阪神共同福祉会理事長、中村大蔵さんの「プロとして現地は行っとかなあかん」の一言が背中を押してくれた。
「高台移転とはどういうことなのか、それと仮設住宅も見てな、瓦礫の処理も、沿岸部の沈下もやな」 これも中村大蔵さんの言葉だ。私としては被害を受けなかったほうの地域や建物をていねいに見たかった。阪神大震災でもそうだったが、被災地域で被害が少なかった建物から「なぜか」を学ぶことが大事だ。
石巻在住の兄のアパートに泊めてもらい、気仙沼まで。ちょうど国会では震災についての予算委員会審議がおこなわれており、NHKラジオで聞きながらのドライブだ。
現地に行ってみないことにはわからないことの一つに土地の「高さ」がある。
海岸沿いの45号線を車で走ると5分おきくらいに海岸に出ては、また台地に駆け上がる。海岸の建物はほぼ全滅だが、台地の集落にはあまり被害はない。津波について安全-危険の始まりと終わりが何度も写真の標識で示される。この標識は4年ほど前に設置されたとのことだが、かなり明確に津波危険地帯がそこにあることが示されている。大雑把な言い方だが、車で走ると5分に1個所の安全な高台だ。
では農漁村の高台移転の場所はあると言えるか、となるとそうではない。私が通過した範囲では南三陸町などは見渡す限り建物の基礎が残っているだけの状態だ。遠くにに少し集落が見えるが国道沿いにはない。
(南三陸町にて)
尼崎で開かれた「復興支援尼崎ネットワーク」の集会で話を聞かせていただいた、特別養護老人ホーム春圃苑を訪ねる。仕事のじゃまをしてはいけないと思い、アポ無しで見学の許可をお願いしたら、尼崎で話していただいた菅原さんみずからが案内してくださった。忙しいのに本当にありがとうございました。
菅原さんの言葉によると、「半年がたって、やっと道が見えてきた。何をすればいいかがわかったので、とにかく前に進んでいる」とのこと。笑顔とともにエネルギーを分けていただいた。
さて春圃苑だが、現在は定員+20名を受け入れていて、その20人分に相当するユニット型施設の増築が進行中だそうだ。さらに3地区にそれぞれあったデイサービスセンターの一つが流されたのでその再建も進行中だそうだ。
そんな忙しい中に時間をさいていただいてありがとうございました。「道が見えてきたので、前に進む」お手伝いができればと思う。
(特別養護老人ホーム 春圃苑)
(この下右側には遊園地もあったいいところなんですよ)
「仮設住宅にも差があるんです」という話を聞いた。ダイワハウスが建てた仮設住宅には入れた人はラッキーだそうだ。これは現実を確かめないとと大谷中学校グランドの仮設住宅を訪れた。勇気をだして話しかけたら写真の男性がいろいろ教えてくれた。
「確かに他の仮設に比べると、ここは質はいいかもしれないが、この夏は暑かった。通路は風が抜けるが、建物と建物の間が近すぎて風が抜けない」
さらにこの人は本吉地区で被災されて、
「鉄道より海側の人はもう、住みたくないと言ってるけど。われわれ鉄道より山側のもんはほとんど、もう一度家を同じ所に建てたいと思っている」
「家はなくなって、瓦礫も処分してくれたけど。基礎の解体は自分持ちだって。基礎を解体して撤去しないと、更地にはならない、それに金はかかるし」
(残った基礎、行政は撤去してくれない)
気仙沼を訪れたのが9月28日、その10日ほど前に市から「気仙沼市震災復興計画(案)」が発表になっていた。津波時の浸水深さ2mで線を引いて、深さが2mを超える地域は「原則居住禁止」、それ以外は条件付きで居住を認めるという内容だ。
ある方から「気仙沼市はおさかなばかり大事にして、年寄りのことはその次だから・・・」という批判も聞いた。「被災した医療・福祉施設の復旧整備に努め」と復興計画案には記載がある。「復旧整備」ではなく、お年寄りと地域の人々が毎日を暮らす新たなコミュニティづくりが必要な気もする。ほんとうに施設を作りなおす「復旧」でいいのだろうか?
(続く)
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