2011.3.17 00:09 産経ニュース
未曾有の大災害となった東日本大震災で、自衛隊の災害派遣態勢も創設以来の規模となった。その数、現場だけで10万人、後方で物資補給にあたる兵站(へいたん)要員を加えれば約18万人にもなる。菅直人首相(64)の朝令暮改の指示とはいえ、陸海空あわせて約24万人の規模からすれば軍事的な常識も無視して“全軍”を被災地に差し向けた。(梶川浩伸)
現在、陸自は約14万8000人、海自約4万2000人、空自約4万4000人。統幕などが約2200人で、自衛隊は約23万6200人の隊員を抱える。これだけいれば10万人の投入は問題ないと思うのは早計だ。ある防衛省関係者は10万人と聞いて仰天した。防衛面をおろそかにできないし、九州の新燃岳の噴火、新潟・長野の地震もある。常識で考えれば長期間はとても張り付けられない人数だ」と話す。
通常、外征軍(他国の領域で作戦をする軍隊)が最前線に回せる兵員は総兵力の10~20%とされる。残りは補給、整備、給食などの後方支援、すなわち兵站任務に就いたり、前線への交代要員として待機・訓練などをしている。そうして最前線部隊をローテーションしないと戦闘行動を続けることができない。
そして「災害救助でも要員のやりくりは基本的に同じだ」と軍事評論家。米軍の例でみると、陸軍は現役約110万(うち予備役約21万)、海軍約43万(同約10万)、海兵隊約24万(同約4万)、空軍約71万(7万)、沿岸警備隊約9万(同約1万)。総計で約248万人。
イラク戦争の侵攻時、米軍は約28万人を投入した。総兵力の約11%だ。そして占領後は最大約17万1000人(2007年時点)が駐留した。これは総兵力の6・9%にすぎない。それでも長期駐留のために本来必要な交代・休養・訓練のローテーションの維持がままならなくなって、州兵や予備役が根こそぎ動員され、複数回派遣された例も多い。
今回の自衛隊の派遣規模10万人は全隊員の約42%、兵站要員も含めると約18万人、なんと約75%にものぼる。海自の艦艇を見ても派遣58隻中、護衛艦は約18隻(3月16日時点)。護衛艦は全部で52隻あり、通常、約4分の1はドックで整備中だから、錬成中も含め稼働可能な艦の半分が投入となった。
「あえて言えば、国内がフィールドなので補給線も短く負担は減る。後先考えず、1週間ぐらいなら隊員の体力も何とかなるかもしれない。あくまで短期決戦だ」と軍事評論家。そして海自は多少は“やりくり”がしやすい。海自幹部は「艦艇は3直(1日3交代)なので、ある程度はなんとかなる。航海に出れば数カ月に及ぶこともあるから、1カ月や2カ月なら大丈夫」と話す。
それにしてもこの「10万人」は、菅首相の思いつきで出てきた形跡がある。菅首相は12日に派遣規模を2万人から5万人に拡大すると表明。それが13日夜になって10万人へと倍増させた。増員について官邸から防衛省に打診はなかったという。
常識をも越えた災害だけにムリとも思える注文を何とかしようと、防衛省は3月16日、予備自衛官と即応予備自衛官に招集命令を発した。動員は約6400人。実際の活動に従事させるのは初めてで、文字通り全勢力を投入する。派遣人数も13日午前6時時点での約2万人が、16日午後0時には約7万6000人へと急速に増やして、即応能力の高さをみせた。
ある自衛隊高級幹部は「われわれはやれと言われれば全力を尽くす。それが自衛官の務め」と淡々と語る。被災者の頼みの綱は自衛隊、警察、消防、海保だ。全国民が祈るような気持ちで1人でも多くの被災者救出や支援を期待している。防衛大学の生みの親、吉田茂元首相は1957年2月、第1回卒業式で次のような訓示をした。
「在職中、国民から感謝されることなく自衛隊を終わるかもしれない。非難とか誹謗(ひぼう)ばかりの一生かもしれない。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときなのだ。言葉をかえれば、君たちが『日陰者』であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい」
今、そのときが来た。