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気ままな毎日

書くことは嫌いなのに、記憶力が・・
私の勘違いや妄想もあると思います。内容は保証できませんので、悪しからず。

九品寺(くほんじ)に彼岸花を見に行きました

2023年10月02日 08時58分28秒 | ハイキング

彼岸のころには、彼岸花を見に行くことが多いです。

 昔の人は、彼岸花は、見る花ではないと言ったみたいです。縁起が悪いとかいったみたいです。でも、写真の先生が、彼岸花が好きなようだったので、この時期には、私は、彼岸花を見に行くことが多いです。

この辺りでは、一言主神社とか九品寺が有名みたいです。車で国道309号線を行けば、割と簡単に行けます。水越峠から金剛山に行くのと同じような感覚で行けます。

でも水越トンネルは、通るのが嫌になります。水越トンネル前後の制限速度は40㎞/hみたいです。

40km/hでゆっくり走っていると煽られると思います。煽られない程度に速く走ると、対向車が気になります。水越トンネルには、中央分離帯の代わりのポールがあるだけです。


ストリートビューを見ると、両側に一段高くなった歩道があるように見えます。通ろうと考えたこともありませんが、水越トンネルは人が通れるみたいです。自動車専用道路や高速道路なら人は通れませんが、そのうちに中央分離帯の工事がおこなわれると思います。それがないのでしたら、これからは、旧の309号線を通ろうかなあ?

中央分離帯がない高速道路を走るときの注意点というのがJAFにありました。
 会計検査院の調査によると、暫定2車線道路は全国に約2424kmあり、そのうち7割に当たる約1752kmは樹脂製のポールや縁石ブロックで簡易的に車線を区切っただけの対面通行になっているそうです(2015年度末現在)。2005年から2014年までの10年間に、こうした区間で走行中の車両が対向車線へはみ出した(飛び出した)事故は2208件発生しました。このうち人身事故は677件で、119人が死亡、1281人が負傷しています。このなかで相手が前方不注意により反対車線に突破して対向車と正面衝突した「もらい事故」で死亡したのは28人になるそうです。

九品寺の駐車場に着きました。駐車場には「彼岸ですので、墓参の方以外は止めないでください。」とか書かれていました。

ちょっといつもと違うように思いました。

駐車場は、空いていたので、駐車しました。お賽銭には、いつもは10円ですが、九品寺ではいつも、駐車場代も含めたつもりで、多めにあげています。

九品寺の横の空き地の彼岸花が、有名と思います。

その空き地の彼岸花はきれいに刈られていました。

それから、一言主神社も行きました。一言主神社の前の田んぼの一部でも、彼岸花をきれいに刈られているように見えました。



帰ってから、九品寺 彼岸花を検索すると、こんなのもありました。
他のブログは、どこがきれいとかいう話ばかりでした。

注意点として書かれていたのは、 

御所市によると2023年は彼岸花を刈り取るなどして、見れなくするそうです。刈られた後に行ったみたいです。
見に来る方のマナー違反や近隣住民とのトラブルが原因とのことです。
早朝に撮影に来る人が多いそうで、それで九品寺の近隣の人とトラブルになるみたいです。


彼岸花の時期ではないときに、九品寺や一言主神社に行ったことがあります。
静かな場所でした。

実際は、知りませんが、彼岸花の咲く時期は1~2週間と思います?

多くの人は、この時期におとずれると思います。それは、大変なように思います。

九品寺の空き地の彼岸花は地域の人が育てていたようです。

空き地に行くと、私などは花を踏まないか注意しますが、写真を撮る人は、撮る場所を気にしているだけで?、花の上を踏もうと関係ないという人も見かけます。そんな人に限って写真もうまいので、周りの人も何も言えない?ということが起こります。

また、花の写真を撮るなら、背景に山があるのが良いようです。
山が背景に映っていて、花があるとよい写真だと決める人が多いみたいです。

また、いつも思うことですが、写真では、前景がある写真が好まれると思います。
わかっていたら、そうしたら良いのにと思いますが、最初は気が付きませんでした。気が付いたときは、好みの写真があるので、そういう風には撮れませんでした。単なるいいわけです。

九品時の空き地では、手前に彼岸花の群落があり、その向こうに、大和三山が見えます。朝なら、雲海まで見えることがあるようです。

それで、ブログによれば、一晩中、車を止めて、場所取りをしているそうです。
暇なので、話ぐらいすると思いますが、近所の家が困るそうです。

結局、無料の駐車場は、2022年から夜間閉鎖したみたいです。

これからは、九品寺とかに彼岸花の季節には行かないようにしよう。


別の日に施福寺に行きました。
西国四番札所の槇尾山施福寺です。
今まで無料だったのに、入山料として一人500円集められました。
人がいて徴収しているみたいです。
そんなにたくさん行く人がいるわけではなく、収支が合うのか心配になりました。

でも山道は、崩れることがあって、補修が大変なようです。
いろいろ山道の整備について書かれたのがあります。

ニュースを見るとオーバーツーリズム対策があちこちで行われているみたいです。


これらもオーバーツーリズム対策というのでしょうか?








千早への道

2023年05月15日 08時53分24秒 | ハイキング
自宅から車で金剛山に行くときは、狭山池の南を通って、エコールロゼの手前で、右折して国道309に入ります。そのまま国道309を通って水越峠まで行くこともありますが、神山南交差点で右折して、さらに森屋で右折して、千早に行くこともあります。
千早を通りこして、百ヶ辻(もがつじ) まで行き、文殊尾根や寺谷、シルバーコースを行くこともあります。

そう言えば、金剛山登山道情報−メインを見ると、金剛山ロープウェイ前バス停からのハイキングコース としては、伏見峠ルート、久留野峠ルートと、五条林道は、不明と書いてあるだけです。
立ち入り禁止ルートは、紹介していませんとありました。

文殊尾根ルート、寺谷ルート、シルバーコースは、ありませんでした。
つまり、これらは、立ち入り禁止ルートなのでしょうか?

