あひる町の住人~兼業画家ライフ~

兼業画家をしています。高知在住。にゃんず・釣りやギター・ハシビロコウネタ、など、悲喜こもごもの土佐日記です。

バスフィッシングというスポーツの魅力~JBプロトーナメントの思い出 1

2016年01月23日 | 【釣り日記】


僕が20~30代(2000年)の頃に夢中になっていたバスフィッシングのトーナメントのお話を数回に分けて書きます。

ほとんど思い出話ですが、釣りをしない人でもわかるように書いていきます。
よろしければ一読をお願いします。


ブラックバスって食べれるの?なんで釣って逃がしちゃうの?

バス釣りが趣味だと言うと「食べない魚をなんで釣るの?なんで釣って逃がすの?」「バスって悪い魚なんでしょ?」とよく質問されます。一般的にマイナスイメージばかりのワルなバスをなんで釣るのでしょう、なんで逃がしてしまうのでしょう・・・。それは「ブラックバス」の存在自体が魅力に溢れているからなのです。僕は猫が大好きなんですが、感覚的にはブラックバスは猫です。小さいバスは子猫みたいにじゃれるのが好きですし、大きいものはボス猫の風格があります。そして目にも表情があって、怒っていたり、釣られて「やられました」みたいな顔してたり。匂いも好きだったり…とか言ってる僕はなかなか変態ですな(笑)そうです、バスがかわいいから会いたいのです。釣っては「大きくなってね」とリリースするのです。ダメージを与えてるのに矛盾してますよね。大きなバスを釣った時は「主に会えた」という感覚で、その個体のすばらしさに敬意の念さえ抱きます。で、「どうか長生きしてください」とリリース…矛盾だらけです(笑)



さて、ゲームフィッシングとしてキャッチ&リリースが定番で一般的には食べるイメージはありませんが、水質が良い場所に生息しているバスは美味しいのです。芦ノ湖には「ブラックバス定食」が看板メニューであったりします。以前、台湾の高級レストランに行ったとき「淡水スズキ」という名でメニューに載っていました。もともとは食用で大正14年(1925年)に日本に持ち込まれた魚なので淡泊で美味しいのですが、何故か日本では食べるイメージはありません。島国の日本では海で美味しい魚が獲れるので淡水魚自体あまり食べないというのも要因のひとつでしょうか。

悪いイメージは、バスが他の魚を食べて生態系を乱すことのほか、バスを釣るアングラーによるものも大きいと思います。実際に外来種を拡散させてしまったのは釣り人であり、その釣り人がゴミを巻き散らかし迷惑駐車で近隣に迷惑をかけてきました。ルアーを船や漁具でひっかけたまま放置したりなど、漁師さんにとっては死活問題にもなっていきました。
そして空前のバスフィシングブームにより(引き金はキムタクがテレビで紹介してしまった)、アングラーの人口が急激に増えて更に問題が加速しました。「ブラック=悪」という名前と「日本古来の生物を喰いあらし、生態系を変える邪悪な存在」のイメージの方が結果的に大きくなってしまったことが残念でなりません。



ブラックバスを釣って競い合うということ

バスフィッシングの魅力を語るならば、おそらく数万種類はあろうかというルアーの種類や、その場所独自の釣り方、バス自体の生態や季節ごとの居場所を探すなどのゲーム的要素がぎっしり詰まっているからでしょう。ロールプレイングゲームや推理ゲームに似ているかもしれません。


キャスティング(ルアーを竿で投げる動作)はスポーツそのものです。


特に引き強い大物に耐えるタックルと体力が必要なのです。


タックル(釣り道具)は日本の技術の粋が凝縮されており、ボートやエンジンなどの動力、GPS機能付魚群探知機などの装備はF-1レースさながらです。釣りバカってほんとすごい(笑)

で、僕のF-1カーはこちら…



ちっさ!!(笑)

