マイ・Joon・メモリーズ

🌸いつも心にはヨンジュンさん🌸

ヨンジュンさんの自伝より☆

2016-08-13 23:56:08 | ヨン様


こんばんわ

こちらは 今日は晴れてお洗濯日和の良いお天気でした

夜は風があって 比較的に過ごしやすい週末ですが

皆様 お変わりありませんか?

早速ですが

本日は 過去ブログから懐かしいペ・ヨンジュンさんの自伝をお持ちしてみました

1997年当時に韓国のスポーツ紙に掲載されたという ヨンジュンさんが書かれた自伝の中の
デビュー作「愛の挨拶」と「若者のひなた」のエピーソード部分をお持ちしてみましたので
本日は 読書タイムとさせていただきたいと思います

まだデビュー一作目の主演作から2作目の作品に全力で取り組んでいらした当時の撮影時のご様子を
あらためて感じながら ふと振り返ってみたくなりまして


ペ・ヨンジュンさんの自伝より(「愛の挨拶」「若者のひなた」撮影時エピソード)

俳優なら誰もが、初めての撮影を忘れることができないだろう。僕もそうだ。
その記憶は、偉そうなことを言うようだが、誰のものにも負けないぐらい強烈だと思う。
僕に与えられた最初のシーンは、雨の中、大学の前で傘を差しながら相手役のソン・ヒュナを待ち、
彼女が現れたら、はにかみながら、CDをプレゼントするという場面だった。

雨を降らせるための消防車が、2台待機していた。
「愛の挨拶」は初め、チョン・ギサンさんとユン・ソクホさんの二人の監督(PDを出演者たちは監督と呼ぶ)が
交代で撮っていた。
その日はユン・ソクホ監督だった。
シナリオをもらってから撮影に入る直前まで、僕は何度も何度もセリフを暗唱した。
胸はひっきりなしにドキドキしていた。何百回セリフを口にしてもしっくりこなかった。
そんな状況で「キュー」は出た。
一生懸命やった。セリフだって一生懸命覚えた。
いや、正確に言えば、言葉を単に暗記したに過ぎなかった。
僕は映画会社で働いたことがあったわけだが、ワンシーンでこんなにNGが出ることもあることを改めて知った。

ユン・ソクホ監督は、「お前みたいな奴が、どうしてここにいるんだ。なぜ、ドラマをこんなにめちゃくちゃにするんだ」と
怒鳴った。
穴があったら入りたかった。まわりから、同情や苛立ちの視線を感じながら、
「ペ・ヨンジュン、このばかやろう。十分な準備をしていないのに、納得できる演技なんてできるわけがないじゃないか」と、
僕は僕を責め続けた。

結局5時間を費やし、消防車2台分の水をカラにして、その日の撮影は終了した。
寒い11月の日に、5時間を雨の中で震えたことが、問題ではなかった。
大勢の前で怒鳴られても当然だ。問題は、自分の力を出し切れなかったことだ。
あまりに興奮し、緊張してしまったため、僕は最初の撮影を、不完全燃焼のまま終えなければならなかった。
そんな興奮と緊張は、演技の邪魔になるだけだ。
初めての撮影は、僕の俳優人生に大いなる教訓をもたらした。
「愛の挨拶」の撮影初日以来、僕はひと時もシナリオを手離さないようになった。
食事をしていようが、タバコを吸っていようが、トイレに行こうが、眠りに落ちるまでは、シナリオは僕の体の一部だった。
単にセリフを暗記するのではなく、状況を考え、感情を表現しようと思った。
そのおかげで、最初の撮影の時に私を怒鳴りつけたユン・ソクホ監督が、3回目の撮影の時には、僕に近付いて来て、
「どこか他で、演技を学んでいるのか」と言ってくれるまでになった。
僕の演技の進歩を認めてくれたのだ。
その時僕は、「ああ、一生懸命やればできるんだ」と思った。
それから「一生懸命に」や「全力を尽くして」という言葉は、僕の座右の銘になった。
何事も努力すればしたなりの成果をあげることができるのだ。

「愛の挨拶」の撮影中、僕は危うく溺れて死にそうになった。
それは、2月頃のことだった。ロケ地は江村。
相手役であるパク・ジュンヒが川に靴を放り投げて
、僕がそれを取りに行き、ふざけて溺れる真似をするというシーンだった。
それにしても、彼女の投てき力の何と強いことか。
靴は遠くまで飛んで、川の真ん中あたりに落ちた。
水泳には結構自信があったから、僕は躊躇することなく飛び込んだ。
しかし、2月の川の水は、想像以上に手ごわかった。
しかも、僕はジーパンをはいたままだった。
何とか靴まではたどり着くことが出来たが、靴を取ってから、全身の力が抜けた。
シナリオでは、ふざけてじたばたすることになっていたが、
僕は本当に死ぬ思いでじたばたした。
カメラはずっと回っていた。水を何口も飲んだ後で、やっと船の上に引き上げられた。
僕は思いっきりむせ込んだ。ぐったりとしていると、
チョン・ギサン監督が近づいてきたので、
「本当に死ぬところだったんです」と訴えた。
そうしたらチョン監督は、「そう、お前、本当に死ぬみたいだったよ。最高の表情だった」と言った。
多少余力が残っていたら、僕は腹を抱えて笑っただろうに、
その時は微笑むだけで精一杯だった。
そんなわけで、「愛の挨拶」で水底に沈みそうになった僕であるが、
次のドラマ「若者のひなた」でも、再び溺死しそうになった。