金剛山は、地主と登山愛好家が揉めているように以前に聞きました。
私が関心がある水分道でも、金剛山登山道情報には、違う道を行って、地主に見つかれば、叱責されるとありました。この年になって、理由もなく叱責を受けるのは、あまり好きではありません。

はっきりとは言いにくいこともあるとは思いますが、金剛山のように、勝手道?がたくさんできているところでは、明確に言った方が良いと私は思いました。

また、河内長野駅から、バスで行く道を通って、車で行くこともあります。
国道310を河内長野市の七つ辻まで行き、河内長野駅を迂回して、観心寺の前を通って、小深バス停のところで、府道214に左折します。新千早トンネルを超えると、府道705になるみたいです。

大阪府道214号は、河内長野千早城跡線(おおさかふどう214ごう かわちながのちはやじょうあとせん)というみたいで、大阪府河内長野市三日市町付近から東へ向かい、南河内郡千早赤阪村の山間に至る一般府道であるとwikipediaに書いてありました。

7.3kmしかないようで、起点は、河内長野市西片添町(片添町交差点)で、終点は、南河内郡千早赤阪村大字千早(大阪府道・奈良県道705号富田林五條線交点)だそうです。片添町交差点がどこか?わかりませんでしたが、三日市から新千早トンネルを出たところまでみたいです。

一方、府道705は、大阪府道・奈良県道705号富田林五條線(おおさかふどう・ならけんどう705ごう とんだばやしごじょうせん)は、大阪府富田林市から奈良県五條市に至る一般府県道であるとwikipediaに書いてありました。
起点は、大阪府富田林市若松町 (本町北交差点)終点は、奈良県五條市三在町 (三在町北交差点)だそうです。

大阪府南河内郡千早赤阪村千早・奈良県五條市久留野町 間は不通区間だそうです。

国道310は混雑していることが多いので、それを避けて滝谷不動の前の道を通って、西楽寺前の交差点に行き、そこから森屋に行くこともありました。森屋は、比較的、人が多いし、歩道はないので、そこを走るのは、嫌でした。

滝谷不動に行く道は、国道310を横切るだけです。

気になって、泉が丘駅からマツマサの駐車場に行く道をgoogleマップで調べました。
一つは、国道309を使う道です。
そう一つは、国道310から河内長野駅を迂回して、バス道を行く方法です。

3つ目は、府道38を利用して、滝谷不動に行く道です。
そう言えば、こんなのも書きました。
書いたときに、この道も行けそうだと気づけばよかったのですが、気づきませんでした。

国道310を松ヶ丘中町で左折して、そのまま直進して、旧の国道170に入って、錦織(高橋)で右折する方法です。滝谷不動の前を通ります。さらに、西楽寺前まで行かないで、サパーファームの方に回って、消防署のところに出てくるみたいです。消防署のところからは、バイパスにもすぐ入れるようです。森屋を通らなくても良いので、その点でも、気楽に走れます。繰り返しますが、歩道がない道を走るのは、歩行者に気を使います。

なぜ、千早への道に興味を持ったかというと、図書館で、尾田年弘、尾田正行共著の河内(かわのうちとフリガナを振っていました)の古道というのを見つけました。
河内の古道には、「高野への道」と「千劔破(ちはやとフリガナがありました)への道」があるようです。それとは別に、大和の古道もありました。

書いたのは高校の先生のようですが、定年になり、カメラ片手に、昔の道を歩いていると書かれていました。本も出版されたのだと思います。図書館にありました。

「千劔破への道」の最初には地図がついていました。

金剛山道という道は、滝谷不動から森屋を通って、セトから金剛山に行く道のようです。たぶん、最近話題になっている?赤坂古道という登山道を使ったようです。

金剛山千早赤阪倶楽部というところが、ボランティアとして、赤坂古道を整備されているようです。(赤阪と赤坂があり、ややこしいです。歴史的なものがあり、こうなったと推測しました)
地図もありました。
3つルートがあり、桐山・二河原辺(にからべと読むそうです。歴史ある地域は、漢字の読みが、むずかしいです)道と二河原辺・水分(すいぶんです)道それと足谷林道がありました。
二河原辺・水分道が、もともと金剛山のお参り道だと書いてありました。
江戸時代になれば、金剛山に寄って高野山に行かれたのだと思います。人によっては、最終の目的地は伊勢かな?

住んでいる地域で、コースが決まっていたのでしょうか?金剛山脈は難所みたいですが、竹ノ内街道、平岩峠、水越峠、千早峠、紀見峠、滝畑とかが金剛山脈を超えるところだったのでしょう?

有名な神社仏閣を順にまわっていたようで、河内の古道では、高野街道、あまの街道は、今も有名です。不動妙見道や上神谷(にわだにと読むそうです)街道もありました。堺市霊園に歩いて行くとき、上神谷妙見のそばを通るので、知っていました。

元に戻ると、二河原辺・水分道は、もともと町石道になっていたそうで、金剛山千早赤阪倶楽部では、町石も管理されているようでした。

金剛山登山道情報にも、水分道として書かれていましたが、たぶん、二河原辺・水分道と同じ道だと思います。でも、確認していません。

桐山・二河原辺道は、楠木正成が鎌倉幕府と争ったときに、城塞群で防いだようですが、その城塞群を見学できる道のように赤坂古道の説明には、書いてありました。


一方、「千劔破への道」には、千早街道という道もありました。富田林から森屋を通って、千早、千早城址を通りますが、千早峠を通って五条に行く道のようです。

「千劔破への道」では、寛弘寺(かんこうじと読むそうです)の名前が良く出てきます。千早街道の要所だったと思います。

寛弘寺というのは、googleマップでは、見つかりませんでした。
寛弘寺は、河南町の地区の名前になっているみたいです。また寛弘寺古墳公園ができていますし、寛弘寺というバス停も残っているようです。

「千劔破への道」p4に寛弘寺の辻という写真が紹介されています。今の景色をストルートビューから抜き出しました。

説では、右は千早街道、左は、国道309号とありました。
左は、国道309号ではなく、府道705です。富田林から金剛山に行くバスのバス停があります。

だいたい、昔の道は、登山道と同じで、川沿いや谷、尾根を行く場合が多いと思っていました。
高野街道は、近くに幹線道路がありました。あまの街道は、近くに幹線道路がありません。

車が通りやすいように道を変えているのでしょうか?

