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木浦のオモニ(母) 春秋

2012年09月30日 | Weblog

春秋
2012/9/30付
 韓国南西部の港町、木浦市に「木浦のオモニ(母)」と慕われる日本人がいた。夫の遺志を継いで孤児施設を営み、3000人の子どもたちを育てた田内千鶴子さんがその人だ。生誕100周年の10月31日を中心に、両国で記念行事が開かれ、木浦市長も近く来日する。
▼田内さんは朝鮮総督府に勤める父親とともに7歳の時、日本が統治していた朝鮮半島へ渡った。現地で孤児施設の園長と結婚し、太平洋戦争、朝鮮戦争と続く激動の時期に施設を守り続けた。日本人として初の韓国文化勲章を受け、死去した際には市民葬が営まれる。3万人が会場を埋め、「木浦は泣いた」と報じられた。
▼田内さんの功績をたたえる日韓の有志は、10月31日を「世界孤児の日」とするよう国連に働きかけていくという。だが、残念なことにその国連は、日本と中国、韓国が領土をめぐって火花を散らす舞台となったばかりだ。特に中国は総会の演説で尖閣諸島を「日本が盗んだ」と激しく批判し、日中間で反論の応酬が続いた。
▼領土をめぐる対立のあおりで、中韓との交流事業や修学旅行の中止が相次いでいる。田内さんは日本の敗戦直後にわき起こった激しい反日感情のなか、国家や民族を超え、子どもたちを慈しみ育てた。夫婦をしのんだ孤児施設前の記念碑には、日韓両国語が刻まれている。泉下でいま、田内さんは何を思っているだろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO46718770Q2A930C1MM8000/

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