イ・ジョンウォンさんやパク・サンアさんなどと一緒に、ヨットに乗るシーンを撮っていた。
海の真ん中で、僕とジョンウォンさんがヨットから海に飛び込む場面だった。
その日、僕のコンディションはあまりよくなかった。
海で水泳を学んだ僕だったが、海が妙に恐ろしく感じられた。
だが、とにかく飛び込まなければならなかった。悪い予感は的中した。
水の上に浮かんでいるだけで一苦労だった。
必要なシーンを撮り終えるまで、何とか水中にとどまっていようとしたが、
遂に限界。
声を出すこともままならなかったので、
浮き輪を放り投げてくれという合図を、船上のスタッフに送った。
本当にあきれた話だったが、何とその時、
一人のスタッフが素早く放り投げてくれたのは水かきだった。
溺れる一歩手前なのに、水かきで何をどうしろというのか……。
結局、何とか生きて船の上にあがることができたが、
僕はすっかりヘトヘトになっていた。
今振り返れば、これも懐かしい思い出なのではあるが……。

「若者のひなた」の話をもう少ししてみよう。
「愛の挨拶」を終えた時、77kgあった僕の体重は64kgになっていた。
おおよそ13kgが、消えてしまったわけだ。
結果はどうだったにせよ、僕はデビュー作にそれだけ渾身の力を傾けた。
1m80cmの身長の僕が64kgだ。僕はやつれきっていた。
「愛の挨拶」の放映が終わる前に、「若者のひなた」の話をもらった。
そんなわけで、「若者のひなた」は、身も心も非常にくたびれている状態の中、
始まったドラマだった。
このドラマは、新人が主体だった「愛の挨拶」とは違っていた。
「愛の挨拶」は、僕を含めてほとんどのキャストが新人だった。
チョン・ギサン監督もとても優しい方だから、撮影の手間はかかっただろうが、
丁寧に僕たちを指導してくれ、俳優を育てることに力を注いでくれた。

だが「若者のひなた」は、状況が全然違った。
新人級の出演者は僕一人だった。
共演者の大部分は、演技力のあるベテランの先輩たちだった。
それがプレッシャーにならないはずがなかった。
僕が間違えると、先輩たちに迷惑をかけてしまう。
初めから緊張の連続だった。
チョン・サン監督も、定規で測ったように正確で緻密な演出をする人だから、
相当な覚悟を決めて現場に入らねばならなかった。
そんな時に出会ったのが、イ・ジョンウォンさんだ。
ドラマの中では友達という設定だったが、カメラが回っていない時には、
実の兄のように僕にいろいろと教えてくれた。
他人から髪の生え際を触られるのが大嫌いな僕だが、
それがジョンウォンさんなら平気だ。
事実、「若者のひなた」の撮影中、後頭部を誰かに叩かれたので、
怖い顔をして振り返ると、十中八九ジョンウォンさんが笑っていた。
ジョンウォンさんはすごく倹約家だ。
このごろ僕は、MBCテレビの週末ドラマ「イエスタデー」を見ながらよく笑う。
彼が、「若者のひなた」の時と同じ服を着ているからだ。

ジョンウォンさんからは、演技に関する話のみならず、
芸能人としての心構えなども教えてもらった。
兄のいない僕は、ジョンウォンさんを本当のお兄さんのように慕った。
ジョンウォンさんが、僕の全然知らない人に会う時でもついて行って、ビールを
おごってもらい、豚足をつまみ食いさせてもらった。
今考えると、当時ジョンウォンさんは、僕のことを煩わしく思っていたに違いない。

ここで、とても困った思い出をひとつ。
「若者のひなた」の撮影中、僕はトンド寺の方でサイン会をやったことがある。
当日、移動時間があまりなかったので、おしっこをがまんしてサイン会の現場に向かった。
会場には、トイレぐらいあるだろうと思ったからだ。
現場に到着したら、学生を中心にファンがもう大勢来ていた。
人だかりを縫うようにして中に入り、スタッフにトイレの場所を聞こうとした。
 ところが、トイレはないと言うではないか。目の前が真っ暗になった。
いったん会場を出て探そうかなと思ったが、見ると人はさらに増えている。
整理をするために、警察まで出ていた。スタッフの一人がバケツを持ってきてくれて、
隅の方でしてくださいと言うが、会場内だとどこにしろ、ファンに見られて
しまう。
僕はこのまま耐えることにした。

時間が経つほど尿意は強力になってきた。
サイン会が30分を経過する頃には、突くような痛みに変わった。
何よりも辛かったのは、
サインをしつつ、一言ずつ声をかけ、そのうえ笑わなければならなかったことだ。
本当に大変だった。
サイン会は2時間を越えたあたりで、やっと終わった。
立ち上がろうとするが、腰を伸ばすことができなかった。
助けてもらって一歩踏み出すのが、焼けた石炭の上を歩く気分だった。
僕らは車に乗るやいなやスピードを上げた。5分ぐらいで山道に入った。
僕が用を足そうと、ちょうどいい具合の木の下まで走っていった時、
スタッフも車から降りてきて、タバコに火をつけはじめた。
僕が用を足している間、彼らは気持ちよさそうにタバコを吸っていた。

これ以降、何か用事がある時は、必ず事前にトイレに行くようになった。
そのために、多少遅れても仕方がない。
また現場に到着したら、すぐにトイレの場所を確認するようにもなった。
人間は、痛い目にあった場合は特にそうだと思うのだが、
どんな経験を通しても、賢くなることができるようだ。




本日のフォトはデビュー作「愛の挨拶」より
初々しいヨンミン君の可愛いフォトと
当時からハンサムが際立っていらした眼鏡なし場面から

フォトをランダムに選んでみました


























では、皆様

体調にお気をつけて

お身体大切にご自愛くださいませ



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いつも拙いブログにお付き合い下さってありがとうございます

 

 

 

 

コメント (4)
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