千早街道は、大阪府道705のように見えます。
千早や、千早城址の横を通ります。

千早峠は、五条林道やダイヤモンドトレールからしか行けないようです。

城址との位置関係から、千早街道は、府道705とは別のルート?

千早街道には、千早古道という道が合流してきます。

youtubeで時々見ている、へっぽこ登山というグループが、千早古道を歩いたようです。千早古道を調べると、いろいろ出てきました。

明日から、近大病院に入院します。
退院しても、急に山道は歩けないみたいですが、ハイキングコースならたくさんあるみたいです。













陶器山はどこにあるのでしょうか?

2023年03月12日 22時55分04秒 | ハイキング
こういう記事を見つけました。



泉北ニュータウンに住んでいると陶器山はなじみの深い山です。

隣の狭山ニュータウンには、陶器山通りという愛称がついた通りがあります。

陶器山トンネルも有名です。
ここは、抜け道として使われているようにもみえます。

あまの街道のことを陶器山遊歩道とか言う人もいます。
我が家でも、あまの街道に行くと言わずに、陶器山に行こうかと言っていました。

陶器山の位置はとっても気になります。

今は、通行止めとなっていますが、岩室高地配水場の周りを通る道には、確か、陶器山と書いた看板がぶら下がっていました。

見に行きました。


立ち入り禁止という看板の手前から撮った写真です。
印のところが、山頂の看板だと思います。
立ち入り禁止という看板も一緒に撮れば、雰囲気のある写真になったと私は思っています。私が写真が下手なのは、そんなところも影響しているように思います。ボヤキでした。

実は、立ち入り禁止のところから入ってはいけないと思うのですが、特に看板のところまでは危険なところもないようなので、そっと入ってみました。

看板がありました。
SMSでやってはいけないということをやってしまうのは、同じような感覚なのでしょうね?

YAMAPの活動日記を書いた人も、この看板を確認したみたいでした。

googleマップには、陶器山という表示はありません。
でも、陶器山で検索すると、


このように表示されます。たぶん、看板の位置より奥まったところにあるみたいです。




一方、YAMAPの堺市の地図では、上記のようにあらわされています。

今までの地図では、あまの街道の西側にありましたが、陶器山は、YAMAPでは、あまの街道の東側です。
陶器山というのは、山の名前ではなく、地区の名前かも。山頂の印もあるみたいですが?

Mapionでは、googleマップで検索した時と同じような位置ですが、陶器山で検索すると、東側に表示されます。

国土地理院の地図も見ることができます。

ここも、陶器山というのは、今熊五丁目、今熊六丁目と同じく地区の名前かも?
実は、あまの街道の部分は、後で掘って切通しにしたように見えます。


堺市に e-地図帳というサイトがあるみたいです。

いろいろ地図が載っています。

施設・観光情報という地図です。
陶器山は、あまの街道の西側にありました。

一方、上水道参考情報には、


縞模様は等高線だとみると、あまの街道の西側より東側の方が高いようです。

泉北ニュータウンができてから住み始めたのですが、陶器山は、現在の看板があるあまの街道の西側にあったのかと推測しました。

岩室高地配水場を作るにあたって、山を削って低くした?

もともとあまの街道を整備するときに、山を削ったように見えます。
実際のところは知りません。

この辺りは、配水場が多いみたいです。
岩室高地配水場、岩室配水場、晴美台配水場があります。


大阪府立堺東高校を挟んで、晴美台配水場と岩室配水場は、隣同士?

詳しくは、堺市上下水道局の説明を見てもらうとして、

水は自然落下方式で、配るみたいです。
だから、どうしても配水場は高い位置に作る必要があるみたいです。
岩室浄水場は、今は岩室配水場だと思いますが、堺市でもっとも高い位置にある配水場ですと書いてありました。
岩室高地配水場の横を階段で上がり、振り返ると大阪湾が見えます。

そういえば、大阪狭山市の配水場も、近くにあったと思います。

堺市で、陶器山は、高いと有名だったのだと思います。だから配水場がたくさんできた。

結局、陶器山の山頂はどこにあるのかわからなくなりました。


金剛山でも、一般的に山頂の言われるところは、国見城址だと言われています。
最高地点は、葛城神社の神域で、一般の人は立ち入り禁止だと言われています。

あまの街道の東側の陶器山を公園として整備して、陶器山山頂と看板を掲げたら、山頂として、多くの人が通るように思います。

どうでしょうか?





初もうでに三都神社に行きました。

2023年01月07日 12時19分10秒 | ハイキング
例年の初詣は、車で多治速比売神社 に行くことが多いです。
荒山公園の梅を見るときには、歩いていくことが多いのですが、多治速比売神社の初詣には、車で行くことが多いです。
今年の初詣には、歩いて、三都神社に行きました。
帝塚山泉ヶ丘キャンパスの裏手から、あまの街道にあがり、そのままあまの街道を横切れば三都神社に着きます。

あまの街道も、三都神社に行く道も、三都神社も、いつもよりたくさんの人がいました。
本殿の参拝にも、ほんの少しですが並びました。

三都神社は、不思議な名前だと思います。三都の由来を調べようとしました。

大阪には、摂河泉(せっかせん)という言葉があるそうです。摂津、河内、和泉だそうです。三都ではないでしょうが、似たような名前です。ここから三都神社と呼ばれるようになったという説明をした記事もありました。

でも、摂河泉で調べると、東大阪市方面にいろいろあるようです。

また、摂河泉の境界は、三国ヶ丘というのが定説です?