とはいえ、船体以外のデッキや装備など、すべて自分でセッティングしたんですよ。ある意味僕のモノ作りの集大成とも言えます。

さておき、更にトーナメントに参加するということは、技術+ギャンブル的な要素(賞金が高額ですからね)もあります。

食物連鎖の頂点であるフィッシュイーター・ブラックバスを追いかけていると、水中を取り巻くすべての環境の知識を高め、更に自然の謎解きをすることができました。

トーナメントに参加する一番の理由は、バスの居場所・動き・何を食べてるのか・何に反応するのか等、自分で仮説を立て、実釣し、パターンをみつけて「答えあわせ」をするのが非常に楽しかったからです。自然を相手にするスポーツは奥が深く答えがなかなか見つからないのですが、少しでも謎が解けると『地球との一体感』を得られました(大げさ~)。そして賞品や賞金(余談ですが、優勝最高額は2000万円という大会もありました)ももらえてしまうのも醍醐味のひとつでした。ゴルフのコンペに似ていますね。



さまざまな湖で開催されたトーナメント

当時(2000年頃)の主なトーナメントは、規定のサイズのバスを5匹釣り、総重量で順位を決めるものでした。



私が所属していたのはJB(ジャパンバスプロアソシエイト)という組織で、日本で最も大きなバスプロトーナメントを開催している団体です。私は最終的にトップカテゴリー手前の「マスターズ」というカテゴリーまでいきました。開催された場所は広大な霞ヶ浦水系・琵琶湖、そしてJBの本拠地の河口湖でした。

最高順位は、当時400名ほどのエントリーで16位。年間ランキングは、年間100番目くらいだったと思います。いやぁ、よくやったものです。ほとんどが釣りで飯を食っている方々ばかりでしたから。そして憧れていたトッププロと、同じ土俵に立てたことも嬉しかったですね。

当時の記録は、デジカメや携帯ネットがあまり普及していなかったので少ないのが残念です(笑)



河口湖戦は大船団の中で釣ることもしばしば…。



そんな中で貴重な一本を釣り、年間ポイントや賞金をもらうこともありました。
(2003年9月21日JBマスターズ河口湖戦)



2DAYSのトーナメントで唯一短日トップだった2002年の琵琶湖戦2日目はトーナメント生活で最も記憶に残った大会でした。結果は初日釣れなかったので総合16位でしたが・・・苦笑

トーナメント中に釣ったバスは、たとえ小さくても体が震える程感動しました。ましてや大きなバスが釣れると本当に震えが止まらなくなり、しばらく放心状態になったものです。逆にランディング(捕獲)寸前に逃してしまうと、悔しくて帰りの車内でひとり泣きながら帰ったものです。車中、行きはロックをガンガン聴いて、帰りはオフコースの「言葉にできない」で涙…(笑)

僕にとってトーナメントに参加したことは、何にも変えられないすばらしい時間だったとともに、もっとも自己を成長させてくれた機会(趣味の範囲をはるかに超えていましたが)だったのです。大切な仲間との出会い、経験は今でも私の人生にとってかけがえのないものです。



釣りをしたあとの仲間との語らいも何より楽しみでしたね。

・・・トーナメントの成績はいまひとつでしたが、最終的には「プロの育成」に関わる裏方的な存在になることができました。

釣り道具の開発のお手伝いや、有名プロのガイドもやったことがあるんですよ。

そして、NBCチャプター(全国の湖で開催されているアマチュア戦)のスタッフ、会長を務めたことが、私のバスフィッシングに関わる出来事の最終形になったかもしれません。



アングラーのマナー向上、釣り場の清掃などの環境整備も兼ねていた大会でした。その話はまた別の機会にでも記事にしていきます。


主観的な話ばかりで脱線しましたが、魅了たっぷりのバスフィシング、そしてトーナメント。僕が人生を賭ける一歩手前までいったブラックバスという魚。十分それに値するくらい価値のある、素敵な魚ということが伝わったでしょうか。

釣りバカ人生は続く…(笑)















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まずはせかさないことから〜行動の遅い... | トップ | 小学校低学年以降は親と共有する時間が短くなる... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