さんの肩には、くちなしの匂いのする靄(もや)のようなものがかかっていた。大人になった娘が気づく。「あのやさしいものは 日々 ひとを愛してゆくための ただの疲労であったと」。中村さんの肩にも、同じ匂いのする靄がかかっていたのではないか。

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