さらに調べると、以前に三都村にあったので、三都神社というのではないかという説がありました。
wikipediaで調べても、三都村はありました。でも三都村の由来は書いてありませんでした。

一方、三都をwikipediaで調べると、三都は、江戸時代に使用されていた日本三大都市を指す名称。 すなわち、京・大坂・江戸のこと。とありました。


Googleマップで三都を検索すると、三都という名前の企業だけでなく三都神社、三都の石舞台というのがありました。

そこで、三都の石舞台を見に行きました。
よくわかりませんが、個人が作られたような雰囲気でした。

コーナンの方に行こうとして、ついでに、天野街道追分を見ました。以前から知っていました。

追分は、 道が二つに分かれる場所をさす言葉 だそうです。
どこでも使えるわけでなく、たぶん街道が分かれるところみたいです。
天野街道追分は、西高野街道から天野街道が分かれるところです。

高野街道は、京・大坂から高野山への参詣道として用いられた街道で、主に大阪府河内長野市から和歌山県橋本市の間を指す、ようです。
河内長野に行くには、出発地によって東高野街道、中高野街道、下高野街道、西高野街道があったようです。
橋本市からは、高野山に上がる道は、ヤマスタを見ると、町石道(ちょういしみち)、京大阪道、黒河道(くろこみち)があるようですが、wikipediaには、三谷坂というのがありました。三谷坂は、町石道のバリエーションルートでしょうか?

天野街道追分のgoogleマップでの位置は、道が2つに分かれた近くですが、西高野街道に面しているようなので、位置を修正しようとしました。
でも、うまくいきませんでした。

いろいろ遊んでいます。

枚岡神社から、生駒山上に行く摂河泉展望コースというのがあるそうです。
近くばかり歩いていますが、摂河泉展望コースでも行こうかな。




龍田古道を歩きました

2022年11月25日 17時38分17秒 | ハイキング
日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推進協議会というところが、龍田古道グルっとさんぽ スタンプラリーというのを企画されたみたいです。実際は近鉄信貴山下駅とJR河内堅上駅の間を歩きました。11月23日にありました。

土木の日企画とありましたし、ポスターは、柏原市のサイトのイベントのところで見ましたので、実際は誰が企画されたのか、私にはわかりません。
予約不要、入退場自由、参加無料とあったので、ちょっと遠いですが、亀の瀬に興味があったので、行く気になりました。

土木の日についてしらべてみると、11月18日が土木の日だそうです。
11月18日から11月24日までの1週間を「くらしと土木の週間」として、土木学会本部・全国8支部では、一般の人を対象とした各種イベント、活動を展開しているそうです。

ちなみに土木の日を決めた趣旨については土木学会が書かれたものをコピペします。

現在では、世界屈指の経済的豊かさを持つに至っていますが、道路、上下水道、住宅、公園、街づくりなど、社会資本の整備、蓄積につきましては、欧米先進国に比べ格段に立遅れているのが実情であります。(そうなんや!私は、知らなかった)

 社会資本の重要性に対する国民の理解と認識が私ども土木界に身を置く者を含めて、必ずしも十分でなかったことも否めないところであります。 

50年後、100年後に向けて、国民生活におけるアメニティーの向上、安全の確保、文化・福祉の促進に努力するとともに、豊かで、質の高い国土および生活空間づくりの推進が、私どもに課せられた重要な使命であると考えます。

土木技術および土木事業に対する認識とご理解を深めていただき、社会資本整備の意義と重要性について幅広いコンセンサスを形成していくことが不可欠であると存じます。

 これを具体的に進める第一歩として、土木学会は関係諸官庁および諸団体の御支援を得て、11月18日を「土木の日」と定め、続く本会の創立記念日である11月24日までの一週間を「くらしと土木の週間」として、この趣旨にふさわしい各種イベントを含めた特色ある活動を展開していくことにしております。

だそうです。

「くらしと土木の週間」に。亀の瀬を社会資本整備の観点から、周知しようということだと理解しました?

アメニティという聞きなれない言葉が出てきました。
ホテル、旅館でもらえるのはアメニティグッズというそうで、アメニティは、住み心地の良さ、居住性のよさを表す概念だそうです。wikipediaからコピペしました。

亀の瀬について、社会資本整備という観点から、一般の人に周知するのは、必要なことのようにも思います。

でも、亀の瀬と龍田古道の関係は、どう説明されるのでしょうか?


龍田古道については、申し訳ないのですが、私は、聞いたことはありません。
以前から、亀の瀬については、知っていて、見に行きたいと思っていましたので、行きました。


事前に、どんなコースを歩くのか調べたいと思って、「龍田古道マップ」で検索しました。

日本遺産 龍田古道・亀の瀬ウォーキングマップというのが見つかりました。


龍田古道・亀の瀬についてまとめてあるkamenose.jpからマップを見つけようとしましたが、見つかりませんでした。
私の探し方が悪いのかも?と思いますが、マップは簡単に見つかるようにしていただかないと使えません。

でも、近鉄信貴山下駅でいただいた資料の中に、このマップが入っていました。

登山する人はヤマレコというサイトをご存じだと思います。そこには、龍田古道・亀の瀬 全5コース一筆書き歩きをしたという記録がありました。そこでは、このマップは柏原駅にはなく、柏原市役所の担当部署までもらいに行ったそうです。

私は、山に行くときは、マップがないと行きません。スマホのアプリでYAMAPというのがあります。そこに地図があれば、私は行きます。
でも、三室山の登山道は書いてありましたが、龍田古道については、書いてありませんでした。でも、案内とかの資料はくれるだろうと行きました。

スマホが壊れたら地図が見えなくなるので、スマホに頼ってはいけないという専門家もいます。そんな考えの人は、どこでも地図を持っていくようです。


ウォーキングマップであっても、地図が入手できないのであれば、人は集まらないと思います。

ヤマレコでは、市役所の人は、駅に置くと、たくさんの人が取るので、置きたくないとか言ったそうです。前提が間違っているような・・・

一方、龍田古道と亀の瀬も、あまり関係がないようにも思います。説明が難しそうです。

別個にしたら、日本遺産には、ならなかったのでしょうか?
令和2年に、龍田古道・亀の瀬で日本遺産になりました。

wikipediaでは、大和の古道という項目がありました。そこに書いてある図です。


大阪と平城京を結ぶ道は、4つあったみたいです。
詳細を知りたければ、wikipediaを見てください。

暗越は、暗峠を超える道だそうです。
龍田道が、この龍田古道だと想像します。
大津道は、ガイドの方も言っていた穴虫を通る道だと想像しました。
丹比道(たじひみちと読むそうです)は、竹内街道だそうです。

