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赤坂プリンス、来年3月末閉館 新館は取り壊しへ

2010年04月29日 09時45分33秒 | 旅行・ホテル
懐かしい、何回も行ったこと(裏口)があるので残念。

グランドプリンスホテル赤坂
http://www.princehotels.co.jp/akasaka/
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E8%B5%A4%E5%9D%82
グランドプリンスホテル赤坂 営業終了について
http://www.princehotels.co.jp/20100428.html

プリンスホテル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB


「赤プリ」の愛称で親しまれてきた西武グループの「グランドプリンスホテル赤坂」(東京都千代田区)が、老朽化などを理由に来年3月末で閉館することが分かった。最も古い旧館は残すが、建築家の丹下健三氏(故人)が設計した40階建ての新館などは取り壊す方向だ。跡地の利用は未定だが、都心を象徴する建物の一つが姿を消すことになる。

 1955年に「赤坂プリンスホテル」として開業し、2007年に改名した。広さ約3万4千平方メートルの敷地に、新館、別館、コンベンションセンター「五色」などがある。人気の高級ホテルだったが、近年は外資系高級ホテルの東京進出などで競争が激しくなった。01年に改装するなどてこ入れを図ったが、宿泊客はなかなか増えず、価格も下げたため利益が出にくくなり、営業終了を決めたとみられる。

 昭和初期に建てられ、旧朝鮮王室の邸宅として使われていた旧館は、歴史的建造物として保存する方向だ。土地は売却せず、周辺の地権者らとも協議しながら、新たな高級ホテルやオフィスビル、商業施設などの再開発を目指すとみられる。

 グランドプリンスホテル赤坂は改名前の赤坂プリンスホテル時代から「赤プリ」と呼ばれ、バブル期には若者らのあこがれのホテルとして人気を集めた。芸能人やスポーツ選手の結婚式などにもしばしば使われた。また、旧館に自民党町村派(清和政策研究会)の事務所があるほか、政界の重要会合の舞台にもなってきた。(鳴澤大)

2010年4月28日、asahi.com

新潟美少女図鑑は「新潟に美少女を増やそう」というコンセプトで作られた街のリアルな写真集です。

2010年04月29日 00時08分28秒 | 魚沼、中越、新潟の話題
2002年(平成14年)11月に新潟市にある広告企画会社のテクスファームが『新潟美少女図鑑』を創刊した。
http://www.bishoujo-zukan.jp/niigata/
ブログ
http://bishoujomodel.blog77.fc2.com/
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%B0%91%E5%A5%B3%E5%9B%B3%E9%91%91_(%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC)

去る2月27日、あるフリーペーパーが埼玉県浦和区で配布され、配布前から行列ができるほどの人気を博した。

 そのフリーペーパーとは、『サイタマ美少女図鑑』

。埼玉県在住の「普通の女の子たち」を紹介するもので、埼玉県内の商業施設などで配布されている。配布イベントには、開始前から行列ができ、用意された500部が10分程度でなくなったという。

 この人気ぶりを、「何をいまさら」と思われた読者の方もいらっしゃるだろう。そうした方々の多くは、東京都以外の地方都市を主要生活圏にされている方なのではないだろうか? 

 そう、実はこの『美少女図鑑』、「地方にはあって東京にはないもの」なのだ。しかも、ある特定の地方にのみではなく、東京都以外の全ての道府県に存在する。メディアの発信地が東京に集中してきた状況を考えると、極めてユニークな特徴を持っていると言えるだろう。

 『美少女図鑑』の発祥は、新潟県である。2002年に新潟の広告会社・テクスファームが地元の服飾店や美容室などを広告主とし、地元の読者モデルやカメラマン・美容師などのスタッフを起用して、『新潟美少女図鑑』を発行した。

 骨子としては、地方タウン誌などの「ストリートスナップ」的なものだが、それまでにはない「魅せる構成」がなされていたことなどから、徐々に人気が拡大。発行部数・回数も少なく、新潟県限定という「レア感」が人気に拍車をかけ、「幻のフリーペーパー」と称されるようになった。

 テクスファームは、04年には沖縄にグループ会社を設立し、05年に『沖縄美少女図鑑』を発行、そして06年には『美少女図鑑』を商標登録し、08年よりライセンス契約企業の募集を開始した。

 現在では、全国47都道府県で『○○美少女図鑑』が発行されているのだが、このライセンス契約企業の募集が「東京以外」で行なわれているため、「地方にはあって東京にはない」という特徴が付与されたわけだ。

『美少女図鑑』の成功モデルは、「雑誌」という紙媒体の生き残りモデルの1つを示しているように思える。全国誌(ナショナル・メディア)は、長引く不況やメディアの多様化などによる広告収入の減少に喘いでいる。

 メディアビジネスの多くは、BtoCの「販売収入モデル」ではなく、BtoBの「広告収入モデル」であり、広告収入の減少がビジネスにとってクリティカルな大打撃になることは、周知の事実。

 こうした状況を乗り切る1つの戦略は、ダウンサイジングだ。すなわち、マスではなくセグメントされたターゲットを狙って流通コストを下げると共に、制作をその範囲内で行なうことで制作コストも下げるという「シフトチェンジ」に他ならない。

 その最もわかり易いモデルが、『美少女図鑑』に見られるような「ナショナルからローカルへ」というトレンドだろう。

 こうしたモデルの成功の背景には、ユーザーの内向き志向や地元回帰といった志向があるのは言うまでもないが、メディアビジネスを支える広告主の関心を引きつけたことも大きい。ある程度ニーズが顕在化されている層に購入を促せるという、「直接的な効果」が期待できるからだ。

 広告主にとって、こうした効果は情報の到達範囲が狭まることを補ってあまりある魅力だろう。

「ナショナル」(全国区であること)を捨てることは、「マス・メディアであることを捨てる」ということだ。『美少女図鑑』の成功は、紙媒体が紙媒体として生き残るために、フリー化に続いてこのようなビジネスモデルの選択を検討せざるを得ないことを、示唆している。

(梅村千恵)
ダイヤモンド・オンライン3月19日(金)より