まださらに、南には、平石峠とか水越峠とか千早峠とかもあります。

ガイドの人も言っていましたが、龍田古道は、アップダウンが少ないそうです。

パンフレットによれば、4万年前から、亀の瀬は地滑りを繰り返してきたそうです。
近代以降も3回の地滑りが発生し、大きな被害があったとありました。

地滑りを繰り返したら、その地区は人が通らなくなるだけです。例えば、三室山を通るルートができたのではないかと素人は思います。

一方、近代になって人が増えたので、被害が大きくなったのかと思います。

人がいなければ、どんな被害があるのでしょうか?
でも社会資本整備というのは、そんな地滑り地帯の対策をすることだと思います。

繰り返しますが、龍田古道と亀の瀬をセットで売り出そうと思っているみたいですが、その結びつきがわかりにくいように思いました。

それはさておき、新今宮に行き、大和路快速で、王子に行き、そこから歩いて、信貴山下駅に行きました。

要所要所に係員がいて、次のチェックポイントを教えてくれるので、ほとんど迷いませんでした。

ウォーキングマップには、5つのコースがありますが、今回は、それとは関係なく、9 箇所のチェックポイントを回ることになります。
6か所のチェックポイントのスタンプを集めたら、抽選できるとありましたが、9か所すべて行きました。

信貴山下駅万葉歌碑、龍田大社万葉歌碑、犬養万葉歌碑、磐瀬の杜万葉歌碑、峠八幡神社、竜王社、旧大阪鉄道亀瀬隧道、竹原井離宮跡の9か所です。
それぞれの場所にスタンプとガイドの人を用意しているみたいでした。
直接、案内していただいたので、三室山古墳にも行きました。

旧大阪鉄道亀瀬隧道と排水トンネルに行くツアーがあったので、それも行きました。隧道のスタンプは用意されていたので、押しました。

河内堅上駅に着いて、抽選しました。
亀の甲羅(コーラです)をもらいました。

堺からでは、一筆書きで歩くことは時間的にも難しそうですが、所要時間が短い、風の力を感じる龍田山の信仰体感ルートでも、歩いてみようかな?と思っています。
















ほぼ42.195㎞ 泉北緑道ウォーキングマップを1日で歩きました。

2022年11月10日 18時56分52秒 | ハイキング
何度か、「ほぼ42.195㎞ 泉北緑道ウォーキングマップ」を話題にしています。



実は、下見と称して、何度か、コースを部分的に歩いています。

この前は、庭代台中学校前まで泉が丘駅からバスに乗り(お出かけ応援パスを使えば100円です)、泉が丘地区の家まで戻ってきました。
庭代台中学校前から、光明池駅まで歩き、光明池駅から、泉が丘駅にバスで、帰って来たこともありました。

だいたい、一度は通っているのですが、ウォーキングマップをよく見ると、間違えてたところも多いです。

一昨日(2022年11月9日)、一日で歩いてみようかと思いました。

同じような年齢でマラソンを走る人はいますが、私には、マラソンは無理です。ハイキングでも、一日に42.195㎞歩いたことはありません。30㎞も歩いたことはないと思います。
1時間に4㎞歩くとしたら、歩くだけで10時間半、足が痛くなれば、途中で大休憩も入れるとなると、12時間ぐらい必要ではないかと思って、以前には、昼の長さのことを書きました。
一日で歩くには、日が長い夏の間に、やらないといけないと思っていました。



でも、6月に、新型コロナにかかり、8月ぐらいまで体調が悪かったし、熱中症が危険ということもあり、涼しくなるのを待っていました。

涼しくなって、金剛山に行ったら、思ったより歩けないので、自信を無くしていました。
でも、歩いてみようかと思ったので、さっそく実行しました。

日の出は、6時半ぐらいなので、明るくなった6時ごろに出ようと思っていました。日没は17時前でした。しかし、出発は6時半ごろになりました。

家からちょっと歩くと緑道があります。
そこから、緑道に入って、一周してもどってくるつもりでした。

最初は知っている道が多かったので順調に進みました。
槙塚台センターの前で曲がるところを間違えました。知っているところだったので、次の交差点で曲がり、無事に緑道に出ました。

ウォーキングマップでは、「車に注意」と書かれたところが3か所あります。
それぞれ、歩道が一部しかなくて、歩いている横を、速い車が通るところです。

文化財調査事務所(2か所)や桜井神社の近くです。
なお、栂緑道につながる堺市文化財調査事務所(文化財課分室)のところは、野々井東橋がなかったので、コオロギ橋の階段を上って栂緑道に上がりました。

普段は、歩道を歩くことが多く、「車に注意」は通らないところなので、よく知りません。
小谷城郷土館までは、ちゃんと行けたのですが、小谷城郷土館から「車に注意」に行くところで、反対に曲がったようです。
あわてて戻りました。

庭代台東の交差点にマックがあったので、休憩のつもりで入りました。
11時前でした。
マックを出た後、ウォーキングマップ通り、階段を上がりました。歩道がありました。下見の時にも通ってなかったのですが、歩きやすい道でした。
ひぐらし橋のところで、南線の歩道に降りて南線の歩道を歩きました。

城山台3丁南で横の階段を上がり、歩道を歩きました。

光明池を3/4周して、城山公園、鴨谷公園、新檜尾公園、と進みました。

光明池駅で休むことも考えたのですが、ちょうど12時ぐらいだったので、そのまま栂・美木多駅まで行くことにしました。

栂・美木多駅に3時に着けたら、そのまま進むけど、3時をすぎたら、栂・美木多駅からバスで帰ろうと決めていました。

しかし、栂・美木多駅につくと1時30分でした。

1時50分まで、食事して休んでから歩き出しました。
コオロギ橋から、栂・美木多駅の距離は短かったのですが、栂・美木多駅からかたつむり橋は遠かったです。

イチョウ並木、コスモス館を通って鉢塚のバス停まで来ました。
堺公園墓地は、家から歩いてくることが多いところなので、慣れた道だと思っていました。

でも、富蔵の田園風景を見るために遠回りします。
フォレストガーデンも、通らなくても良いところです。妙見下のバス停から、逆瀬川グラウンドへの道があります。歩道はありませんが、車は少ないです。

普段より、遠回りするので、疲れました。疲れがたまってきたのかもしれません。
帰ってからマップを見たら、法道寺から感応寺(PCでは旧字体がでませんでした)が40分、フォレストガーデンから晴美公園まで30分かかるみたいです。

逆瀬川グランドのところのトンネルを抜けると緑道です。

かもしか公園の手前で、緑道を馬が歩いているのを見ました。
もちろん人が乗っている馬です。
写真をとれば、よかったのですが、見てるだけでした。

5時前に、やっと帰ってきました。長時間歩きには慣れていないので、後半は、よく休憩しました。

家には4時40分ぐらいにつきました。
約10時間かかりました。
スマホでは58602歩でした。

疲れました。

歩いて思ったのですが、次は、××公園、××橋と決めて歩くことが、私は多いようです。

橋の名前は、ウォーキングマップには書いてありますし、橋まで行くと名前を書いてあります。でも、グーグルマップにはありません。
橋の上?に、大きく名前をかいてもらうとランドマークのように使えます。

緑道には、トンネルが多いのですが、トンネルは名前がついていないようです。是非、トンネルにも名前を。橋と同じく、大きな字で名前を書いてください。












吉野山に花見に行きました

2022年04月08日 09時47分14秒 | ハイキング
最近は、毎年、吉野に桜を見に行きます。

自宅からは、天王寺に出て、吉野に行くのが簡単ですが、バスで金剛まで出て、河内長野、古市、という方法もあります。

どちらにしても、時間がかかるので、車で行くことがまだ多いです。

金剛山に行くときに使う309号線を、そのまま進むと、ほとんど、道なりで吉野まで行くことができます。

吉野の駐車場に止めて、歩くことも可能ですが、昨年は、大和上市駅の近くの駐車場に止めて、大和上市駅から、バスに乗って、西河というところまで行き、蜻蛉の滝を経由して、青根ヶ峰まで行き、青根ヶ峰から桜を眺めながら下り、吉野駅から、近鉄で大和上市駅まで戻り、車で家まで帰ってきました。

西河までバスが200円、吉野から大和上市まで180円、大和上市駅の駐車場代が300円でした。

かかった時間は、近鉄電車で行くより、かなり短いと思います。

西河から、青根ヶ峰は、長かったので、別の道がないか調べました。

宮滝バス停まで行けば、近畿自然歩道があるみたいです。その近畿自然歩道を行けば、如意輪寺や、上千本に行けるようです。

そこで今年は、宮滝までバスで行って近畿自然歩道を行くことにしました。

近畿自然歩道は、勝尾寺から箕面の滝に出るときに使ったことはありますが、それ以外は経験ありません。
勝尾寺周辺も、それほど厳しいところはなく、気楽に歩けたように思います。
名前が歩道だから大丈夫と信じて、宮滝のバス停まで行くことにしました。

309号線は、金剛山へ右折する神山南の交差点をこえると、河南赤阪バイパスとかいうバイパスができています。それを過ぎると山道になります。
どこでも、同じですが、ところどころに集落があります。

集落があれば、歩いている人もいると思います。

集落のところは、30km/hとか40km/hに制限されていますが、車は、それまでと同じように走っている車が多いように思います。

例えば、あまの街道を歩くと、府道38号線(富田林泉大津線と書いてあります)に出ます。逆瀬川の方に行こうとしたら、府道38号線を歩くのがわかりやすいです。
府道38号線を歩くと、当然歩道はありません。一部には、白線だけはあったと思います。
対向車がいないと、離れて通る車が多いですが、ちょうど歩いているところに対向車が来ると、「邪魔やなあ?」という感じで近くを結構なスピードですり抜けていく車もあります。
歩いている方も嫌です。

歩いている人がいなくても、そんな集落では、スピードを落とそうと思います。でも、後ろの車がピタッとついてくるので、・・・

結局、制限速度と後ろの車の兼ね合いで走ることになります。

走りにくいのは水越峠のトンネルもです。トンネル自体は広くて、走りやすいトンネルだと思います。でも、トンネルの中は、取り締まりがないからか、70km/h近くで走る車が多いように思います。下りになれば、80km/hで走る?トラックとかいます。トラックが車間距離を詰めてこられると気持ち悪いです。
と言って、前の車をあおるのもいけません。結局、前後との間隔に気を使って、走らないといけないので、疲れます。

水越峠のトンネルは、ストリートビューで見ると、大阪側の入り口には40km/hの標識がありました。

水越峠を越えると、道なりに、曲がらずに行くことができます。

吉野川手前の桧垣本で右折すると、すぐ先で吉野川にぶつかります。そこを左に行くだけです。


ちなみに、私の場合は、制限速度が低くても、後ろにつかれるのが嫌なので、人の通行がなさそうなところでは、ちょっとスピードを出します。
そうすると、民家があり、低い制限速度のところで、スピードを落としても、後ろの車は、一緒にスピードを落とす人が多いみたいです。
たぶん、後ろの人の性格にもよると思いますが・・・

大和上市駅では、たくさんの人がバスを待っていました。

大和上市駅を通過するバスは、バスNAVIというアプリによると、
よどりバス(大淀町)
奈良交通「南部地域連携コミュニティバス(R169ゆうゆうバス)
大台ケ原線と吉野高校線の奈良交通
吉野町コミュニティバスが、Aコース、Bコース、Dコースその他
やまぶきバス
とありました。

よどりバスは、大淀町のコミバスだそうです。
富田林を出ると、次の大きな町は、大淀町みたいです。
コミュニティバスの略称がコミバスだそう。
コミュニティバスは、wikipediaによれば、交通事業者が赤字路線から撤退した後、交通弱者の交通手段が失われないように、市区町村が費用を負担してバスを委託運行したものであることが多いそうです。

大和上市駅は、吉野郡吉野町にあります。
吉野町コミバスは、スマイルバスというそうです。そういえば、そんな名前の時刻表がたくさんありました。
やまぶきバスは、川上村のコミバスだそうです。
ゆうゆうバスは、2町3村広域連携コミバスと書いてあるのもありました。
大淀町、吉野町、川上村、上北山村、下北山村の2町3村みたいです。

2022年4月1日から、吉野町では、午後からは路線定期運行方式をやめて、予約型乗合(デマンド)方式に変えるそうです。歩いていたときに、デマンドバスバス停というのを見かけました。

これから吉野山に行くのに、どのような影響があるのかわかりませんでした。
でも、予定していた時間にはバスが来ました。

田舎では、バスの運行は厳しいのだと思います。

コミバスは、100円とか200円が料金みたいです。

そういえば、堺市のおでかけ応援制度も年齢制限はありますが、100円というのは、こういうのを参考にしたのかと思います。

近畿自然歩道は、急な登坂もなく、快適に歩けました。
もちろん坂道ですが、吉野駅から上千本に上がる道の方が、上りは急でした。
















あまの街道を通って、金剛寺に行きました。

2022年04月06日 07時39分44秒 | ハイキング
桜が満開ではないかと思って金剛寺まで行こうとしました。

いつもは、車で行きます。以前は、花の文化園の駐車場になっている?、道の駅 奥河内くろまろの郷に車を止めて、歩いて行ったこともありました。

もっと以前には、子供と一緒に、自転車で行こうとしたこともありました。でも、道に迷って引き返しました。それから、金剛寺には、歩いては行けそうにないと思うようになりました。

ですが、新型コロナで運動不足になっているので、歩いていくことにしました。

あまの街道に入って、寺ヶ池公園への分岐を越えると、何人かの自転車に乗った若い人に抜かれました。あまの街道にふさわしくない人のように見えました。
そのうち、コノミヤ・スペランツァ球戯場というのがありました。
集まってミーティングをしていたので、たぶん、サッカーするのにあまの街道を使っていたのだと思います。

その先は、青賀原神社を過ぎたあたりから、車道と合流しますし、車が多いので、緊張しますが、天野町の集落を通る道を選ぶと、そんなに車も通りません。

そのうち、金剛寺につきました。

金剛寺の桜は、門の横のしだれ桜が有名ですが、3月27日ぐらいが満開だったそうです。

昼食?用のパンを持ってきていましたが、金剛寺は飲食禁止ですし、適当な、ベンチもありませんでした。
どうもgoogleマップを見ると、天野山金剛寺monzenというカフェが新しくできたようです。でも、月火は休みだそうです。
以前に来た時、奥河内キャンプの森というのが、金剛寺の前にあったと思うのですが、その時は気づきませんでした。

駐車場にほってあった、石に座って、パンを食べました。

帰りは、光明池か河内長野に出るバスに乗ろうとしたのですが、金剛寺には、河内長野に出るバスの時刻表しか書いてありませんでした。光明池に行くバスはちょうど出たところでした。

再び、歩いて帰ることにしました。

あまの街道を戻るときに、休憩するためベンチを探しましたが、西山霊園のところまでありませんでした。

あまの街道は、岩室にある、西高野街道と別れるとこから、金剛寺までだと言われていると思います。
今回ですべて歩いたことになります。何回かに分けましたが。

あまの街道についてまとめますと、

岩室の地蔵堂からは、車も通る道ですが、500mぐらい行くと、車は入れなくなります。
そこからは、自転車と歩行者だけです。(陶器山遊歩道とか言うみたいです。陶器山トンネルまで?)
府道38号線を横切ると、車も通れる道ですが、あまり車は通りません。
コノミヤ・スペランツァ球戯場ぐらいまでそんな道が続きます。

そこからは、コノミヤ・スペランツァ球技場の手前で車が多い道にでますが、青賀原神社を過ぎて、旧道を行けば、金剛寺まで車は少なくなります。

高齢者には、ベンチとトイレと自動販売機が必要です。

陶器山トンネルの休憩所までの陶器山遊歩道は、ベンチも多いです。
陶器山トンネル休憩所を超えるとベンチは少なくなりますが、西山霊園に降りる道の近くに「桜の下の休憩所」「休憩所」があります。
googleマップに書いてある名称を利用しました。ひょっとしたら誰かが勝手に名前を付けた?

府道38号線を超えて、大阪狭山ボーイズグラウンドを超えて、穴地蔵まで、行くと、ベンチがあります。

コノミヤ・スベランツァ球技場近くの公園にはベンチがあるみたいでしたが、あまの街道からかなり下りないといけないみたいでパスしました。

結局、穴地蔵から、金剛寺までは、あまの街道にはベンチはありませんでした。

トイレは、陶器山トンネル休憩所にはありますが、それ以降は、ありません。
穴地蔵横の案内板には、トイレは4km先の青賀原神社や6km先の金剛寺までありませんと書いてありました。
穴地蔵の近くにはトイレはありません。
普通はトイレがあるところに、「ここにトイレはありますが、ここから??までトイレはありません。」と書くものでは。
でも、トイレがないのに、4km先までトイレがありませんと書いてありました。1時間もかかる?

googleマップを見ると、コノミヤ・スベランツァ球技場の近くに公衆トイレとありましたが、往復ともに気づきませんでした。

自販機は、金剛寺の駐車場から、コノミヤ・スベランツァ球技場の近く、府道38号線を横切るところの会社の前とかにありました。

簡単には歩きにくいあまの街道ですが、歩いてみてはいかがでしょうか?
往復3万歩ぐらいでした。心臓に不安を持つ家族が言うには、アップダウンが少なくて割と歩きやすいそうです。









泉北コミュニティを読んで

2022年03月24日 21時11分14秒 | ハイキング
泉北コミュニティの3月24日号が、我が家にも届きました。

大阪健康福祉大が高倉台西小の跡地にできています。大阪福祉短大校内には喫茶店があるみたいです。地域の人間も入れるみたいです。行ってみたいと思っていますが、まだ、行っていません。
学校法人みどり学園が、シェアタウン泉が丘ネクストという事業を西小跡地で進めていて、大阪健康福祉短大、障害者施設、グループホーム、サービス付き高齢者住宅(サ高住というのですね?)の建設を計画していたそうです。

堺市は、シェアタウン泉が丘ネクストの事業規模を縮小して、福祉施設の建設を中止して、短大の運営に専念することで学校法人みどり学園と合意したと発表したそうです。

その理由ですが、保育園は、待機児童の減少により経営が困難になったそうです。グループホームは補助金が認められず、断念せざるを得なくなったそうです。サ高住の建設も計画していたが、定期借地権契約がネックになったと書いてありました。
記事の問題かもしれませんが、待機児童の減少は、急に始まったことではなく、ずーと言われていることです。補助金って、みんなもらえると思っていたのでしょうか?
定期借地権契約は、初めからわかっていたことだと思います。

そんな理由で堺市も納得したのでしょうか?

うがった見方をすれば、大阪健康福祉短大という名前から想像すると、保育園とかグループホームがあれば、学生に実習させたら、人手不足は解消するように思います。
そんな意図で、作ったのかと思っていました。

みどり学園が、そんなところまでお金をかけなくても、別の組織が作りそうです。パンジョの前の部分は、店になったりして。

泉北コミュニティは、維新支持と想像してしまいますが、堺市のことは、発表したのを報道するだけになったようです。

ウクライナ、ロシアの問題についても、NATOが発表したのを、アメリカの報道機関が報道したというニュースが増えました。

これから、こんな世の中になるのでしょうか?

また、表紙には、10面に、日本一の緑道を歩きながら花見という記事があるように書いてありました。

泉北ニュータウンは、花見できるところが多いので、どこか良いところが書いてあるのかと期待しました。
10面を見ると泉北の緑道を歩こうと書いてあって、以前に見たことがあるような緑道の地図がありました。

泉が丘、栂、光明池のセンターや公園間の距離が書いてあるだけです。

車道が赤い線で書いてあります。緑道は緑の線です。
緑道を強調したいなら、緑道を目立つ色でで描くべきと思います。

歩くのは、高齢者ばかりでしょうから、ベンチやトイレ、自販機の場所も必要だと思いますが、ありません。
桜の名所もありません。

緑道と日本一を組み合わせたら、人が集まると思っているのでしょうか?

ちなみに、泉北コミュニティは、pdfファイルでも読めるようになっているみたいです。





鶉野飛行場跡地に行きました。

2022年02月21日 13時58分54秒 | ハイキング
大学生(50年以上前のことです)の時、加古川の北にある鶉野飛行場跡地に何回か行きました。

クラブツーリズムのツアーを見ていると、「鶉野(うずらの)飛行場跡地ウォークと北条鉄道乗車 日帰り」というツアーがありました。

費用が18000円もするので、ちょっとためらいましたが、懐かしかったので、また、鶉野飛行場跡地を探して車で行くのは、大変だと思って、ツアーを申し込みました。

コロナの感染が広がっていましたが、マンボウだし、それも、2月20日までなので、なんとかなると思っていました。

マンボウは、3月6日まで延長されましたが、問題なく催行されました。

大学生のときはは、中国自動車道もなく、第2神明とか通って、加古川から行ったと思います。

でも、バスは、中国自動車道を行き、加西ICで降りました。そのまま北条町駅に行きました。
北条町駅から法華口駅まで北条鉄道に乗りました。


北条鉄道は、旧国鉄でしたが、第3セクターになったそうです。
地域の発展のためには、北条鉄道を存続させることが必要とガイドの方は言っていました。
写真は撮りませんでしたが、北条町駅には、1年に1回は北条鉄道に乗ろうというのぼりがあったような・・・
北条鉄道ですが、帰ってからニュースを見ると、キハ40型を東北から購入したとニュースになっていました。五能線を走っていた車両みたいです。

法華口駅からガイドの人に案内してもらって、飛行場跡地周辺の戦争遺跡を見て回りました。

公民館を使わせてもらって、弁当を食べて、その後、飛行場跡地を通って、紫電改の実物大模型を見に行きました。

結局、飛行場跡地は、昔に行ったことがある場所なのかどうかわかりませんでした。
滑走路は、残っているもの以外に1本か2本あったみたいです。
また、家とか工場が飛行場跡地の横に立っていました。
イメージが違うので、よくわかりませんでした。
小学校時代のことでも覚えていることもあります。それ以降のことなのに、印象が弱かったのでしょうか?

それはそれとして、加西市は、うずらの飛行場跡地を観光スポットとして売り出そうとしているようです。

加西市と言うと、五百羅漢(行ったことがあります)や加西アルプス(名前を知っているだけです)とか観光スポットが多いみたいです。
低山のブームがあるみたいですが、加西アルプスには、一度、行って見たいと思っています。

加西市歴史遺産群散策ナビREKINAVIというアプリもあるそうです。
うずらの飛行場跡地を紹介するアプリです。

ロシアがウクライナに攻め込んだみたいです。ウクライナは、軍隊を持っていたそうです。でも、攻め込まれたみたいです。
最近は、プーチン乱心の解説が多いように思います。独裁者は、問題が多い行動をすることがあるので、独裁者は作らないようなシステムが必要だと思います。でも、一般的には、権力を持つと、その権力を強化しようとするみたいです。

そのうち、核兵器をもっていたら攻め込まれなかったという政治家(人)も出て来そうです。

きな臭い世の中になったものです。軍隊的なことが好まれるように思いますから、こんな遺産も人気になる?